60.絶望への足音③
「ジョシュ、帰っていたか」
「殿下、遅くなりました」
アストの側付き、そして騎士でもあるジョシュはいつも通り口数は少なく答えた。周辺の状況を調べて貰う為、聞き込みを頼んでいたのだ。
「どうだった?」
ジョシュの表情は分かりにくい。だが、決して思わしく無いのは明らかだった。
「伝令の者、避難して来た者達に確認しました。間違いなく主戦派らしき騎士隊が誘導しています。テルチブラーノもマリギも先に森が燃えるのを目撃しておりました」
「そうか……ならば森人の知恵を使い、最短距離で突っ切ってくるぞ。リンスフィアまで長くても二日しかない。避難民を収容するまで時間を稼がなければ」
「リンスフィアに入らず、他の地域では?」
「ああ、それは最初に検討したよ。だが駄目だ。リンスフィアに誘導するだけならテルチブラーノを経由する必要がない筈だ。だが主戦派は態々人の多い町を進路に選んでいるだろう? 出来るだけ多くの魔獣を呼び寄せる為に、住民の命を気に掛けないどころか利用する気なんだ。平原や丘で襲われては、ひとたまりもない」
「分かりました。私は火の加護を持つ者を配置します。リンスフィアに延焼しては目も当てられません」
「ああ、頼む。南は時間稼ぎに集中してくれ、西と北を早く終わらせ押し返すぞ。私は北を……」
ジョシュは首を横に振り、有無を言わさずに返答する。
「殿下は南の指揮を。これはケーヒル副団長と決めています。よろしいですな?」
南は城壁も含めて防衛が強固だ。リンスフィアから最も近い森があるのは南で、カーディルも特に力を入れていた。アストも当然関わっており、南側を熟知する一人だ。城壁の再設計にも知恵を出していた。
逆に北は城壁こそ強固だが、平地が多く全面で魔獣を受け止める事になる。戦闘範囲も拡大し、戦力の集中が難しいのは間違いない。
「殿下、反論は受け付けません。私が北を、副団長が西へ参ります。指揮系統は維持しますから、南でお待ち下さい」
何かを言い掛けたアストにジョシュはたたみかける。反論すれば戦場にも出さない勢いだ。話し合う時間も足りない今、議論している場合ではない。どの道危険であるのは変わりはしないし、南は最後の決戦の場となる。
「分かった……だが、戦局が動けばその限りでは無い。それは理解してくれ」
「はっ……無論です。ですが殿下の出番など用意するつもりはありません。それはご理解頂けますな?」
ジョシュにしては珍しい冗談に、アストはニヤリと笑った。
「ほう……それは楽しみだ。泣いて私のところに駆け込んでくるなよ?」
「ふっ……ご冗談を。では、後ほど」
「ああ……ジョシュ、後でな」
ジョシュは礼をしてアストから離れて行った。その姿を見送ったアストには、城を出るその前に必ず会わなければならない者達がいる。
騎士である以上、死はいつも側に在る。
だが、死の恐怖より恐ろしいものがあるのだ。それは失いたくは無い愛する人に会えなくなる、それが何より怖い。残していく事が……もしかしたら泣き崩れるかもしれない姿を想うと、身体が震えるのだ。
アストにとってそれはリンディア王国であり、父カーディル、妹のアスティア、クイン達臣下、大勢の民……昔の様に、母アスの様に失いたくない者は多い。
そして、今はもう一人増えた。
たった一人だが、失うどころか傷付く姿だってもう見たくはない。泣き顔で無く、いつか笑い掛けて欲しい。もし出来るなら一声でいい、自分の名前を唇に乗せてくれたならどれだけの歓喜に包まれるだろう。
だから、アストは聖女の間へ向かうのだ。
「なんだが騒がしいわね……?」
アスティアは銀月と星の髪飾りに合わせた衣装を吟味するべく、無表情のカズキに次々と当てていた。黒髪のカズキだから、明るい色で際立たせたいが今一しっくり来ない……アスティアが次のスカートに手を掛けた時だった。
城内からも何か走り回る足音が響いているし、怒鳴るように声すら耳に届く。聖女の間は奥まった場所だし、王の間に近い。街や階下の喧騒などなかなか届くものでは無いのだ。
「そうですね? 今日何かありましたっけ?」
エリも次のワンピースを選び、手に持って首を傾げた。
カズキは良い機会だと思ったのか、煩わしい衣装から離れてベランダに向かった。もう二人を信じているが、それとこれとは別なのだろう。
「あっ! カズキ、まだ終わってないわよ!」
アスティアの声は当然届かず、カズキは扉に手を掛けた。何とか引き止めようとアスティアとエリはカズキの後を追う。
「やっぱりおかしい。此処まで届くなんて……」
カズキが扉を開けた事で、城下の喧騒が聖女の間へ届いていた事をアスティアは知った。
アスティアとエリはカズキの隣に立ち、リンスフィアを眺める事にする。
そうして3人の眼に街の様子が飛び込んで来た。
「どういうこと……?」
アスティアの呟きはエリも同感だった。
大門は解放され、騎士団が物々しい準備をしているようだ。王都周辺の村々からだろう民衆が少しずつ集まって来ている。城からは何頭もの馬が行き来し、あちこちで焚き火を熾していた。
アスティアには馴染みが余りないが、戦時体制そのものだ。
「何かあったんだわ……クインなら何か知ってる筈よ。エリ、探しましょう」
決して雰囲気は良くない。間違いなく悪い事が起きたのだろう。ベランダからカズキの手を引き聖女の間に戻った2人は目を合わせた。
「アスティア様はカズキと一緒にいて下さい。また、行方不明とか嫌ですからね!」
エリが聖女の間を出ようと歩き出した時だった。
「アスティア、いるかい?」
くぐもった声がノックと共に扉の向こうから聞こえる。アスティアもエリもよく知る声だ。
「兄様? 待って、今開けるわ」
普通ならエリが扉を開きアストを迎え入れるが、何かを感じたアスティアは走り寄り扉を開けた。
そして扉の先に立つアストを認めた時、アスティアは酷い不安に襲われる。訓練用では無い愛用の鎧を着込み、使い込まれた剣を腰に差していたからだ。
「兄様、何が……」
今日は訓練は勿論、遠征の予定も無い。アスティアは何時もカーディルやアストの予定を把握して、手伝えることを探しているから不思議に思って当然だった。
「大事な話がある……エリも聞くんだ」
カズキも言葉は分からずとも、何時もの緩やかな時間には思えないのか大人しくしている。アストはカズキを見詰め、アスティアに再び目を向けた。
「2人に頼みたい事がある。凄く大事な事だ」
カズキが座り大人しく待つテーブルへ皆が集まった。エリは何か怖くてお茶を準備する事も出来ない。
アストの優しい瞳はなりを顰め、リンディアの王子として……一人の騎士としてアスティアに話しかけていた。
だからアスティアは一人の少女からリンディアの王女へと変わり……凛と背筋を伸ばした。
「お聞きします」
「現在リンスフィアに向け魔獣の群れが侵攻中だ。テルチブラーノは壊滅し、センも放棄した。マリギ……北部からも南進していて、止められない」
「……避難は……皆は無事ですか?」
アストは自らで無く、先ず人の心配をする妹を愛おしく思った。だが事実は優しくはない。
「テルチブラーノは避難する暇も無かった様だ。駐屯している騎士達が頑張ってくれただろうが、かなりの死傷者が出たのは間違いない。今は避難民の受け入れと、その時間を稼ぐべく部隊編成を急いでいる」
死傷者という言葉に、アスティアの瞳は揺れた。揺れはしたが、強い光を放つ瞳は変わらずアストを見ていた。
「そうですか……騎士の皆様の奮闘に心からの感謝を。それではこのリンスフィアが戦場に?」
「ああ、その通りだ。残念だが……この侵攻は主戦派が画策したものだ。人為的に発生させたんだよ」
「なんですって!? では……魔獣を誘い込むと?」
流石にアスティアは動揺し、声を荒げた。エリだけでなくカズキの肩すら揺れたのを見て、アスティアは腰を落ち着ける。
「そうだ。主戦派はリンスフィアが決戦の場所だと思い込んでいるんだろう。もう止められる時間は無い。2人に頼みたい事はそれに関係しているんだ」
「私達に出来る事……騎士の皆様にお役に立てるとは思えませんが」
「主戦派が以前から唱える魔獣殲滅の方法がある。以前アスティアに少しだけ教えたやり方だ」
「聖女……カズキを円陣の中心に据えて、騎士を癒しつつ戦う。その事ですか?」
「ああ、その通りだ。今カズキがいるのはリンスフィア、その中心だ。だから……」
「リンスフィアを巨大な陣と見立てて、カズキを利用する気ですね」
戦争に疎いアスティアだが、見事に的を得ていた。
「そうだ。2人に頼みたいのはカズキを聖女の間から絶対に出さない事、それだけだ。ベランダも避けて欲しい」
「カズキを……聖女として利用させないと?」
「カズキは刻印に縛られて、無理矢理に聖女の力を行使するからだ。ベランダから戦場を見てしまったら、それだけでカズキの意思は奪われてしまう」
今なら分かる。東の丘で自らを癒したカズキは刻印に操られていたと。美しくも意志の感じない瞳、ナイフで傷付ける事に躊躇などしなかった。残酷な運命に縛られた、唯の少女だったのだ。
「詳しくはクインから聞いて欲しいが、カズキはリンディアの……いや、世界の希望なんだ。まだカズキは聖女として目覚めていない。だから、今は刻印に弄ばせる訳にはいかない」
アストは愛おしい聖女を見て、美しい瞳に目を奪われてしまう。世界の為……それは建前だと自覚している。身勝手な、一国の王子にあるまじき思いだと分かるのだ。
それでも……1人の男として愛する女を守りたい、きっとそれだけなのだろう。アスティアも、クインやエリも皆を守る。リンディアも全てが愛おしい。でも、カズキへのソレは渇望だ。押し流される、抗うことなど出来ない強い感情の波なのだから。
必ず生きて帰り、この胸にカズキの小さな体を抱き締める。
「分かりました。必ずカズキを守ります」
アスティアの返事にアストは妹を見る。
「ああ、頼んだよ。暫くしたらクインが来るだろう。護衛の騎士……ノルデ達を残していくから安心してくれ」
若き騎士ノルデは絶対の忠誠を聖女に誓っている。一度だけカズキを傷付けた事を悔い、自らの命すら捨てるとアストに言った程だ。
「はい……に、兄様……」
王女から優しい妹へと戻ったアスティアは、アストの広い胸へと飛び込み強く抱き締めた。鎧越しでもアストの力強さが伝わるようだ。
「アスティア……大丈夫、必ず勝つさ。ケーヒルもいるし、ジョシュも戻って来た。森人だって協力してくれる。アスティアを悲しませる事なんて私がする訳がないだろう?」
アストはアスティアの小さな頭を撫で、銀色の髪へ唇を落とした。アストの鼻腔には妹の優しさそのものの香りが届く。
抱き合う二人は気付かなかったが、仲の良い兄妹の姿をカズキは眩しそうに見ていた。それは物語を読むように、カズキのいた世界の映画を見るように……それ程に遠い世界を感じていた。
だから、アストの次の行動にカズキは反応すら返せなかったのだ。
アスティアから離れたアストはカズキに近付き、妹にする様に抱き締めた。まだ椅子に座ったままだったカズキは、アストに包まれて小さな身体を隠す。少しだけ身体を震わせたが、身動きはしなかった……いや、出来なかった。遠い世界がいきなり目の前に現れて、驚くしかなかったから。
「カズキ……大丈夫だよ。必ず守ってみせる……愛しているから……」
アストは伝わらない事を承知で言葉を紡いだ。言いたかったから言った、それだけだ。
アストはサラサラと揺れる黒い前髪を指で避けて、小さな額へキスをした。ビクリと震えるカズキが可笑しかったのか、アストも笑みを浮かべてもう一度唇で触れる。
「では、行ってくる」
エリの頭を軽く撫で、アストは剣に片手を添えて聖女の間を後にする。扉から出る時、もう一度だけ振り返った。
「兄様、御武運を……」
アストの目には祈るように胸へ両手を合わせるアスティアと、未だに呆然とするカズキ、ちょっと吃驚顔のエリが映る。
「必ず帰るさ……」
三人には聞こえなかっただろうが、それはアストの願いそのものだった。




