03-15
リフィルから十分離れた場所で、魔王は地上に下り立った。まったく、とため息をつきたくなる。あれほど幼い子供に絶望を与えるなど、神は何を考えているのか。
きっと何も考えていないだろうが。神とは名ばかり。場当たり的に適当に対応するろくでもない存在だ。魔物という存在が生まれたのも、ただの気まぐれだったのだから。
「もっとも、今考えることではないな」
魔王はそう言って、ゆっくりと振り返った。
薄暗い森の中。けれど確かに感じ取れる存在感。魔王がじっとそちらを睨むと、森の闇の中からじわりと人影がにじみ出てきた。
長い黒髪にローブの魔女。魔王はその魔女を知っている。魔女界隈では、あまりにも有名な魔女だから。初対面でも、ここまで噂通りだと間違えるはずもない。
「観測の魔女、だな?」
魔王の問いに、目の前の魔女は小さく頷いた。
「魔王にも知られているなんて光栄ね」
「お前はあまりにも有名だからな」
二つ名は観測。これだけなら、戦闘などできない魔女だと思うだろう。
確かに観測の魔女は戦闘行為がおそらく苦手だろうと言われている。けれど、そんな単純な話ではない。
観測の魔女は多くの使い魔を世界中に配置し、この世界のあらゆる場所を観測している。故に観測。だがこの魔女の本質はそこではない。
それだけ多くの使い魔を使役できている、ということが問題なのだ。
この魔女がどれほどの魔力を持っているのか、想像もできない。魔力量そのものだけなら、魔王すら凌駕するだろう。
けれど、観測の魔女の魔法はそのほとんどが観測のためのものだ。戦うためではない。
戦闘技能は低いが、魔力量は魔王と比較しても図抜けている。それらを考えれば、魔王とぎりぎり同格、といったところか。なおこのぎりぎりは、ぎりぎり魔王でも勝てるだろう、という範囲である。
「それで? 私に何か用?」
「こちらのセリフだ。ずっと俺を見ていただろう」
「あー……。まあ、ね。あの子に何かしないか見ていただけよ。気に触ったのなら謝るわ」
「ほう……。あの子、というのは、新たな聖女のことか」
「そうね」
やはり観測の魔女もあの少女が気になっているらしい。当然だとも思う。観測の魔女が何のために世界中を観測しているかは分からないが、あの少女を無視することなどできないはずだ。
「やはり貴様にとっても無視できない存在か」
ならば、何をするつもりか。もしもこの魔女があの少女を殺そうと思っているのなら、協力するのもやぶさかではない。魔王一人ではあの少女の結界を破壊することはできないが、この魔女と協力すれば、可能性はある。
「殺すつもりなら協力するが?」
「は?」
魔女の目が細められた。途端に、濃密な殺気が周囲を支配する。そして、押し潰されそうな魔力の圧。魔王は楽しげに顔を歪めた。
「すさまじいな。貴様はどれだけの魔力を隠しているのやら」
「…………。別にいいでしょ」
ふっと、魔力の圧が消え去った。
「つまり、貴様は肩入れしているということか」
「まあ、そうね」
「なるほど。外套が魔道具だったが……。貴様が作ったものか?」
「そうね」
「それは……驚いたな」
あの少女がまとっていた外套は、かなり質の良い魔道具だった。どこぞの国に売れば、間違い無く国宝となるほどのもの。
そんな魔道具を、おそらくは無償で渡している。どれだけ肩入れしているのかよく分かるというものだ。
「不思議だな。観測しかしていなかった貴様が、なぜそこまで肩入れする?」
「なぜ、と言われてもね……。気に入ったから、としか言えないわね。それ以上の理由がいる?」
「いや……。そうだな。そういうものだな」
理由はないがなんとなく気に入った。そういうこともあるだろう。それに怒りなどあるはずもない。魔王にとっても、嫌悪感を抱かない少女だったのだから。
「魔王はどうして来たのよ。関係ない……とは言わないけど、会いに来たところで意味はないでしょう」
「意味はない。それは認めよう。まあ……そうだな。神に代償を支払わされた存在を見ておきたかっただけだ」
「そう。それで? 見てみた感想は?」
「何も。哀れだな、という程度だな」
魔王である自分が言うのもおかしな話ではあるが、魔物の侵攻を防ぐためにあのような少女が犠牲になるというのは、不条理だと思う。
もっとも。だからといって、今後手を出さないようにしようとは思わないが。それはそれ、これはこれというやつだ。魔王は魔物たちの王なのだから。
「まあ、別にいいわ。どんな感想を抱いていても関係ない。ただ、あの子に手を出すことは許さない。絶対に」
「ふはは。怖い保護者だ」
「言ってなさい」
魔女はそう言うと、ふっと姿を消してしまった。まるで最初からそこにはいなかったかのように。後に残ったのは、小鳥。おそらくは、魔女の使い魔。使い魔を通して会話していた、といことだろ。
「化け物かあいつは」
戦えばぎりぎり勝てるだろうと思っていたが、使い魔を通して感じた魔力ですら想像以上のものだった。もしも本人が出てきたのなら……。
「まったく……。あの魔女の方をどうかした方がいいのではないか?」
そう言って、魔王も翼を広げる。もうこの場所に用はない。会いたい者と出会い、話したい者と言葉を交わした。もう十分だ。
「帰るとするか。あの何もない土地へ」
森の北の不毛の土地。それが魔王の、魔物たちの住処。魔物たちには申し訳ないとは思うが、自分としてはそこまで嫌いな土地ではない。
魔物たちは、森の恵みなど必要としないのだから。
それでもあの森を求めるのは……。魂に刻まれた本能、というやつなのだろう。世界に満ちる魔力さえあれば生きていけるというのに。
空を飛び、故郷へと向かう。あの結界が完成すれば、二度とこの土地へ近づくことはないだろう。せめて森の様子を目に焼き付けようと思う。多くの生命が溢れるこの土地を。
そうして、森を見て。ふと、思い出した。
「そういえばあの愚か者に余計な指示を出してしまったが……。まあ、かまわんだろう。あの魔女がどうとでもするはずだ」
そもそもあの愚か者にどうにかできるとも思っていないが。
魔王は小さく笑い、故郷である不毛の大地へと戻っていった。
・・・・・
壁|w・)実は魔女さんはやべーやつだった、というお話。




