閑話 関係のない魔王
「神とはつくづく不条理だ。そうは思わないか?」
王都の城の謁見室で、異形の巨体を持つ魔王はそう口にしました。彼の目の前には、対となった翼を持つ魔物に押さえつけられた王子がいます。
この国の第一王子。聖女の婚約者だった男であり、そして聖女を追放した男です。
王子は魔王の言葉には返事をせずに、ぶつぶつと独り言を言っていました。
「ありえない……どうして私が……。ようやく、あいつを追い出したってのに……」
「ふむ……。そうだな。お前のおかげだ。お前が聖女を追い出したからこそ、我らはこの地を取り戻すことができた。感謝しているよ」
この国には聖女の結界がありました。その結界があったからこそ、魔王率いる魔物たちはこの地に足を踏み入れられなかったのです。
ですが、この王子がどういうわけか、聖女を国外に追放しました。そのため結界は薄くなっていき、ついには魔王すら出入りすることが可能となりました。
まずは真っ先に王都を叩きました。そこから王都の周辺の町や村も滅ぼし、そして森を越えて次の人間の国も滅ぼしてしまおう、と考えていたのですが……。
「本当に、不条理だ」
魔王は玉座から立ち上がると、城の窓から見える景色に視線を向けました。
かすかに見えるのは、聖女の結界。どうやら聖女は隣国で拾われ、そこで結界を張ることにしたようです。そのせいで、隣国へと攻め入ることはできなくなりました。
それならばこの地の全てを支配しよう、と考えた魔王をさらなる衝撃が襲いました。
広大なこの地のある場所から、とんでもない力を感じ始めました。それは聖女の結界によく似た力で、魔王を含む魔物を排除する力を持っています。
ですが強大すぎるが故に、どうやら一気にこの土地を包むことはできなかったようで。今はゆっくりと、その結界が伸びていっています。何十年かかるかは分かりませんが、いずれはあの新たな結界がこの土地を包むことになるでしょう。
ようやくこの地を支配できる。そう思っていたのに、どうやら神はそれを許さなかったようです。新たな結界の担い手を呼び込み、今度は半永久的に魔物を追い出すつもりのようでした。
残念ですが、仕方ありません。不愉快ですが、どうしようもないことです。結界が周囲を包む前に、元の住処へと戻らなければなりません。
ですが。それにしても。
「不条理だな」
自分の境遇が、ではありません。魔物たちは元の場所で十分生活できるのです。どうせならと奪おうと思った程度なので、大人しく引っ込めばいいだけです。
ですが。あの新たな結界を作っている者は違います。
半永久的に続く、あまりにも理外の結界。あの結界のために、なにを代償にさせたのか。絶対にまともな方法ではありません。希望を作るために、相応の絶望を与えたはずです。
神の理想のために、そんな絶望を強制的に与えられた顔も知らない誰かへと。魔王はらしくもなく同情しました。
「もっとも、俺が言えた義理ではないな」
同情はしましたが、顔も知らない誰かも魔王に同情などされたくないでしょう。何故なら、魔王がこうしてこの地を攻めるという意志を持たなければ、そのような結界も必要なかったのですから。
つくづく、自分は業の深い存在だと自嘲気味に笑いました。
「だが。全ての元凶は俺だが、今回に限っての元凶はお前になるぞ」
魔王は王子の元へと歩き、その頭を乱暴に掴んで持ち上げました。
「きさま……! こんなことをして、ただですむと……」
「亡国の王子が、何を偉そうに……。もう貴様を守る騎士は一人も残っていないぞ?」
騎士どころではありません。この王都には、もう誰一人として残っていません。老若男女漏れなく、魔物たちの腹の中です。
青ざめる王子に、魔王は愉快そうに笑って言います。
「だが、俺も悪魔ではない。お前にチャンスをくれてやろう。新たな結界の担い手を殺せ。そうすれば、我らがこの地を統べ、お前にこの都市をくれてやるとしよう」
できないだろうがな、という言葉はあえて言わないでおきます。何の後ろ盾もなくなった王子に、人が殺せるとは思えません。ましてやあれほどの結界の担い手です。王子では傷一つつけられずに、きっと完全に無視されることでしょう。
それはそれで悪くない、と思います。魔王も使い魔ぐらいはこの土地に残すつもりです。どのような愉快な醜態をさらすのか、それを楽しみにするとしましょう。王子の醜態を酒の肴にする。これはなかなか良い娯楽です。
「ではな、王子。期待しているぞ?」
魔王はそうして王子の背中を叩きます。王子は体を支えられずに、その場に倒れ込みました。本当に情けない姿です。
魔王はそんな王子を笑いながら、腹心の配下たちを引き連れてその土地を後にしました。さっさと自分の土地に戻るとしましょう。
その際に理性ある魔物たちも連れ帰りますが、ろくに理性のない魔物については魔王も知らないところです。いずれは新たな結界に駆逐されるのでしょうが……。魔王にはどうでもいいことですから。
ああ、けれど。帰る前に。あの理外の結界には少しだけ興味がありました。
「ふむ……。少し、見ていくか」
腹心の配下に、理性ある魔物たちとともに帰るように命じて、魔王は理外の結界の先端へと向かうために空を駆けていきました。
壁|w・)まおーさま!




