a sequel(11)〜かけちがい〜
流れ行く景色は何時もと変わらない。
半年前に起きた魔獣侵攻も聖女に依る救済すらも夢の様だ。王都リンスフィアそのものは大きな被害を免れたが、騎士や森人には多大な犠牲が出たし、その家族も立ち直るには時間が少ない。
だが、馬車に乗るアスティアには生命の輝きと生きる喜びが感じられた。大量の物資が日々運び込まれ、リンディアは一種の好景気だ。街を進めば、あちこちに店が出ていて、多くの人だかりが見つかる。
「皆が笑顔ね。私もカズキが居て日々の幸せを感じる……でもカズキは今も人々に慈愛を向け続けているわ。癒しの力は封印され、自己欺瞞も自己犠牲、贄の宴も消え去ったのよ……? もう捧げるものも、その必要すら無くなったのに……」
ヤトは言っていた。慈愛と癒しはカズキが最初から持っていたと。
狂わされていた慈愛は本来の姿を取り戻したのだ。今こそが、あの子のまま、ありのままのカズキ……アスティアはクインに聞こえないよう一人呟く。
「間も無く西街区に入ります。居てくれたら良いですが……」
クインも何かを思っていたのか、言葉に力が無かった。
「いるわ……そんな気がするの。クイン、今まで人を癒してきたカズキがその力を失ったら、やっぱり哀しいのかしら……もう血を流す必要も痛みに顔を歪める事も無いのに」
「私達の前では、何時も楽しそうでしたね。今度こそカズキは自分の幸せの為に歩み始めたと、そう思っていました。でも……封印されていても、やはり聖女なのでしょう」
「もし泣いていたら、どう慰めてあげれば……もう力は出せないのだから諦めろと、そう伝えなければいけないの?」
「私にも……分かりません。ただ、寄り添うくらいしか……」
王女と侍女の二人は答えの見つからない心に戸惑い、もう一度流れる街並みに目を合わせるしか無かった。
チェチリアが個室に姿を消したのを確認して、更に奥に進む。確か酒を隠した部屋の手前に丁度良い場所があった筈だ。入院患者が一人寝ていたが、火傷の治療で寝ている事が多い。癒しの力があれば治してあげたいと思うが、もうあの力は感じなくなってしまった。それが何故か分かるのだ。
多分薬か何かで眠らせているのだろう、良く眠っていた筈だ。それに広い部屋に一人だったし、隠れるベッドには空きが沢山あった。あそこで一眠りしながら、ほとぼりが冷めるのを待てばいい。
醒めかけとは言え、酒の力はカズキに冷静な思考を許さなかった。チェチリアが確認に来たらどうするとか、寝ている間に夜になったら約束通りに帰れないとか、考える事は出来るだろうに。
「ここ、うん」
辿り着いた部屋は記憶の通りだった。ただ、沢山のベッドにはシーツやマットが無く、骨組みだけの物が多いのが目に付く。
洗濯でもしてるのだろうと、カズキは余り気にせずに奥へと入って行った。
間違いなく此処に寝ていた男が居なかった。帰りたいと話していて、強く印象に残っている。火傷は後から来る痛みが酷いと聞いた事がある。きっと辛かったのだろう。でも、退院出来たなら良かった……カズキはそう思いながら窓際まで歩み寄り、窓枠に隠れて外の様子を窺う。
「ない」
追跡者なし。安心感が全身を染め、カズキは後ろのベッドへと腰を下ろす。そうすると再び酒への欲求が生まれて来た。外は夕方間近だから、少しだけ暗くなって良い雰囲気なのだ。
朝から飲んでいたとは思えない心の声だが、それを叱るべき人は周囲に居なかった。
「捕まる、時間」
もう直ぐ夕方だし、捕まらなくとも帰る時間だ。流石にアスティア達をこれ以上心配させる訳にはいかない。だけど、もう少し……
直ぐ隣の部屋に酒が二本ある。片方はまだ開けられないが、もう一本なら。
ベッドから静かに飛び降りると、カズキはスススと廊下へ繋がる扉に張り付く。コクリと人の気配が無いことに満足し、音無く廊下へ出る。素早い動きで隣の部屋に忍び込むと、目的の場所へ直行だ。
しっかりと二本隠れているのを確認し、大きい瓶を奥から取り出す。そして立ち上がり部屋を見渡した。
「駄目」
やっぱり何人か寝ているし、何より万が一に此処で現行犯逮捕されたら、あの月のお酒へと辿り着かれるかもしれない。それだけは回避するのだ……
大きな瓶を小さな胸に抱き、再びさっきの無人の部屋へと舞い戻った。
そして、カズキの一人宴会が始まった。グラスも無いので、瓶を傾けラッパ飲みする暴挙すらオマケされる。もし黒髪のカズキであったとしても、聖女だと判断出来ないかもしれない。
身体に合わなかったのか、或いは逃走の疲れが出たのか……直ぐに眠気が襲ってくる。四口目を飲み込んだあと、一度目蓋が落ちた。
カズキは梯子酒擬きを断念するしかなかった。証拠隠滅に走ったところ、途中足の小指を角で打ったり、危うく転びそうになって肘を床で打ったりして涙が溢れた。大瓶を守ろうと手を着かなかったからだろう。
それでも、薄れていく意識を何とか保ち、僅かに減った大瓶を再び隠してベッドに横になったのだ。
「お休み」
カズキは直ぐに意識を手放し、夢の世界へと旅立っていく。追跡者が迫っているのも知らずに……
「アスティア様、どうされました?」
正面に馬車が止まったのに気付いたチェチリアは、正門へと回った。そして騎士に手を預けながら降りて来たアスティアに声を掛けたのだ。
今日は慰問の予定など無いし、それどころか最近訪れたばかりだ。聖女カズキも伴い、患者も大変喜んでいた。アスティアは心優しい王女だが、予定も無く現れる立場でも無い。
「チェチリア様……突然の訪問をお許しください。あの、もしかしたらカズキが来てないかと」
チェチリアは何時もの皺くちゃな笑顔を浮かべ、アスティアのお姉さん然を暖かく思う。白衣はそのままで、心配そうな表情を眺めた。
此処で以前カズキを治療した。早朝に血だらけで門の前に倒れていたのだ。その時は聖女の存在は噂程度で、衣服を裂いた時ひどく驚いたのを覚えている。身体中に散りばめられた刻印と、腕や脚の出血。擦過傷も見つかり、不穏な状況がありありと分かった。
報せるとアストが飛んで来て、再び驚いたりもした。
暫くすると聖女が世界を救済する。あの時治癒院にいた全ての患者が治癒して、開いた口が閉じられ無かった。老婆である事は当然自覚しているが、寿命が縮まって、同時に伸びた気がした日だったのだ。
「カズキ様ですか? 姿は見ていませんが……」
「そうですか……」
「アスティア様?」
「ごめんなさい。必ず此処だと思っていたので……」
落胆がアスティアを襲い、僅かに俯いた事で銀の髪はサラサラと揺れる。少しだけ薄暗い治癒院前でもその輝きは衰えたりしない。夜に溶けるカズキの髪とは対極の色だった。
「チェチリア様。大変申し訳ありませんが、少しだけ中を見てよろしいですか? 私とアスティア様だけで構いませんので」
「クインさん、構いませんよ。今は診察も終わってますし、書類仕事をしていただけですから。ただ、理由を教えて下さいますか? 私も神々の信徒として聖女様が気に掛かります。それと、奥の部屋には……」
「風土病……孤児の子たちですね? 今も?」
「ええ、ククの葉が間に合わなくて……もう、眠ったまま衰弱していきます。こうなってはククも効きませんし、せめて身体の痛みを和らげてあげるくらいしかありません」
「今年は……大量にククの葉が消費された上に、補充もままならなかったと聞いています。魔獣の襲来後、暫くは森に入れなかったのですから……聖女救済の後、その発症ではどうにも……」
「今は足りていますか? 何かあれば」
クインの説明は当然知っているアスティアだが、せめて何か協力をと申し出る。しかしチェチリアはやんわりと断り、そしてアスティアに返した。
「アスティア様をはじめ、陛下やアスト様からも多大な援助を頂いています。私にはお礼の一つも出来ませんが……」
「そんな……チェチリア様は偉大な治癒師です。きっとカズキだって」
「ふふふ……そういえばカズキ様の事でしたね。中にどうぞ、説明は歩きながらでも」
騎士達を残して二人はチェチリアの後を追った。やはり年老いた女性とは思えないしっかりとした足取りと姿勢に、アスティア達は尊敬の気持ちが強くなるのを感じていた。
「火傷……パジさんですね」
「はい。カズキは燃える水に注目し、何かを探していたそうです。そして心当たりはその方だけ……ご存知の通り聖女の刻印はヤトによって封印されています。せめて何か出来る事をと此方に来たのでは、そう考えたのです」
「アスティア様……パジさんは今朝亡くなりました。元々、別の病気も患っていましたから……火傷は其処に追い討ちをかけたのです」
「そ、そんな……」
「では……パジさんは?」
「クインさんの考えた通りです。もう此方にはいません。前から望んでいた家族の元へ、昨晩から来て頂いておりましたから」
「昨晩、今朝……」
時間からカズキの行動と合致する。封印されているとは言え、聖女の刻印は5階位。常人には計り知れない力が有っても何ら不思議ではないのだ。そのクインの独り言にアスティアも察する。
「クイン……」
「チェチリア様、パジさんが居らした部屋に案内して頂けますか? もしかしたら……」
「勿論です。あの部屋は清浄換気中で誰も居ませんから構いません。ただ隣はあの子達が眠っていますので、お静かにお願いします」
「はい。アスティア様、行きましょう」
「ええ」
一番奥、窓が側にあるベッドに小さな身体が見えた。あちら向きに横になり、いつもの様に膝を抱えている。丸まった背中は悲哀を表わしているのだろうか。
薄暗い部屋を静かに進むと、アスティアはその異変に気付いた。
「カズ……!」
静かにと言われた事を思い出し、アスティアは口を両手で塞いだ。だが、身体が震えるのを止める事は出来ない。カチカチと歯が鳴っているが、気にもならなかった。
クインとチェチリアも余りの衝撃に足を止めたのだ。
「嘘よ……」
フラフラと近づき、アスティアは触れたら壊れてしまうのではと不安になるカズキの元へ縋り付いた。
眠っている……上下する肩に息があるのだと思った。
あの瞳は光を放ってはいないが、僅かに涙の跡がある。それを見て三人は心が締め付けられるのだ。カズキが眠る其処は間違い無くパジが居たベッドだった。漸く辿り着いた時、パジが居ない事にカズキは何を思ったのだろう……
「こんな……髪が……」
恐る恐る指を当てると、あの指通りは消えて無くなっていた。ゴワゴワと抵抗を感じ、艶やかな生命力を感じ取れない。夜に溶ける漆黒は姿を変え、まるで燃え尽きた灰の様だ。
「何があったの……カズキ……」
余りの姿にアスティアは言葉を上手く紡ぐ事が出来ない。
続いてクイン達もカズキを囲い、呆然と灰色の髪を見る。間違いないはずなのに、まるで刻印に縛られていた頃の強い悲哀と苦痛を感じてしまった。
「無理矢理……」
クインはアスティアに目を合わす事無く、独り言の様に震える声を紡いだ。
「無理矢理に封印を解こうとしたのでは……もはや贄の宴は無く、聖女の刻印に力を送る事は出来ません。それはつまり、カズキが力を……癒しの力を出せないと、それを知り封印に挑んで……カズキにはもう一つの強い刻印がありますから」
「慈愛、ね」
「はい……しかし相手は神、しかも強力な一柱……太古から在る黒神のヤト。力を失ったカズキには到底勝てなかったのでしょう。それでも諦めず、その負荷が髪へと……」
「ああ……」
もう耐えられず顔を覆うアスティアから涙が溢れていく。チェチリアは無言のまま、アスティアの背中を摩った。
「何らかの力で、カズキはパジさんの最期を知ったのでしょうか……? 南の森では森人の、死者の声を拾ったと聞いています。そして、間に合わないのを知りながらも、城を飛び出した……」
全てが嘘であって欲しいと願うが、丸まった身体に纏わり付く髪は変わりはしない。
「きっとクインの言う通りだわ……見て」
カズキのスカーフを優しく取ると、ヤトの封印である言語不覚が目に入る。だが、それは問題では無い。その刻印の周りは赤く爛れ、美しい肌は見る影もなかったのだ。
「刻印に抗ったのですね……パジさんと同じ症状です。まだ軽いですが、まるで火傷の様……」
チェチリアは瞬時に判断し、棚に包帯と薬を取りに行く。
「きっと、パジさんの痛みを身代わりとして受け取ったのね……」
チェチリアがククの葉と軟膏を混ぜた塗り薬を持って来て、慣れた手つきでカズキの治療を始めた。包帯を巻き、苦しくない程度に縛る。言語不覚は再び隠され、白い包帯が痛々しい。
「起きないですね……目を覚ましてもおかしくないですが……」
「疲れてしまったのよ……騎士の方、ノルデに馬車まで連れて行って貰いましょう」
そう話すアスティア達は気付いた。
窓の外、新たな来訪者が来たことを……




