02-02
宿のカウンターで、女は大きなため息をついた。外からは、家族が帰ってきた喜びの声が聞こえてくる。女の家族もきっとすぐに、と思っていたが、今この時まで帰ってきていないということは、今回の行商人とは一緒にいなかったのだろう。
この宿があるのは小さな村だ。王都からかなり離れた場所で、こんな村に来るのは物好きな変人か王都の役人ぐらいだろう。
そんな村の宿で、女は夫と息子と共に宿を経営していたのだが、つい先日、王都から来た役人が村の男をほとんど連れて行ってしまった。
なんでも、魔物の出現が多くなってきたから、その対応のために男手が必要なのだとか。
言葉は濁していたが、あれは兵士として連れて行かれたのだと思う。
ずっと宿の経営をしていた家族が兵士として戦えるとも思えない。きっと帰ってこないだろう。
旅立ちの前、家族水入らずで過ごし、そして二人は行ってしまった。
だが、つい先日、どういうわけか連れて行かれた男たちは途中の町で解放されたらしい。何人かの男が帰ってきて、その男たちから突然解散を言い渡されたと聞いている。
そこからは、どこの家も家族が帰ってこないかと待ち続けている。女もその一人だ。
基本的には旅慣れた行商人と共に帰ってくるため、行商人が来るたびにみんなが様子を見に行くようになっている。女も最初は必ず見に行っていたのだが、最近では見つけられなかった時が辛くて、行かなくなってしまった。
もっとも、家族がいないことが分かるとやはり辛いので、あまり変わらないのかもしれない。
女はため息をつきながら、宿の部屋の用意をすることにした。行商人が来たのなら、部屋が必要になる。ここはこの村唯一の宿だから。
そうして準備を始めようとしたところで。
「うん……? なんだい……?」
外の声の様子が、少し変わった。喜びの声が先ほどまで聞こえていたのに、なぜか今は困惑の声が聞こえてくる。
そして、何故か不思議とはっきりと聞こえる音。ぺたぺた、という軽い音。
不思議に思いながら外に出て、みんなが見ている方、村の門を見た。そして女は、他の村人と同様に困惑した。
女の子が一人、歩いてきている。真っ白なローブに同じ色の髪。何故か素足で歩いていて、ぺたぺたという音はあの子の足音らしい。
女の子の隣には、小さな猫……猫? 猫にしては、なんだか雰囲気が違うが、ともかく、動物が一匹。白い体毛に黒いシマが入った猫っぽい動物だ。
そして。何よりも異質なのが、その猫が縄をくわえて、とんでもないものを引きずっていること。
「もしかして……ヌシじゃ……」
誰かの声。女も、まさかと思いながらも、そうかもしれないと内心で考えている。
ヌシ。この近辺の森に生息する、巨大なクマ。魔力を浴びて魔物化しかけているのか、普通では考えられないほどに大きくなっているクマだ。
ずっと昔から生き続けているクマで、村人が襲われたのも一度や二度ではない。国の兵士が討伐に来てくれたこともあったが、クマはそれを察知していたのか姿を現さず、今の今まで討伐できずにいた。
それなのに。そんな危険なクマらしきものを、あの猫が引きずってきている。そんなあまりの光景に、村人の誰もが絶句していた。
「…………」
そんな村人を前に、女の子の方も戸惑っているようだった。
「むら……。むら? ついた。レオン。レオン。どうしよう」
女の子が助けを求めた先は、レオンという男……ではなかった。多分猫のことだ。レオンと呼ばれた猫も足を止めて、こちらをじっと見つめてる。
お互いに無言の、気まずい沈黙。誰もが言葉を発せずに固まっている。
だから。仕方なく、女が動いた。
「あー……。ようこそ。ファルの村へ。あたしは宿を経営してるジュリアだ。あんたは?」
「ん……。わたし?」
「他に誰がいるんだい」
少し呆れそうになるが、相手は幼い子供だ。優しくいかないと。
「リフィル」
「リフィルか。いい名前だね。ご両親はどこだい? 後から来るのかい?」
「いない」
「…………。あー……」
両親がおらず、女の子が一人で旅をしている。いろいろと考えられる理由はあるが、まともな理由ではないことは確かだ。
「嬢ちゃんは……保護を求めてここまで来たのかい?」
両親から、もしくは売られた先から逃げてきた、などを考えて聞いてみた。
「ほご……。ほご?」
「あー……。保護が分からないのか……」
正直なところ、真っ先に声をかけたことを後悔し始めている。助けを求めて村人たちへと振り返れば、誰もがこちらに期待をこめた視線を送ってきていた。
つまり助けるつもりはないということ。
ふざけんな、と内心で悪態をつきつつ、ジュリアはリフィルへと向き直った。
「あー……。うん?」
なにやら、リフィルと猫が顔を寄せ合って何かを話している、気がする。まさか会話ができるのだろうか。どう見ても猫はにゃあにゃあと言っているだけのように聞こえるが。
リフィルが顔を上げて、ジュリアへと言った。
「たび。とおっただけ」
「うん……? 旅?」
「たび」
旅。女の子と猫だけの、旅。普通では考えられないことだが……。
ちらりと、猫の獲物を見る。大きなクマ。首はないが、大きさは十分に分かる。思わずごくりと喉を鳴らした。
たまたま通っただけ。それなら、何もせずに通り過ぎてもらおう。
そう思った。それが一番。こんな理解が及ばないものに関わるべきではない。
それが正しいと分かっているのに、ジュリアはリフィルを見てしまう。幼い子供だ。おそらく、十歳程度の。
「はっ。バカがあたしは」
ジュリアは自嘲気味に笑って、リフィルへと言った。
「部屋は空いてるよ。泊まってくかい?」
「とまる……? やど……。とまる」
「そう。温かいベッドでゆっくり寝れるよ。もちろんペットも歓迎さ」
「んと……。おかね、ない」
「ああ……。何言ってんだい。金なら心配ないだろう?」
首を傾げるリフィルに、ジュリアはにやりと笑って猫が引きずっているクマへと指差した。
「それ。毛皮にするとかなりのもんになるだろうさ。行商人殿が買い取ってくれるよ」
「はあ!?」
思わずといった様子で声を上げたのは、件の行商人だ。少し前にこの村に来たばかりの行商人で、何を勝手なことを、と言いたげな様子ではある。
だが、改めてクマの死体を見て、行商人は少し考え始めた。頭の中で利益の計算をしているのかもしれない。あの巨体だ。かなりの量の毛皮になる。
「少し失礼。触っても?」
「ん……。どうぞ?」
行商人が恐る恐るとクマへと近づいて、その毛皮に触れて。
「加工が難しそうだ……。分厚く、強靱な毛皮。切るのも一苦労」
「わたし、きれる。とってもすごいナイフ」
「あー……。魔道具のナイフ、かな? それで切れると」
こくんと頷くリフィルに、行商人はよしと頷いた。
「分かった。買い取ろう。その代わり、教えてあげるから解体を手伝ってほしい」
「ん」
「ありがとう。宿の人! 部屋の確保を頼む!」
「あいよ」
どうやら無事に話がまとまったらしい。ようやく他の村人たちも動き始め、クマを解体しやすい広場へと案内し始めた。帰ってきた男たちには狩人もいる。あとは彼らがどうにかしてくれるだろう。
それならば、ジュリアがやることは宿の部屋の準備だ。
「それに……。あれだけのクマの解体だ。きっと時間がかかるし、腹も空かせるだろうね」
今朝方、鹿が狩れたとかで仕入れさせてもらったところだ。あの子たちのために焼いてやろう。そう決めて、ジュリアは部屋と食事の用意をするために宿に戻っていった。
壁|w・)初めての村!




