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25.妄執の行き着く先④

 












 黒の間に、暗い悲しみの帳が降りていた。


 いつものアスティアの明るい悲鳴も、エリの笑顔も、クインの暖かくも厳しい眼差しもそこには無い。







 いつもよく眠るカズキが使っているベッドの縁に、アスティアが茫然とした表情で座っている。エリも直ぐ側に立ってはいるが、何をしたら良いのかとあちこちに目をやっていた。


 扉の近くでは騎士2人とアストが話をしていて、低い声が部屋に反響する。


「……ユーニードに呼び出された?」


「はい……ただ実際はそんな呼び出しはしていないと、急ぎ戻ったところ今の状況でした」


 アストは怒りが湧き出すのを感じたが、無理矢理に抑え込んで続ける。しかしそれでも隠しきれない感情が溢れ出たが、もうそれを止めようと思わなかった。


「……来たのは間違いなく1人なんだな? 風貌は?何か気付いたことは?」


「は、はい。濃い茶色の髪と目、騎士の鎧をしておりました。鍛えられた体や、もつ雰囲気からも経験ある騎士と判断してしまいました。も、申し訳ありません!」


「……謝るのはカズキに対してだ。どれだけ恐ろしかったと思う? 周りの状況を見ろ、必死に抵抗したんだぞ! 今も……いや、もういい。任務に戻ってくれ」


 恐ろしい想像をしてしまいそうだったが、アスティアが肩を震わせたのを見て言葉を重ねるのは自重する。騎士達は敬礼をして足早に黒の間を去っていった。後で何らかの処罰が下されるが、それはケーヒルに任せようとアストはクインを見た。


「殿下……これを」


 クインの手にはナイフがあった。食事用だが、凶器として使用出来るよう粗く砥がれている。


「これは?」


「洗面室の壁板の隙間に隠してありました。カズキは何かを警戒していたのかもしれません。もしかしたらこの誘拐も……」


「くそっ! そんな兆候なんて……犯人の目的は」


 思わず俯くと割れたクリスタルの欠片がキラキラと輝くのが見えて、無力感がアストの体を苛んだ。考えたくも無いのに、カズキの出す事が出来ない悲鳴を上げる姿を幻視してしまう。


「殿下」


「ケーヒル! 何かわかったか!?」


 ケーヒルが戻って来たが、顔色は優れないのを見てより一層気持ちが落ち込んでいく。


「残念ながら黒の間までの間に、目撃者はおりませんでした。殿下……いかに上手くやろうとも、これは出来過ぎです。悔しいですが内通者を疑うべきかと。各城門には通達を出します。ここに至っては情報の隠匿も不利になるでしょう。全てでなくても構いません、許可をお出しください」


 少しだけ考え頷くアストを見て、ケーヒルは指示を出すべく黒の間の扉をくぐっていった。



 先程から俯いたまま動かない妹の横に座ったアストは、自分に言い聞かせるように肩を抱き寄せて呟く。


「必ず見付ける。リンディアの外には出さない、助け出すよ」


 アスティアの碧眼からはポロポロと涙が落ちてアストの服を濡らしたが、誰一人指摘することなどなかった。










 エリに手を引かれたアスティアが姿を消すのを見て、アストはクインに視線を移した。


「どう思う?」


「間違いなく情報が漏れたのでしょう。この黒の間まで一人の少女を拐いに来るなど考えられません。聖女としての価値を知られたとしか……」


「犯人はカズキを何かに利用する気か? 身代金目的もあり得るが……いやそれはないか。リンディアの中では危険が過ぎる、かと言って他国に逃げるのも困難だ」


「やはり癒しの力を何かに利用する気でしょうか……? 治癒させたい誰かの為に拐ったのなら辻褄は合います」


 どうしたところでカズキにとって良い結末にはならない。やはり何としても見つけ出さなくては……アストは焦る気持ちを胸に黒の間を出て行く。


 クインは手に持ったままのナイフに目を落とした。その鈍い輝きに自身が本当のカズキを知らずにいたことを認めるしかないと悔やむ。専属の侍女として、自身は不足だったのかと。普段泣くことの少ない目から一筋の涙が零れ落ちて、その雫はクリスタルに弾かれて消えていく。


 暫くそこから動く事も出来なかった。
















 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○






「これが聖女だと? 思っていたより子供だな。刻印は……ふん、確かに刻まれているようだが」



 意識のないカズキは薄汚れた木の椅子に座っていて、頭は前側に深く俯き動かない。両足はそのままだが、肘掛けに両手は縛られている。更に細い腰回りには革の太いベルトが外れないように巻かれ、そこから鎖が伸びて石床に固定されていた。両手が自由になっても鎖の届く範囲しか動けないだろう。その皮のベルトにも鍵が掛けてあり、自力では逃げる事も出来ない様になっていた。


 カズキ達がいる空間は全体を石で覆われていて、空気の循環用の小さな穴が二つ程ある。奥にはまだ部屋があるようだが扉は閉り、壁の蝋燭はユラユラとした光でカズキ達を照らしていた。


 リンスフィア郊外にある馬屋の跡地に、カズキは連れて来られていた。既に放棄されて久しい馬屋には人の気配はない。その場所は、その馬屋から隠された階段を降りた地下空間だった。





「貴様まで来て大丈夫なのか? 今は正体を知られる訳にいかないだろう」


「ああ、顔は隠す」


 ユーニードはディオゲネスに目だけが空いた白い仮面を見せて、それを着けた。


「何より聖女の力を自分で確認したい。ディオゲネス、怪我人は用意出来てるのか?」


 ユーニードのくぐもった声に、ディオゲネスは顎でしゃくって奥の扉の方を示した。


「家族を無くしたりした独り身の者達だ。借金で首が回らない連中ばかりで、少しばかり脅してある。病人は諦めろ、都合のいいのがいない。ただ騎士や森人で無い者も必要と思ってな、一人だけ女もいる」


「そうか、後は聖女が目を覚ますのを待つだけだな」


「聖女のイメージと違って、なかなか根性のある餓鬼だ。思った様にはいかないかもしれないぞ?」


「ほう、どういう事だ?」


 ユーニードは一流の戦士であるディオゲネスが言った言葉に興味を唆られる。


「大した事じゃないが、一部始終を見てたんだ。ナイフを持った大人に怯むこともなく対峙していた。体の使い方もいい。決断も早いし、実行する行動力もある。もし女でも子供でもなければ、良い騎士になれたかもな……ほら、そこにいるのが伸された大人だ」


 ディオゲネスは壁際に寄りかかり立っていた黒尽くめの男を真顔で指差した。そのボイチェフは苦々しい顔を隠さなかったが、流石に反論はしない。


「ふん、まあいい……私は後ろで見ている。やる事はわかってるな?」


「ああ、任せておけ。貴様こそ耐えれるのか?」


 少女が痛めつけられる様を見る事に……ディオゲネスはカズキを見ながらそう言葉を続けた。


「全ては魔獣を根絶やしにする為だ、そんな事は些細なことに過ぎん」


 ユーニードには魔獣の断末魔しか見えてはないのか、妄執に駆られたその目は鈍く光を放つだけだった。






○ ○ ○






 少しずつ戻ってきた意識だが、まだ気絶したフリをしながら様子を伺う。腕を椅子に固定され、腰回りにも何かで縛られているのを感じる。周りには複数の人の気配。やはり話している内容は理解出来ないが、それは最初から諦めていた。


 最悪な状況に絶望の淵へ落ちてしまいそうな心を、何とか奮い立たせてチャンスを伺うしか無い。カズキは周りに分からないよう薄っすらと目を開き、丁度見える腰回りを確認した。


「おい、こいつ意識が戻ってるぞ。様子を見てやがるんだ……やはり中々の奴だ」


 何処かで聞いた声だと記憶を探ると、意識を失う前に見た焦げ茶色の髪の男と思い当たった。押さえ付けた絶望感が襲ってくる。それでも何か情報をと、俯いたまま目だけを動かしていた時だった。


 顎を持たれて強引に上を向かされ、カズキは痛みで思わず眼を見開いた。


「ほらな? ボイチェフ、油断するとまたやられるぞ?」


 あの時の男に間違いなく、すぐ横には頭にクリスタルの馬を叩きつけた大男がいる。


 こうなってはしょうがないと、カズキは二人の男を睨みつけて周りを見渡した。部屋の奥にはもう一人いて、気色悪い白い仮面を着けている。腕に力を入れて前後に動かしてみたが、全く外れそうにない。隠しても無意味だろうと、ガタガタと椅子にも力を入れてみたが結果は同じだった。


 カズキは何時ものように心を別にして、痛みや屈辱が来る事に身構えるしかない。









「これが聖女の力なのかねぇ……こんな時でも狼狽えずに動けるなんて信じられんよ。こんな(なり)でどんな修羅場を潜ってきたのやら」


「ディオゲネスさんよ、始めてもいいか?」


「んー? ああ、先ずは刻印の確認からだな」


「待ってました! 少し幼いが見たこと無い美人だし、役得だよな。ちなみに犯っていいのか?」


 ディオゲネスはユーニードを見たが、首を横に振るのを確認して答えた。


「ダメだ。指示された事だけに集中しろ」


「ケッ……まあしょうがねえ、仕事だしな」


 ディオゲネスの冷めた目には気付かずに、ボイチェフはカズキの前に立った。


「先ずは首回りか。鎖の様な刻印で、首に巻き付けてある様に見える。一部は耳の後ろまで来てるな」


 ボイチェフは右手で黒髪を掻き上げ、首筋からうなじにかけて鼻を着けて匂いを嗅ぐ。ワザとらしく音を立てながらだ。


「ふへへ……餓鬼にしちゃ中々色っぽいじゃねえか……」


 イヤラシイ顔をしながら襟をつかんで無理矢理左肩を露出させた。折れそうな細い首からスッとした鎖骨と肩にかけて柔らかな曲線を描いている。蝋燭の灯りしかない地下でカズキの肌は妙に白く艶めかしく見えた。


「左肩にもあるな、こっちは神代文字が目立つ感じだ」


 そのまま前に来たボイチェフは、掴んだままの襟を力尽くで下に引き裂いた。


 ーービッビリリッ!


 細い腰に巻かれた革ベルトのお陰で全てが引き裂かれはしなかったが、胸元からベルトのあたりまで縦に肌が晒されてしまう。下着はしていない。


「ククク……お次は右胸にある刻印を確認してやるよ。ほれ、見えてしまうぞ、クク」


 そう言いながらワザとらしく上からゆっくりと開き始めた時だった。


 ーーゴキャッ!


 カズキはブオッと頭を振り、ボイチェフの鼻っ柱に思い切りぶつけた。


「ぐえっっ……!」


 更に自由な足を使ってボイチェフの足の小指辺りを狙い思い切り踏み抜く。


「痛え! ……テメエ!」


 ボイチェフはカズキの髪を掴んで上を向かせた。ブチブチと何本かの髪が抜けたが、ボイチェフは気にもせず平手で頬を打ち抜いた。


 乾いた音がカズキの頬から響き、軽い身体は簡単に傾いて椅子ごと横倒しになってしまう。口元からは僅かに血が滲み、頰は赤く痛々しい。胸も晒され、スカートは捲れてやはり白く見える太ももと下着すら見えた。意図せずして、内腿と脛にもあった刻印が露出したが、カズキは涙ひとつ見せずにボイチェフを睨みつける。


「この餓鬼がぁ……!」


 情けない事に鼻血を出しながら、カズキを痛めつけようと髪を掴んだところでディオゲネスが待ったをかけた。


「もういい、確認は十分だ。聖女で間違いないな?」


 ユーニードが無言で頷くのを確認したディオゲネスは、カズキを椅子ごと起こして元の位置に戻し感嘆の声を上げるしかない。


「こいつは予想以上のタマだ……ボイチェフ、お遊びは終わりだ。このあと好きなだけ痛めつければいい。わかったな?」


「……ああ、分かった」









 カズキの絶望的な夜は始まったばかりたった。















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