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46.赤と黒の狂宴②

 




 道中は有意義な時だった。


 ヴァディムは優秀な騎士なのだろう。幾つかの魔獣の情報を惜し気もなく晒し、森人の話を熱心に聞いた。ユーモアも交え、時に笑いすら起こった。


「そういえば聖女様は何処に?」


「人見知りだからね。馬車に隠れてるよ」


 どの馬車とは答えなかったが、ロザリーは正直に返した。


「ほう、やはり奥ゆかしい方なのでしょうな。我等のような無骨者では、お会いした途端に泣かれてしまうかもしれませんな……はははっ」


 奥ゆかしい……カズキを形容する言葉として、これ程に遠いものがあるだろうか。まあ、見た目だけなら何とか通じるかもしれない。


 ロザリーは内心笑いながらも、カズキの名誉の為に黙っておいた。


「まあ、そんなとこさ。ところで目的地はまだ遠いのかい?」


 位置としては当初と逆で南の森に近づいている。このままなら森を遠くに目視出来る程に接近する事になる。


「もう間も無くですな。目立たない様にあの丘の裾野に待機しています。此処からでは見えませんが、丘を越えれば直ぐに合流出来るでしょう」


「そうかい。ケーヒルの旦那は相変わらずかい?」


 此処までセンから離れればもう気は使わなくて良いだろう。そう思ったロザリーは漸く聞く事が出来た。


「副団長は変わりようが無いですな……王家への絶体の忠誠は誰にも勝てません。我等の魔獣への強い思いを束ねても追い付かない程です」


 何かが引っかかってしまうロザリーだが、そこ迄おかしな話でもない。気にせず続けた。


「へえ……おっ、見えて来たね」


 丁度丘を登り切った事で裾野に展開している部隊がみえた。人数としては中隊規模というところか。


 此処からはケーヒルの巨体は見えはしないが、何処かにいるのだろう。


「では、先行して皆さんの到着を報せて来ます。御一行はゆるりとおいで下さい」


 そう言うとヴァディムは騎士2人を残して丘を駆け下りて行った。中隊も今起き出したかの様に動き始めている。あちらからも当然マファルダストが見えているのだろう。


 ロザリーは乗っていた馬を預けてカズキのいる馬車迄歩く。御者台に幌から顔を出していたらカズキは、ロザリーが戻ったからか元の位置にちょこんと座った。


 丘から見える景色は特に代わり映えしないが、特徴的なのは彼方に森が見える事だろう。森までの間に僅かに見える盛り上がりは岩の塊だ。一部の森人はそこで準備を行い、森に入る。偶然なのか、そこはイオアン達が一時を過ごし、背負袋を下ろした場所だった。


「あれは……爺様がよく使っていた岩だね。面白い偶然もあるものだよ」


 暫しイオアンを想ったロザリーだが、此処で立ち止まっていてもしょうがない。カズキの頭を撫でたあと、鞭に力を入れた。














 ロザリーは先行して中隊に近づき、騎士達の顔が見える距離になる。目立つのは新人らしき若者達が多い事だろうか。ヴァディムの様なベテランはむしろ少なく、如何にも訓練している集団という趣だ。


 どの道既に伝わっている以上隠してもしょうがないと、カズキは素顔を晒している。やはり騎士達に警戒感があるのか顔が強張っていた。ロザリーはもう一度カズキの頭を撫でて、安心させる様笑顔を見せた。


「本当に黒髪なんだな……」

「ああ、眼も聞いていた通りの色だし、何より……」

「刻印だな……間違いない」

「献身と慈愛、リンスフィアの奇跡……」

「……アレが聖女か……」


 まだ多少距離があるとはいえ、カズキの特徴的な容姿と首元に見える刻印に騎士達はざわつき始める。多少不躾な言葉が耳に入りロザリーは気分が悪くなった。


「最近の騎士は礼儀がなって無いね。カズキが怖がってるじゃないか」


 言いながらも馬車を止めて、御者台から飛び降りたロザリーの耳に嗄れた声が響いた。


「それは失礼した。まだまだヒヨッコ共だ、多少はお目溢し願いたいな」


 集団から少し離れた方から一騎の騎士がゆっくりと近付き、ロザリーに声を掛けたのだ。


 焦げ茶色のザンバラ髪、無精髭、同じ色の瞳。


 側にはヴァディムが控え、彼が一定の立場にいる者と理解出来る。


 だが、その騎士を一目見たロザリーは顔色を変えた。忘れたくても忘れられないあの時、年齢こそ重ねたが間違いなく()()()が居たのだ。


「ディオゲネス……何故お前が騎士団に……お前は追放された筈だろう!!」


 ロザリーの憤怒の怒声は周辺に響き渡り、騎士団だけで無くマファルダストすら騒然とさせた。


「会った事があるか? こんな美人を見たら忘れる筈もないが」


「お前が忘れても私は覚えているぞ……マリギの悲劇の元凶め、よくも私の前に顔を出したな!」


 ロザリーは今にも腰の小剣を抜きそうで、フェイやリンド達にも緊張が走る。


「落ち着けよ隊長さん。今の俺は教導官のディーだ。お前達と争う気は無いし、やるなら只では済まないぞ」


 ディオゲネスは変わらず脱力したままで、ロザリーの怒りすらまるで無い様に振る舞う。事実脅威には感じていないのだろう。


「教えろ! マリギで、撤退命令が出ていた筈だ……どうして命令を無視して魔獣どもを呼び寄せた!? アレさえ無ければ……フィオナは、ルーは、皆が助かったのに!」


「……ああ、お前マリギの生き残りか? 決まっている、魔獣がそこにいるなら斬るのが俺の仕事だ」


 新人達の中にはマリギ出身の者も居る。ロザリーの慟哭は幾らかの動揺を与えたが、ディオゲネスにはそんな事は関係ない。1人になったとしても剣を持ち魔獣に叩き付ける事しか頭には無かった。


「貴様……」


「姐さん、落ち着いて……拙いです、何処にもケーヒル副団長の姿が無い。此処を離れた方がいい」


 フェイの小声で我に帰ったロザリーは思わずカズキを見る。そしてカズキの様子がおかしい事に気付き、ロザリーは自らの怒りが消え去るのを感じた。


 胸に抱えたナイフがガタガタと揺れている。


 あの美しい翡翠色の瞳は一点から動く事もせず、薄紅色の唇は青白く変色していた。その内背後には背凭れがあるにも関わらず、少しでもそこから距離を取りたいのか後退ろうとしている。


 震えている?


 ロザリーは感情の発露が乏しいカズキが此処までの怯えを見せた事に酷く衝撃を受けていた。ならば動かない視線の先は……


()()()()()()()()()。あの地下室以来か?」


 ニヤリともせずにディオゲネスは胸に装備したナイフを少しだけ抜いて戻した。


 ガタン!!


 それだけでカズキは馬車から飛び降り、反対側へと駆け出して行く。


「カズキ!!」


「追います! 姐さんも早く!」


 騎士達はマファルダストに危害を与える気は無い様だ。むしろディオゲネスの言葉に動揺すらしていた。


 目の前には愛する家族を殺したも同然の男が無表情で立っている。アレは事故だと理解はしているが、許す事など出来よう筈が無い。そのディオゲネスはカズキを見てはいるが、追う様子も見せず佇んだままだ。


「ディオゲネス、お前一体……」


「聖女様に久しぶりに会ったからな、少し悪戯が過ぎたか。アイツの力は凄いぞ、流石の俺も開いた口が閉じられ無かったよ」


 地下室、聖女の力、カズキの恐怖……


「……お前が、お前がやったのか!? カズキを傷付けて……」


 ここで初めてディオゲネスは笑い、ロザリーを見た。酷く気色の悪い笑顔だった。


「只の実験だよ。そして、その力は使える。正に聖女様だ」


 ロザリーは我慢出来ず遂に小剣を抜いた。コイツはフィオナ達だけでは飽き足らず、カズキすら殺す気だ。走り去ったカズキは気にかかるが、ディオゲネスだけは行かせる事を許せない。


「そんな事させない……」


 ロザリーが剣を抜いた事でマファルダストも騎士達にも目が座った。


「お前ら!手は出さなくていい。ちょっとした勘違いだ。少しだけ話せば誤解も解けるさ、な?」


「ふっ……!」


 鋭い踏み込みで瞬時に接近したロザリーの剣は、小剣らしい小さな軌道で即座にディオゲネスに到達した。


 キンッ!!


 さっきまで無手だったディオゲネスの手には、既に剣が握られている。


「おー、痛ぇ……手が痺れるな。信じられない女だ、聖女といい最近の女は恐ろしいねぇ」


 全くその場から動かず、大袈裟に手を振って見せるディオゲネスからは余裕しか感じない。


 その余裕の態度にも姿勢を変えず、ロザリーは真っ直ぐに小剣を構えて身体ごと突っ込む。鋭い突きはディオゲネスからは一つの点にしか見えないだろう。新人達もその剣技に驚きを隠せなかった。先程もこの突きも、自らが防ぐ事が難しいと理解出来たからだ。


 だが……瞬きした後、ロザリーの手に小剣は既に無く、クルクルと飛び上がって背後の土に突き刺さった。


「くっ」


「はい、おしまい。さて、隊長さんよ、いいのかい? 言葉の理解出来ない御偉い聖女様は、何故か森へと向かっているようだ。あの餓鬼は森が危険だと本当に知っているのかな?」


 最早ディオゲネスは言葉を選ぶ事すらしない。


 逃げ出す時は丘では無く、森に誘導する様に部隊を配置はしていた。しかし此処まで上手く行くとは笑いが止まらんよ……そう1人呟くとディオゲネスの前でロザリーは慌てて振り返った。


 カズキは見事に馬を操り、南へと走り出していた。今回の旅の合間にロザリーが少しずつ教えていたからだ。


「……カズキ! 駄目よ!!」


 ロザリーは小剣を拾う事もせず、近くにいた馬へ飛び乗った。


「くくく……いよいよだな……」


 ユーニードには悪いが計画など関係ない……森は直ぐそこにあり、聖女は森へ向かっている。おまけに()()()()()()()()()()()()()()。ならばやる事はただ一つ、漸くこの時が来たのだから……


 ディオゲネスは剣を鞘におさめると、振り返って命令を発した。


「聞け! 皆見た通りだ……聖女様は我等に森に来いと言っている。魔獣共に聖女を捧げるのか? 皆には何度も言った筈、聖女の癒しの力は我等に永遠の力を授けてくれる! 日々の訓練を思い出せ! 魔獣に剣を叩き付ける時が来たのだ! 我等には聖女がいる、全員騎乗!!」


 ザワザワと落ち着きのない新人達に更に声が掛かった。


「全員聞いただろう! ()()()()()の御命令だ! 復唱しろ!」


 ヴァディムはロザリー達に見せた笑顔は無く、新人達を睨み付けた。


「はは! 全員騎乗し、聖女と共に魔獣を!!」


 動揺していなかった新人の1人が復唱すると、次々と声が上がり始めて全員が騎乗する。中には混乱の中にいた者もいるが、集団心理には抗えなかった。


「よし、行くぞ! 森人達は相手にしなくていい! だが逆らったら思い知らせてやれ! 聖女は俺が確保するから牽制を頼む!」


 実際に聖女を見た興奮も其れを助けたのだろう、ディオゲネスの狂気は伝染していく。


 森人達の馬は脚の速さよりも、体力と膂力に特徴のある種類だ。重量物を長い距離に渡り引っ張る為には当然だろう。


 一方騎士達が操る馬は、速度と正確性を鍛え上げた馬種で追い付くのに問題は無い。



 マファルダストの一行も殆どは離れた場所にいた為、状況を未だ把握出来ていなかった。


 マファルダストの中で動き出したのは、フェイ、ジャービエル、リンド、そしてロザリーだ。


「元の目的地にケーヒルの旦那がいる筈だ! ドルズスも居るから急ぎ知らせな! 奴等は……」


 主戦派だ……!


 ロザリーの悲鳴にも似た声はマファルダストの皆に響き渡った。


 随分先に達したカズキだが、まだ不慣れだからだろう。まだ、十分追いつける!


「森に入るのだけは止めないと……」


 ロザリー達はカズキを救うべく全力で走り出した。


 背後では騎士達がゆっくりと動き始める。


「カズキ……!」













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