第百六十八話 鬼神天使渚ちゃん
季節は梅雨に入ろうかという六月上旬、B組では学園を震撼させる噂が飛び交っていた。
あの、生徒たちを恐れおののかせていた鬼神の如き女王が、まるで天使のようになってしまったとの大事件だ。
しかし、天使といっても少し事情が違うようで――――
「おはようございます、渚女王様」
「渚女王様、おはようございます。今日も素敵です!」
「渚女王様!」
「女王様~」
「おはよう……あら、あなた、リボンが曲がっているわよ」
クイクイ――――
ビックンビックンビックン!
渚がクラスメイトの制服のリボンを直す。超絶美形の渚に見つめられた女子が放心状態だ。
「はわわ~渚女王様に触っていただいたわ~もうどうなっても良い! 女王様、足を舐めます!」
「きゃあぁぁぁ! 私も舐めたいですわっ!」
「私も~」
「うるさいわね、あたしの足を舐めて良いのは春近だけなのよ」
「きゃああああっ! 渚女王様~」
「もっと詰って~」
「お仕置きしてください!」
何故こんな面白いことになってしまったかといえば――――
春近と渚が深く繋がり合ったあの日、渚は本当に次の日まで一日中ベッタリだったのだ。
夜は勿論一緒のベッドで見つめ合ったまま寝て、次の日曜日も朝からずっと抱きついたまま過ごしていた。
トイレの中まで付いて来ようとするのを、春近が真剣にお願いして許してもらったくらいだ。
テレビを観ていても、テレビではなく春近を見つめていて、食事をしていても心ここにあらずで春近を見つめていて、もう世界に春近しか存在しないかのようにベタ惚れになってしまった。
もう、デレッデレを通り越してドロッドロだ。
前から愛が重かったのだが、更に当社比20倍は重くなった感じだと思えば分かりやすい。
春近は、渚のあまりの愛の重さに、この先どうなってしまうのかと本気で心配したくらいだ。
こうして出来上がったのが、威圧感を残したまま天使感を出した鬼神天使大嶽渚なのだ!
この鬼神天使の厄介なところは、鬼神力と天使力の並列起動により、周囲の人々を次々と下僕にしてしまうことである。
次の日、何を思ったか渚は心境の変化が起き、少しはクラスメイトとコミュニケーションをとろうと、自分から話し掛けるようになった。
しかし、渚の魔眼のような瞳で見つめられると、元から持っているカリスマ性と魔性の目力のコラボによって、クラスメイトが次々と下僕になりたがってしまうのだ。
話し掛けられた女子たちは、渚の瞳で撃ち落され唐突な百合展開のようになってしまった。
男子は最初から下僕なのだが、渚が男は春近にしか興味がないので、もっぱら撃ち落されるのは女子だけなのだ。
「おはよーっ、渚っち」
渚が席に着くと、あいが寄って来る。
「おはよ、ふうっ……人付き合いも大変ね」
「それはちょっと違うような……」
渚の文句に、あいがすかさずツッコミを入れる。
「渚っちも大変だね……」
「もうっ、何でこうなるのかしら」
「そう考えると……実は、はるっちってスゴい人なのかな?」
「えっ?」
「だって、出会っていきなり渚っちの呪力をくらっちゃって、足まで舐めさせられたのに、それでも普通にしてるし……」
「そういえば……」
他の人が簡単に下僕になってしまうのに、春近だけは濃厚に執拗に絡んでいるのに、いまだに抵抗しているように見える。
「ふふっ、ふふふっ……あたしと春近は、出会う前から運命の人だと決まっていたからよ」
「うわ~エッチしちゃった余裕かなぁ?」
「うらやましやぁぁぁ~」
「「きゃあっ!」」
天音が机の下から現れた。
何やら前髪が乱れて顔に垂れ下がり、オドロオドロしい雰囲気を醸し出している。
「天音っ! どっから出て来てんのよ!」
驚いた渚が天音を問い詰める。
「いいなぁ……渚ちゃんは……ハル君とエッチしまくりで……」
「しまくってはないけど…… まあ、春近とは心も深く繋がった気がするわね」
「もうっ、私の番はいつなのよぉぉ~」
「知らないわよ。春近に直接聞いてみたら?」
「うわっ、勝者の余裕ってやつですかぁ?」
「ああっ! もう、面倒くさい!」
「うちもまだなのに……」
渚にウザ絡みしている天音を見て、あいが呟いた……
その頃、肝心な春近はといえば――――
「うーん、このままで良いのだろうか?」
「おい、ハルちゃん! 何でそこで立ち止まろうとしてるんだ? 最後まで走り続けるんだ!」
ハーレムなんて許されるのかなどと素朴な疑問を口にした春近に、和沙が自分の番が回ってこない危機感から必死に頑張らせようとしている。
「でも、倫理的に……」
「こらっ、ハーレム王になっておきながら、今更それか! 最後まで頑張るんだ!」
「でも、昔は頑張るのが主流だったけど、最近は頑張らない方が良いと主張する人も増えてきたので」
「くっそ、誰だ、そんな主張をするのは、恋もスポーツも地獄のシゴキで千本ノックだ!」
「和沙ちゃん、いつの時代の人ですか……?」
和沙が昭和のスポ根アニメのようなことを言い出す。
「和沙ちゃんの事は大切に思ってるから大丈夫ですよ。オレが気にしているのは、楽園計画特区の島に行く前にエッチなことばかりしたら、世の女性たちに怒られやしないかと思って」
「キミは変なところで真面目だな。だが、そんなキミは嫌いじゃないぞ。やはり男は一途に一人の女を……って、何で私はハーレム男を好きになってるんだ!」
「えぇぇ……今更ですか……」
お互いに今更なことを言い合っていた。
和沙も前に言っていた理想とは全く違う春近を好きになってしまうのだから、恋というものは分からないものである。
「次は私なんてどうだ? 私はいつでも準備万端だぞ。バッチグーだ!」
「和沙ちゃんって、実は昭和生まれとかじゃないですよね?」
春近としては、元々恋愛に臆病な性格だったのに、この学園に入ってから急に彼女がたくさんできてしまい、同時進行で付き合うのに慎重なのだ。
ムッツリスケベなのに相手の気持ちは大事にしたいと思う、この元非モテだった男心も分かって欲しいと思っている。
だが、お相手の女性は全員春近に惚れているので、実は彼女たちはいつでもOKだと思っていた。
放課後、春近が廊下を歩いていると、天音が座り込んでいるのが見えた。
すぐさま駆け寄って声をかける。
「天音さん、大丈夫ですか? 調子悪いの?」
「あっ、ハル君……大丈夫だよ……」
「大丈夫じゃないですよ。しっかりして下さい」
天音は、髪は乱れ目の下にクマが出て、明らかに衰弱しているような様子だ。
「何だか最近疲れているのかな? 眠れなくて……」
「保健室……じゃなく寮まで運んで休ませた方が良いのかな? 天音さん、行きましょう」
春近が天音を抱えて一緒に歩き出す。
「大丈夫だよ。たぶん、あいちゃんが前に言っていた、はるっち欠乏症だから。ハル君と一緒にいればすぐ直るよ。なんかハル君に抱かれたら、ちょっと元気出てきたし」
「ええっ」
「ハル君が悪いんだよ……私を構ってくれないから……」
「天音さん……」
はるっち欠乏症になった天音は、果たして恋の病から全快することができるのか――――




