閑話 関係のない聖女
「ふう……」
真っ白な部屋の中央で、私は行使していた魔法をゆっくりと解きました。これだけ魔力を流し込めば、またしばらくは維持できるはずです。
私がいるのは、生まれ故郷カーザル王国の南の国、サハル王国です。このサハル王国を守護する結界を張るのが、今の私の役目になっています。
私はカーザル王国で聖女として生活していました。王城の隣にある塔に軟禁され、結界を張り続ける毎日。できる限り強い結界をと、朝から晩まで魔法を行使し、休日すらありません。ですが、当時の私は、聖女とはそういうものだと教えられ、疑いもせずに毎日結界を張り続けていました。
救いがあるとすれば……。私の家族には、たくさんのお金が支払われていること、でした。
もっとも、今となってはそれを確かめることすらできません。結界の魔法に目覚めて王都に連れてこられてから、家族とは一度も会っていないので。
せめて……。生きていることを願うばかりです。
何年もずっとそんな生活をしていました。日々の楽しみは、少し豪華な夕食だけ。いつの間にか第一王子と婚約も決まっていましたが、それも聖女の役目であり、そして光栄なことだと言われていました。
王子は定期的に会いに来てくれましたが……。私にはあまり興味がないようでした。ただ、それでも花束などを贈ってくれることもあり、少しだけ嬉しかったのを覚えています。
けれど……。ある日の朝、私は王城に呼び出されました。結界はいいのかと思いましたが、もしかすると初めての休日をもらえるのかもと、愚かな私は浮かれていました。
そうして、王城に呼び出された私に突きつけられた言葉は。
「偽聖女め。貴様との婚約を破棄する!」
そんな言葉、でした。王子の隣には、見知らぬ女の子が
曰く。私の結界は不完全で、その結界の補強をずっと王子の隣の女の子が続けていた。あの子こそ、真の聖女であり、私はいなくても問題ない。むしろ、自分を聖女と偽ったことは大罪に値する。そんなことを言われました。
私は……。私は、何も言えませんでした。聖女として国に連れてこられ、毎日ずっと結界の維持のために魔法を使い続け、それでもこの国の人々のためだと言い聞かせ続けて……。そして、これ。もう笑うことすらできませんでした。
そうして、王城を追い出された私を待っていたものは……。私を心配してくれる人、ではなく。私を嫌悪の目で見てくる人々。
「聖女だとずっと騙っていたらしい」
「お城で贅沢な暮らしをしていたとか」
「真の聖女様が見つかってよかった」
そんな声ばかり聞こえてきて……。私の追放を、みんなが喜んでいて。
思えば、私はこの時に、この国を諦めたのかもしれません。
私は、国外追放となりました。王都の隅で馬車に乗せられ、国の南端へ。そこで馬車を降ろされて、馬車は去っていきました。
私は。何も、持たされませんでした。お金も食料も何もなく。着ていた白い衣だけが持ち物。
そうして、当てもなく歩きました。地図もないのでどこに向かっているかも分かりません。食料もないまま歩き続けて。日が沈んでも、寝ることが怖くてやっぱり歩いて。
そうして、日の出と共に、私はカーザル王国のあった森を出ることになりました。
森を出た先にはちょっとした町がありました。カーザル王国の南の国、サハル王国。その外れの町で、カーザル王国との交易が行われている町です。
その町にたどり着いた私は、すぐに保護してもらえました。そうして事情を聞かれて、なぜか大騒ぎになって……。気付けば、サハル王国の王城に連れてこられていました。
次は何をやらされるんだろう。そう身構えていたのですが……。
「事情は分かった。今はゆっくりと休みなさい」
王様にそう言ってもらえて、王城の一室が与えられました。
そこからは……。本当に、休ませてもらいました。ゆっくり眠って、美味しいものを食べて、メイドさんとおしゃべりして……。とても、楽しい日々です。
そうして一ヶ月ほど、休んで。さすがにこのままじゃだめだと思いました。
だって、何もしてないんです。食べて、寝て、散歩して、おしゃべり。それしかしていません。仕事も何もしていません。さすがにこれは自分でもひどすぎると気付きました。
それをメイドさんに言ったら、ものすごく呆れられました。もっと休めばいいのに、と。
ともかく。メイドさんから話が通ったのか、サハル王国の第一王子が私に会いに来ました。
「まったく……。真面目な人だなあ」
第一王子にも呆れられました。ひどくないですか?
私がやりたいことを支援してくれるとのことで、とても悩みました。護衛をつけて旅に出てもいい。何か仕事をしてみたいのなら斡旋もする。そんな、内容。
「どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「あの国の結界はみんな知っているんだ。あの結界を張り続けていただなんて、とんでもないことだよ。今まで頑張り続けた聖女に休みを与える。それぐらいするさ」
それに。
「さすがに、聖女を追放するあの国には、思うところがあるからね」
そういうこと、らしいです。
その後はまた一ヶ月ほど、悩みました。わりと頻繁に来られる第一王子や、いつも側にいてくれるメイドさんに相談して……。そうして、決めたんです。
「結界を、張ります」
「え。どこに?」
「この国に。あのカーザル王国の結界が薄くなれば、魔物がこっちに来るかもしれませんから」
「いや、でも……。やりたいこととか、ないの?」
「これが私のやりたいことです」
この国に保護されて、ずっと良くしてもらいました。だから、この国に恩返ししようと、そう思ったんです。今までずっと結界の魔法しか使ってなかったから、というのもありますけど。
決まった後は、条件の話し合いをして……。
「結界の魔法は朝だけ!? 休みもあり!? 給金は……こんなに!? 正気ですか!?」
「むしろ今までどんな環境でやってたんだ……!?」
私のカーザル王国での境遇は、まあわりとひどかったらしいです。そんな気はしてましたけど。
それからは、王城の最上階でこの国を覆う結界を張り続けています。でも、以前よりはとても楽なんです。結界をゼロから構築する時はさすがに疲れましたけど、その後は維持だけですから。毎朝結界の補強をして、それで終わり。とても楽な仕事で、お昼からは王都の観光をしたりと、好きに過ごさせてもらっています。
王都の人たちもみんな優しくて……。私は、今は本当に幸せです。
半年も過ぎれば、皆さんのこともよく分かるようになってきて、第一王子のチェスター様とは特に親しくさせてもらうようになっていました。
そのチェスター様に言われたことがあります。
「カーザルの方は、その……。もういいのかい? 王子と婚約していたんだろう?」
「それは、はい……。でも、もういいんです」
私は、あの国を追放されました。王子とも確かに婚約していましたが、私自身はあちらの王子に特に特別な感情も抱いていません。
だから。もうあそこの国は、私には関係のない国です。もう関わりたくもないんです。
「そうか……。俺も見捨てられないように気をつけないとなあ……」
「ふふ……。チェスター様は違いますよ?」
「そうかい?」
「そうです」
本当に。今の私は、とても幸せです。
けれど、ある日。その報せが届きました。
「カーザル王国の王都が……!?」
お城の最上階でいつものように結界の補強をして、帰ろうとした時に。迎えに来られた第一王子と会話しながら部屋を出ようとしたところで、兵士が駆け込んできました。
その兵士さんの報告は、カーザル王国の王都が、魔物の群れに呑まれた、ということ。
「そんな……」
あの国が。あの街が。魔物の群れに呑まれた。
確かに。確かに私はあの国を捨てました。今の居場所はサハル王国で、この国のために尽くそうと決めました。
けれど。それなのに。魔物の群れに呑まれたと聞いて、私は思っていたよりもショックを受けていることに気付きました。
「大丈夫?」
チェスター様が背をさすってくれます。私は小さく頷きました。
「街の、街の人たちは……」
「分かりません……。少なくとも、今は人が近づける状態ではありませんでした……」
「ああ……そんな……」
私は……。私は、どうしたかったのでしょう。どうしてこんなにショックを受けているんでしょう。
自分を捨てた国であるはずなのに。もう見捨てたはずなのに。いざこうして魔物の群れに呑まれたと聞いて、平静を保てなくなっています。
「どうする? 俺は……君のやりたいことを応援するよ」
チェスター様にそう言われて。私は、少し考えて……。
「この国の結界を……強くします」
「え?」
「私は……この国の聖女ですから……」
優先順位を間違えちゃいけない。そう自分に言い聞かせて。
もしこの国を出て、カーザル王国に向かったら……。ここの結界は少しずつ薄くなって、やがては魔物の群れに襲われるかもしれません。それは、それだけは、避けないといけません。
だから。まずは、この国の結界を。
「それでいいんだね?」
「はい……。でも、あの……。結界が十分な強度になったら……。様子を見に行くことは、許してもらえますか?」
「ああ。もちろんだ」
それを聞いて、私はとても安心しました。
きっと、あの国の人たちには恨まれることだと思います。
でも。私を捨てたのは、あの国が先ですから。せめて、この国の守りを強固なものにすることぐらいは、優先させてもらいます。
それぐらいなら、許してもらえますよね?
壁|w・)聖女は別に悪くないけど、いずれ曇ります。
曇る聖女もいいかなって……。あ、待って石を投げないで!




