【改稿】プロローグ
更新滞っておりましてすみません。
また先日まであげていた2章出張編ですが、こちらもすみません…!大改稿し、連載再開していきます。
エルフォード公爵邸の中で存在を許されるのは、超一流のものだけなのだそうだ。
「背筋」
超一流のものしか存在を許されないこの空間に、美しく、しかし威圧感のある声が響く。
「目線は上。顎を引きなさい」
「はっ……はい……!」
頭の上に乗せた数冊の本を、けして落とさないようにぷるぷると震えながら背筋を伸ばす。
一瞬ぐらりとはしたものの、なんとか取り落とさずに済む。安堵したその瞬間、一瞬のゆるみもない、容赦のない声が響いた。
「そのまま歩きなさい。かかとに重心を乗せて、つま先を外側に向けるのよ」
「このまま……⁉」
ただ立つだけでこんなにもギリギリだというのに、些か無理ではないだろうか。
しかし私に拒否権などがあるはずもない。
意を決して足を踏み出し――その瞬間、頭の上の本がずるりと滑った。
「あわわわわ……‼」
咄嗟に床に滑り込み、すんでのところでその本たちをなんとかキャッチする。
傷や折れ目がついていないことを確認してほっと安堵の息を吐くと、冷ややかな声が聞こえた。
「三流にも程遠いわね」
「うっ……」
私を見下ろすヴァイオレットさまの目は『野良犬の方がまともな芸をする』とでも言いたげだ。
その眼差しに今日十度目の心が折れる音を聞きながら、私は本をしっかりと抱えて立ち上がり、目を逸らしながらごにょごにょと訴えた。
「し、しかし……このような貴重な薬術の本を、頭の上に乗せて歩くのは些か恐れ多すぎて……」
今私がしっかり握りしめているこの本は、先日ヴァイオレットさまが手に入れたという遠い東の国の薬術書で、王宮薬師でもなかなか手にすることのできないとても希少な本だった。
薬師にとっては国宝級の書物を頭に乗せて歩くだなんて。
切実に読みたいし、落として破れでもしたらどうしようかとハラハラとする。
せめて乗せるものを、他のものに変えていただきたい。
そう願いを込めて、ヴァイオレットさまに目を向けると。
「幼児以上の教養もないお前に、落としても大丈夫という甘えが許されると思っているの?」
冷ややかな眼差しで一刀両断されてしまった。
「まったくお前は。歩行、会話、貴族としての知識、どれ一つとしてまともにこなせるものがないではないの。予想をはるかに下回るひどい出来だわ」
そう言う美しい紫色の双眸が、私を鋭く射竦める。
「まがりなりにも貴族ともあろう者が嘆かわしい。この私が直々に、お前に淑女教育を施してあげることに感謝なさい」
「うっ……ありがとうございます……」
恐ろしさに涙を呑みながら、お礼を言う。
そう。私は今、ヴァイオレットさまに淑女教育をしていただいている。
お母さまが亡くなってからというもの、長年薬作りにだけ精を出してきた私には、恥ずかしながら貴族としてのマナーがごくごく僅かにしか身についていない。
それに気付いたヴァイオレットさまが「あまりにも見苦しい」と、こうして教育係を買って出てくださったのだ。
ありがたいことだ。しかし同時に、けれど、と思う。
実家が没落寸前である私が、今後貴族として振る舞う機会はないのではないだろうか、と。
しかしとてもじゃないけれど、そんなことが私に言えるわけもない。
ちらりと、目の前の美しい人に目を向ける。
ヴァイオレット・エルフォードさま。
ひとたび目が合うだけで、思わず平伏したくなってしまうほどの威厳に満ちたこの方は、当代きっての悪女だ。
国内で一二を争う大貴族、エルフォード公爵家の一人娘であり、今まで誰も想像さえしていなかった入れ替わりの魔術を生み出した、稀代の魔術師でもある。
つまり権力も魔術も、とんでもなく規格外なお方なのだ。
彼女の傍若無人ぶりは、元引きこもりの私にもわかる。
なんせつい三か月前。ヴァイオレットさまは、とある目的のために投獄されたご自分と私との体を入れ替えた。
事前のご説明のない完全な不意打ちだったので、目が覚めた時に投獄されている悪女になっていた私は、それはもう驚いたものだった。
とはいえ牢の中は、三食おやつ付き、薬が作り放題という破格の待遇。
対するオルコット伯爵家では食べるのに勇気が必要なタイプの食事が多く、牢の中よりもよっぽど牢獄らしかった。
そんな私と入れ替わってしまった、ヴァイオレットさま。
普通の悪女ならば確実に、『ぎゃふん、失敗』となる流れだと思う。
しかし稀代の悪女という名前は伊達ではない。
ヴァイオレットさまは、私だと思い込んで失礼を働いたオルコット伯爵家の人々に、暴言や脅迫やその他諸々の手段を使い、傅かせることに成功をした。
ちなみにヴァイオレットさまに一番無礼なことをしたのは私のお父さまのようで、今オルコット伯爵家は没落まであと僅か、という秒読み態勢に入っている。
なんでもヴァイオレットさまの信念は『受けた仕打ちは必ず返す』なのだそうだ。なんと私の生家でもあるオルコット伯爵家以外にも、没落をさせた家があると聞く。
恐ろしい方だ。失言には、ゆめゆめ気を付けなければならない。
そのためヴァイオレットさまの逆鱗に触れる前に、なんとしてでも迅速に一人前の淑女にならなければと思うけれど、現在私の淑女レベルは幼児未満。先が長い。
「最近の幼児、すごすぎます……」
嘆き混じりの感嘆の息を吐く。
いくら私のレベルが低すぎるとはいっても、幼児なんて生きているだけで偉いというのに、頑張りすぎではないだろうか。
「貴族に生まれたらこのくらいは当然なのよ」
しかし私の言葉に、ヴァイオレットさまがそう呆れた顔を見せた。
「今日お前に教えたようなことは、私は三歳の時にはすべてできていたわ」
「三歳……⁉ さ、さすがヴァイオレットさ……三歳?」
思ったよりも幼児だったことに愕然としつつも、しかしヴァイオレットさまならできそうだと、妙な納得をする。
「そ、それは。教師役の方も、さぞかしすごいお方だったのでしょうね……」
たとえ幼くても、お相手はヴァイオレットさまだ。教えるには、相当の胆力が必要だったことだろう。
何の気はなしにぽつりと漏らした私の言葉に、ヴァイオレットさまが一瞬沈黙をする。
どうしたのかしら、と不思議に思った次の瞬間。
「教師の力量が全てではないでしょうに」
びっくりするほど冷たい瞳で微笑まれ、私は「ひっ」と声を出た。
「素晴らしい教師に教えられた生徒が素晴らしい結果を残すのなら、お前は私の次に立派な淑女になってなければおかしいでしょう? それとも私が教師役は不服という意味なのかしら」
「……! いえっ、そういった意味ではなく!」
予想外の超解釈にあたふたと弁解をするも、ヴァイオレットさまは「ではどういう意味なの?」と冷ややかだ。まさか『ヴァイオレットさまを教えるのは教師の方もかなり怖かっただろうなあと思いまして』と言うわけにもいかない。完全に詰んでいる。
もはや私もこれまでだろうかとぷるぷる震えていると、じろりと私を見ていたヴァイオレットさまが急に何かを思いついたような表情をして、すぐに微笑んだ。
「……まあ、仕方ないことよね」
「えっ?」
「今まで野良犬同然の生活を送っていたのですもの。人間としての振る舞いが身に付くまでに多少時間がかかっても仕方がないわ」
なんだか不穏な気配のする優しさと微笑みを纏いながら、ヴァイオレットさまは「体で覚えればいいのよね」と艶やかに目を細めた。
なんだか、少し嫌な予感がする。
「お前が私のように振る舞えるよう、おまじないをしてあげる」
ヴァイオレットさまが、私の額にそっと指で触れる。
かと思うと触れられた部分がほんのりと熱くなり、体が急に、動き出した。
夕方も更新します。
これからは月水金で更新をしていきます(繁忙期は月金になります)
また本日から投獄された悪女のコミカライズの連載が始まりました。
シーモアさんにて第一話先行配信です。私のTwitter(satsuki_meiii)で試し読みもできますので、よければぜひ覗いて見ていただけると嬉しいです!





