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三十二話 あなたを信じさせて

 クラウド様に名前を呼ばれた女性……いえ、マリアンヌ様は、涙ぐみながら口元を両手で覆った。


「はい、そうです、マリアンヌですわ……! クラウド様、ずっとお会いしたかったです……!」


 そう言って喜びの涙をぽろりと流しながら、マリアンヌ様は心底嬉しそうに笑った。

 対照的にクラウド様は、何も言わずにマリアンヌ様を見ている。その表情には、罪悪感と戸惑いが隠せていなかった。


 私も、当然だが何も言えなかった。というよりも、完全に蚊帳の外だった。

 それどころか、完全に『いないもの』として認識されている……いや、恐らく認識すらされていないのだわ。


 きっとマリアンヌ様の目には、クラウド様しか映っていないのだろう。そうでなければ、女性を連れた男性に対し「ずっと会いたかった」なんて普通は言えるはずがない。


 ……尤も、マリアンヌ様が普通じゃない可能性もあるのだけれど。


 クラウド様が、複雑そうな表情で口を開いた。


「マリアンヌ……その、傷は大丈夫なのか?」

「そんな昔のこと、もう忘れてしまいました! それとも、私がどこか怪我でもしているように見えますか?」

「いや……元気なら、それでいいんだ」


 数年ぶりの幼なじみとの再会……のはずだけれど、二人の温度は正反対だった。


 感動と喜びに溢れているマリアンヌ様。

 気まずさと罪悪感でいっぱいのクラウド様。

 ……そして、立ち尽くしているだけの空気な私。


 そんな状況に気付いているのかいないのか、マリアンヌ様が少しだけ頬を赤く染めてクラウド様に話しかけた。


「あの……私、もうすぐ閉店時間なんです。ですから……クラウド様さえよろしければ、この後お茶でも……どうでしょうか?」


 ____嘘でしょう!? 女性連れの男性をお茶に誘うなんて……。

 本当に、私のことが見えていないのね……ここまで来ると、逆にすごいわ。


 ……クラウド様は、なんてお返事をされるのかしら。まさか、幼なじみとの久しぶりの再会だからって、頷いたりしないわよね……?


 お願いだから、信じさせて……!


 ____そんな私の願いが届いたのかはわからないけれど。

 クラウド様は先程までの気まずそうな表情から一転、真剣な顔付きでハッキリと告げた。


「悪いが、今日はこれから最愛の妻と舞台を観に行くんだ。だから、すまないがマリアンヌには同行できない」

「えっ……? つ、妻……? ご結婚されていたのですか?」


 マリアンヌ様が一気に焦り出す。そして、ようやくクラウド様の隣にいた私の存在に気付いたようだった。


「お初にお目にかかります。グレンウィル公爵夫人、アイリスと申します」

「え……あ……。わ、私はコーニッシュ侯爵家の、マリアンヌでございます……。そ、その……先程は公爵夫人の前で、大変失礼なことを申し上げてしまい、申し訳ございません……!」


 マリアンヌは、泣きそうな顔で必死に頭を下げてきた。

 ……素直な人なのね。なんだか拍子抜けしてしまった。


「いいえ、気にしておりません。マリアンヌ様のことは、以前クラウド様から伺っておりましたから」


 ……気にしていないなんて、大嘘だ。

 でも、こう言わないとなんだか……この人に嫉妬していた私が嫌な女に思えてしまう気がして。


 マリアンヌ様はほっとした表情を浮かべてから、再びクラウド様の方へ向き直った。


「クラウド様も、失礼いたしました。情けない話ですが、私は最近ずっと家に籠っていて……外へ出るのも、こうして街へ手作りのアクセサリーを月に一度売りに来る時くらいなのです。社交界へは……その、顔を出さないようにしておりますから」

「……俺のせいだろう?」

「ち、違います! けれど、私の顔を見るとクラウド様のことを悪く言う方がいらっしゃるのが許せなくて……それだけなのです、本当に」


 ……マリアンヌ様は、きっと良い人なんだろう。

 でも、なんだろうかこの胸のモヤモヤは。

 なんというか、少し隙を与えると二人の世界に持ち込まれてしまうというか……そんな感じがした。


 マリアンヌ様が手をいじいじと動かしてから、上目遣いでクラウド様に告げた。


「あの……よろしければ、今度お手紙をお送りさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「……すまないが、俺は妻が大事でな。あまり心配させたくないんだ」

「そ、それなら! お二人に向けて手紙を書きます。それなら、良いでしょう……?」


 クラウド様が困ったように、私の顔を見る。


 本音を言うと……少し、嫌だった。でも、ここで断ってクラウド様に「心の狭いやつだ」と思われる方が、もっと嫌だった。


 だから……。


「私は構いません。お手紙、楽しみに待っておりますわ」


 また、嘘をついた。


 マリアンヌ様の顔がパッと明るくなる。

 その笑顔を見て、なんだが胸に棘が刺さっているみたいに、チクチク傷んだ。

 これは、罪悪感だ。


「ありがとうございます! では、後日お送りさせていただきますね! ……クラウド様、今日はお会いできて本当に嬉しかったです。運命かと思ってしまいました。それでは……」

「悪いが俺の運命の女性は、リリー一人だけなんだ。良ければ、俺じゃなくリリーと仲良くしてやってくれ」


 クラウド様はそう言って、マリアンヌ様から背を向けた。


 私はマリアンヌ様を横目で見ながら、クラウド様の後を追う。


「リリー、済まなかった。……大丈夫だったか?」

「えぇ、信じておりましたから」

「そうか……それなら良かった。俺はリリーに嫌われたら、生きていけないからな」


 ……それは、きっと私の方。

 でも、今日はなんだか悔しくて、「私もです」と返すことは出来なかった。




 この時意地を張らずに「愛しています」と言えればどれ程良かったか。

 私はすぐに、この選択を後悔することになるのだった。

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