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失敗よ、どうか輝け #002



 ──すべての始まりは二〇三五年、灰色の設計図が最初の色彩を得た日に遡る。



 二〇三五年秋、議会の円形ホールには怒号と罵声が渦巻いていた。


「住民を押し出してまで縮小都市を作るなど、本末転倒だ!」

「いいや、人が減り続ける地方に旧来インフラを維持する方が愚かだ!」


 壇上のエリシアは視線を前方に据え、左指でメモをつま弾いた。ペンは必要ない。戦場では敵の言葉も味方の吐息も記憶に刻み付ける方が速い。


 会議を終えると、半月形の回廊を夕焼けが満たしていた。窓の外では古い赤レンガ倉庫が長い影を落とし、クレーンの骨組みが茜に染まる。


 補佐官のレオが足早に追い付き、肩越しに低く告げる。


 「予算委員会は否決寸前。技術局も『魔法工学炉の小型化は五年先』と渋い顔だ」


 エリシアは足を止め、雲間に滲んだ茜を見上げた。


 「街は干上がる寸前よ。水も電力も、人の心も。縮小じゃない。“圧縮”なの」


 圧縮。


 その言葉が、夕空に刻むように響いた。


 翌月、住民連合が動いた。「立ち退き拒否」を示す赤い旗が古い商店街に林立し、屋根の続く木造通りはまるで一匹の赤龍の背かたのようだった。迫る冬風を裂く怒声は、打ちつける雨よりも鋭い。



 二〇三七年初夏、工区A‐3で導管暴走事故が発生した。


 灰色の防壁が立ち並ぶ現場は、ひび割れた路面の下で魔力火花が脈打ち、青白い稲妻が縫い目を走らせていた。


 緊急記者会見。カメラ・クリスタルの赤光が列をなし、光条が交錯する。


 「被害は限定的です」とエリシアは言い、すぐに唇を噛む。


 もし失敗を認めれば計画は潰える。隠し通せば、街そのものを裏切る。


 “理想と現実の交差点で、何を第一に守る?”


 亡き父の声が脳裏に蘇る。


 胸の奥で一拍の鼓動。彼女はマイクを握り直した。


 「……いいえ。想定外でした。すべてのデータを公開します」


 会場がざわめき、いくつものホログラムパネルが宙で重なり合う。その潔さは危険でもあり、同時に武器でもあった。即座に対策チームを立ち上げ、技術者たちは図面を抱えて駆け出した。失点が、次の跳躍台へと姿を変える。


 事故現場の夕暮れ。足を止めたエリシアに、現場監督が欠片を差し出した。朽ちた導管片は、まるで都市の折れた肋骨。


 「都市はまだ、骨を鍛える途中だわ」


 その独り言は潮騒に溶け、黄昏の色に吸い込まれた。



 二〇四〇年、魔法工学炉《アーク0》が点火した夜。


 放射状道路の起点に屹立する炉心塔から、七色の衝動光が奔り出す。その瞬間、空は一枚のステンドグラスに変わった。光の網は、格子区画の屋根を瞬時に塗り替え、河川を淡い蒼に照らし出す。


 路面電車のキャビンでは帰宅途中の子どもたちが頬を寄せ、長老は杖に体重を預けながら手の甲に落ちる輝きを見つめた。


 「……これが、未来の灯か」


 エリシアは答えられず、ただ喉奥で息を飲んだ。胸内の結び目がほどけ、温度を持った安堵が全身に広がる。


 点火翌朝、塔の足元では露店が並び、焼きたての甘パンの香りが漂った。新生した都市は、夜を越えていきなり“日常”へ溶け込む。都市が生きものなら、夜明けは産声だ。



 二〇四三年、《旧リバーサイド》で最後の抵抗が続いていた。


 川沿いに蛇行する路地は、都市計画では真っすぐな大動脈になるはずだった。しかし住民は頑として譲らず、行政権も実力行使を選ばなかった。


 結果、舗装は途中でぷつりと切れ、両端から生えたコンクリの壁が無言で対峙する奇妙な空き地が生まれる。雨後の野草が隙間を彩り、路地裏は迷宮めいていった。


 一年後、その袋小路に屋台街が根を張る。曲線の路地が風を遮り、香草とスパイスが濃く滞留する。「迷路みたいで面白い」「家賃が安いから若い職人が集まる」──計画外の副産物が、都市のリズムを跳ねさせた。


 盛夏の夕刻、灯籠が揺れる屋台街で、エリシアは焼きたてのパイを頬張りながら笑った。


 「失敗が都市を面白くする。ね、父さん」


 手帳の余白に、彼女は静かに記す。


 『失敗よ、どうか輝け』



 二〇四五年、《ノウアーク》完成式典。


 天空橋の上、銀白の旗が翻り、魔導楽団のファンファーレが空を割る。議長は壇上で声を張った。


 「彼女は理想を語るだけの夢想家ではない。拒絶と失敗を抱き込み、都市に鼓動を与えた現実主義者だ」


 拍手の奔流の中、エリシアは深く頭を垂れた。


 しかし鼓動は不思議と静かだった。燃え尽きたわけではない。次の十年が、もう脳裏に青写真を描き始めている。



 展望台に差し込む陽光はいつの間にか黄金色へ切り替わり、ガラス床に長い影を落としていた。


 広場では簡易ステージが組まれ、小学生の合奏が音合わせを始めている。管楽器の高い音が跳ね、太鼓の低音が遠くで響く。


 背後から足音。レオ──今は副市長──が、透明パネルの報告書を掲げる。


 「市長。今月の新規入植申請、三千を超えました」


 エリシアは口角を上げた。


 「想像を超えたわね。あの頃の私じゃ辿り着けなかった場所に、もう街が立っている」


 拳で軽くガラスを叩く。遠景で放射と格子のラインが夕日を跳ね返し、都市の輪郭を金で縁取った。


 終着点ではない。だが、物語を始めるには十分だ。

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