45.赤と黒の狂宴①
人死など、ありふれた世界ーーー
家族を失い、泣き叫ぶ人を大勢見て来た。
パチパチと、ゴウゴウと、森は赤い炎に包まれている。
炎の壁は高く舞い、その向こうに見える赤い魔獣達を覆い隠す。奴等はユラユラと身体を揺らし、炎が消え去るのを待っているのだろう。
所々に赤褐色の粘土らしき物が盛り上がり、その周辺には力付きた人形が倒れ伏している。剣や矢は魔獣の死体に突き刺さり、幾本も折れて曲がっていた。
魔獣との死闘は其処に終焉の世界を現出させたのだ。
事象の中心にいる聖女は両膝を地面につき、真っ赤に染まった両手でユサユサと揺らす。
起きて。目を開けて……もう一度、黄金色の瞳を。
ーー行かないで
ーー捨てないで
ーー置いていかないで
ーーどうして、どうして
慟哭は、悲鳴は、唇から零れたりしない。それなのに聖女の叫びは見る者の眼を通し、頭蓋に直接反響する。魂魄を揺さぶるソレは、見慣れた筈の終焉の景色を涙で滲ませていった。
黒神ヤト。
司るのは悲哀、憎悪、痛み。
ヤトの加護を一身に受けた聖女の、悲哀と憎悪の叫びは只人とは違うのか……ケーヒルはボンヤリとする意識で周りを見渡した。
森人のフェイは、両膝を泥に落として頭を抱えて泣き叫んでいる。
ジャービエルは珍しい雄叫びを上げて、赤い死体に剣を何度も突き立て続けた。
新人と聞いたリンドは、両手をダランと落として茫然と立ち竦んだままだ。
そして、ケーヒルの足元には血に染まった男が倒れている。さっきまで狂気を振りまいていたその男は、最早ピクリとも動かない。先程ケーヒルがトドメを刺した。
ユサユサ、ユサユサ……聖女は飽きもせずに揺らし続ける。あの美しい翡翠色の瞳には涙の跡があり、その跡も新たに流れ出た涙に上書きされていく。
声は出ていない、言葉は紡がれていない。それなのに声が聞こえる……それは幻聴なのか。
それとも紡がれた言葉の幻視?
今、間違いなく聴こえ、視えたのだ。
ーーお母さん、と。
その時、世界は真っ白な光に包まれていった。
それは癒しの光なのか、それとも只の幻なのか。
ケーヒルには判らなかった。
「よし、出るよ!」
ロザリーはセンを発つマファルダストの面々に視線を送り、鞭を入れた。
御者台の横には変わらずカズキが居て、先程手に入れたばかりの物を嬉しそうに眺めている。そう、両手で持つソレを嬉しそうに見ているのだ。
「揺れるし、危ないから仕舞っておきなさい……はぁ、聞いてないよねぇ」
センで見つけたナイフは見事に仕上がっており、鈍い光沢と美しい刃紋すら滲んでいる。そして磨かれた事で益々聖女の瞳の色に近付き、偶然だろう真っ黒の鞘は象徴的な黒髪を具現しているようだ。
「そこまで気に入ってくれるなら、手に入れた甲斐があるけど……何か釈然としないねぇ……」
別の店で見繕った可愛らしいイヤリングは、チラと見た後に箱に収まってそのままだ。銀月と星の髪留めをしてくれただけ、まだマシなのだろうか?
「酒とナイフ……アンタ、ホントに女の子かい?」
何処から見ても可愛らしい女の子にしか見えない相手だ。そのカズキに冗談をぶつけながらロザリーは馬を操っていた。
マファルダストは予定通り、直接は南に向かわない。ドルズスが計画した道を辿り、ケーヒル達に偶然を装って会う手筈だ。念には念を入れているが、果たしてそこ迄警戒するべきかロザリーにも判断出来ない。此処まで主戦派の気配は僅かにも感じ無かったのだ。
カズキはセンに居た時と違い、森人と同じ服装に身を包んでいる。手に入れたナイフも、腰や背中などに装備出来るだろう。
未だ人の目がある以上マントを被っているが、漸く陽光を黒髪に届けられる。窮屈な思いをさせて来たが、もう少しだとロザリーは息を吐いた。
ドルズスの話では、訓練と称して村周辺を回っているらしい。早駆けと急停止を繰り返し、隊列を崩さない訓練を実際に行なっている……そう聞いている。
「アンタとも、此処までかね……」
一月にも満たない時間だったが、ロザリーにとってはキラキラと輝く日々だった。もう二度と会えない事は無いだろうが、カズキは聖女なのだ。一般の人間とは違う。リンディア王家は身近な存在ではあるが、それでも限界は存在する。
ケーヒルがカズキの保護を求めたらロザリーは応じるつもりだし、それしかない。仮に主戦派が紛れていても、ケーヒルなら御するだろう。
ジッとマントから見え隠れする横顔を見ていたからか、カズキはナイフから眼を上げてロザリーを見返した。見る?と綺麗なナイフを差し出したカズキにロザリーは思わず吹き出す。
「ふっ……はははっ! いいよ、大事に抱えてな! ふふふ……」
いきなり笑い出したロザリーに、カズキは意味が分からないと整った眉を歪ませた。
「くくく……やっぱりアンタは最高だよ。世界にたった一人しかいない聖女様なのに、まるでその辺にいる餓鬼じゃないか……ふふふっ……」
寂しさはある。それでもカズキが居るリンディアなら、きっと幸せなんだろう。母親の真似事をもう一度出来るなど考えてもいなかったが、ロザリーは森人なのだ。森に潜り命を天秤にかける仕事に、本人が望みでもしない限り連れ回す事など出来ない。
だから、心の中に浮かんでは消える寂しさを誤魔化し、笑顔で前を向いて進む。
森人にとって別れは日常なのだから。
暫くは無言の時が流れて、カズキは素顔を晒していた。
風に僅かに揺れる黒い前髪と、銀月と星の髪留めがキラリと輝く。伸びて来た後髪をクルリと纏め、髪留めでしっかりと固定している。うなじを隠しもせず、刻印も露わになった。
どうせこれから会う皆は聖女を知る者ばかりだ。窮屈な思いをして来たカズキに、少しでも気楽に過ごして欲しい。そう気遣うロザリーだが、万が一には備えている。マントはそのままで、頭部は何時でも隠す事が出来るだろう。
「姐さん」
「どうした?」
前から後方に下がって来たフェイが隣に並んだ。
「前から連絡です。まだ遠いですが、騎士の一団が近づいて来ています。動きは緩やかで、危険な兆候はない様だとリンドは言ってますが……」
「へえ、リンドは本当に目が良いんだねぇ。まあ、挨拶くらいなら大丈夫だろうさ。もし情報が手に入る様なら呼んでおくれ。カズキには一応隠れて貰おう」
「分かりました。とりあえずは私が対応します」
「ああ、頼んだよ」
ロザリーと合わせてフェイを見ていたカズキは、用事が終わったと感じたのだろう。再びナイフに視線を落とし、クルクルと鑑賞を始める。
「カズキ、人が来るみたいだから少しだけ我慢しておくれよ」
意味が伝わりはしなくてもロザリーは言葉にしてカズキの顔を覆い隠した。カズキも特に逆らう事も無く、ロザリーのするがままだ。
「いい子……とは違うかね……? 夢中なもの以外に目がいってないだけ、かな」
ロザリーは足の止まった馬車達を見て、御者台に立ち上がった。
「マファルダストの御一行ですね? 同行をお願い出来ますか? 我らの上官がお待ちです」
三騎の騎士達は馬上からヒラリと降りると、通る声で先頭にいたフェイに話しかけた。
「確かに我らはマファルダストです。しかし、上官がお待ちとはどういう事でしょう?」
ドルズスの話では偶然を装って合う筈だった。迎えを寄越すなど予定には無い。
「貴方はフェイ殿ですな? 皆さんなら良くご存知の筈だ。しかし、不測の事態により急遽の変更となった事をお詫びしたい。詳しくは上官よりお聞きなさるが良かろう」
三人の中ではベテランなのだろう。フェイよりは歳下だろうが、それでも十分な貫禄を感じた。申し訳ないと顔を歪ませ、最後には柔らかな笑顔すら見せた。
「……少しお待ち頂きたい。隊長に取り次ぎます」
「勿論です」
フェイはひとまずロザリーに状況を伝える事にした。
道中に騎士や森人と出会う事はままある。その際はお互いに情報交換を行うのは一般的だし、立ち話すら珍しくは無い。今回もそのつもりだったが、どうやら事は単純では無さそうだ。
「判断に迷うところだな……」
特におかしなところは無いが、事は聖女に関わる事だ。一応念を押しておく方が良いかもしれない。そう考えたフェイはリンドにロザリーへの伝言を頼み、騎士達に向き直った。
「暫くお待ち下さい。そういえば、訓練の真最中だとか。重い装備を抱えながらの訓練など、さぞ大変でしょう?」
「はっはっは……フェイ殿。誇りある森人にそう言って貰うのは嬉しいものですが、その内慣れるものです。リンディアの為、魔獣を倒す為の訓練となれば気合も入るものですよ」
「そういうものですか……? 国の剣と盾である騎士には何時も頭が下がる思いです。今はどういった訓練を?」
「……そうですな。色々とありますが、今は隊列組みの訓練です。崩さないまま突進し、即座に止まりて抜剣する。弓兵は背後に位置し、距離を間違わない。単純ですが重要な訓練ですよ」
ドルズスから聞いた訓練で間違いない。確定は出来ないが、一先ずは安心か。
「単純な行動には、時に他には無い力を発揮するものです。それを繰り返す事には深い意味があるのでしょう。そういえば、お名前を伺って無かった様です」
「おお、これは失礼した。私の名は……」
「フェイ、待たせたね」
「状況は聞かれましたか?」
「ああ、不測の事態で迎えを寄越したんだろう?」
「ドルズスに聞いた訓練内容は一致しました。どうします?」
「……ケーヒルの旦那の名前は?」
「あちらも、こちらも出していません」
「ふん……従うしか無いだろうね……元々の予定地までの距離は?」
フェイは離れた場所にいる騎士達に目を配り、答えた。
「単騎なら数刻でしょう。速い奴ならまだ短縮出来る」
ロザリーは何時もの様に腕を組み、女性らしい膨らみを押し上げた。
「今のところ主戦派の影は見えないが……念を押しておこう。足の速い奴を2、3人予定通りに走らせる。理由は適当に作るさ」
フェイに指示を出したロザリーは騎士の元へ向かった。
「待たせたね」
「ロザリー殿ですな。私はヴァディム、お見知り置きを」
「ロザリー殿はやめておくれよ。私は只のロザリーさ」
「ほう、噂に名高いマファルダストの隊長ですが、やはり素晴らしい御人柄ですな。了解しました、私の事もヴァディムとそのまま呼んで下さい」
「あいよ。直ぐに向かいたいところだが、センに重要な装備を忘れてきてね……今から隊を分けて戻すから待ってくれるかい?」
「ふむ、センならそう時間は掛かりませんな。ではこうしましょう。ロザリー達は我等に同行して下さい。上官にお会いになる頃には再び此処に戻られるでしょう? 我が隊から迎えを寄越します。残念ながら此処で留まっておく訳にもいきませんからな」
「ヴァディム、世話掛けるね。じゃあお願いするよ……フェイ! 聞いた通りだ、2、3人残しておくれ!」
「了解しました。では、移動するぞ!」
少しして騎士達に先導されたマファルダスト一行は移動を開始した。
ロザリーもフェイも、他のマファルダストの隊員達すらも善良な人々だった。人の悪意を知ってはいても、自身の常識を超える想像など中々出来る物では無い。聖女との旅路は思いの外に幸せで、皆が浮ついていたのも否定出来ないだろう。
魔獣の狂った悪意を良く知る森人達は、人が時に魔獣すら霞む行動に出る事を信じはしない。彼等にとって最も強い悪は魔獣以外にはいないのだから。
その先に狂った宴、狂宴が待っている事も知らずに。




