第百十話 怨霊の箱
車は長野県で高速道路を降り、暗く深い森の中を走っている。
時刻は夜中の三時を過ぎた頃だ。
峠道を抜けた森の先に少し開けた場所があり、白いコンクリートの建物が見えてきた。周囲にには有刺鉄線の付いたフェンスに囲まれている。
ブロロロロロロ――
車はフェンスの扉の横で止まった。
「ここです、到着しました」
三善が声をかける。
眠気でうつらうつらとしていたルリと、春近の肩に頭を乗せて眠っていた咲が起きる。
「んっ、やっと着いたの?」
「ふぁあっ……アタシ寝てた……?」
「蘆屋満彦は?」
春近の問いに遥が答える。
「ここまでは、追手は居ないみたいです」
神通力で管狐を使い周囲を警戒し続けていた遥は、ずっと気を張っていた為か疲れているようだ。
「飯綱さん、少し休んでいた方が……」
「まだ、大丈夫だから」
「でも……」
「まだ、気を抜けないよ。何かあるか分からないから」
春近に大丈夫と答える遥だが、疲れているのは誰の目にも明らかだ。
車から降りていた三善が、フェンスの扉を開ける。更に奥にある建物の重厚そうな扉の鍵を開けた。
「さあ、行こう」
三善を先頭に、春近たちは建物の中に入って行った。
建物の内部はコンクリートむき出しの壁に、天井の蛍光灯が妖しく光り不気味な雰囲気を醸し出している。空調は効いているはずなのに、何故か寒気がする気がした。
殺風景な部屋の中央には箱が設置され、護符のような物がベタベタと何枚も貼り付けられ、その周囲に注連縄で何重にも結界が張り巡らされている。
傍らに机と椅子が有り、そこに警備担当者が座っていた。交代で監視業務をしているのだろが、この不気味な雰囲気の部屋での仕事は大変そうだ。
「変わりはないか?」
「はい、問題ありません」
三善の問いかけに、警備担当者が答える。
「ハル、何か怖い……」
咲が春近の腕に抱きつく。
「咲、だ、大丈夫だよ。俺がいるから」
「ハルっ」
春近を掴んだ咲の手に力が入る。
不気味な箱を見つめながら春近は考えていた。
こんなんで大丈夫なのかよ。最初は石を盗んだ犯人を見つけて簡単に解決なのかと思っていたのに、圧倒的だった戦力は分散されてしまい、おまけに蘆屋満彦まで絡んでくるなんて最悪なんじゃないのか?
飯綱さんは周囲への警戒で神通力を使い続けて疲れているし、今この時に玉藻前の怨霊や蘆屋満彦に襲われたら、対抗できるのはルリだけの気がする。
そうだよ。古今東西、戦力の分散や連携不足は愚策といわれてるよな。
何だか心配になってきたな――――
それから何時間経っただのだろうか。不意に遥が声を上げる。
「来た! 強い呪力を感じる」
皆が眠気で限界に達していて、遥の声で全員に緊張が走った。
「私が倒してくるから!」
ルリが立ち上がり扉へと走る。
「ルリ、気を付けて!」
春近と咲が後に続く。
外は明け方になり東の空から明るくなり始めている。朝もやに煙るその中を一台の車が近づいてきた。
「あれか? 明らかに怪しいぞ」
出入口から出た春近が呟く。
車はフェンスの手前で止まり、中から警備員の制服を着た男が降りた。
「あれです、間違いない! 最初の事件の時に行方不明になった警備担当者です!」
三善が建物から出て近付き、男を確認する。
「きひっ、きひっ、きひっ……」
男は奇妙な声を上げ妖気を漂わせたような、明らかに異常な雰囲気を出して近づいて来る。
まさに、何かに取り憑かれたような感じだ。
「あれ、やっぱり取り憑かれてるよね。あれを捕まえれば良いの?」
近づいて来る男を指差してルリが言う。
「今、フェンスの扉を開けますから」
「要らない」
三善が鍵を取り出すが、ルリは断り前に出る。
ギュワァァーン!
ルリの周囲の空間が歪みプラズマのような光が走る。誰の目でも分かる程の強い呪力が溢れ出て、美しい肢体に煌くような光を纏う。
そのまま地面を蹴りジャンプをすると、体は軽々とフェンスを越えて男の正面に着地した。
グワンッ!
空間を歪めて男を捕らえようとするが、素早い動きで躱される。
なおもルリは近づいて行く。
ルリは、男と戦って驚愕していた。
魅了や精気吸収が効かないのだ。
動きも早すぎる。とても人間の動ではない。
「やっぱり怨霊が乗り移っているのかな。もう、直接捕まえるしかないのか。厄介だな……」
ルリが大きく一歩を踏み出そうとした時、男は突然ルリに背を向け走り出す。
「待て!」
ルリは凄いスピードで走る男を追いかけて行く。
「ルリ! 気をつけて」
「今鍵を開けます」
三善がフェンスの鍵を開け、春近と咲も外に出る。
「私は車を調べてみる」
三善は車の方に向かい、春近と咲はルリを追う。
「ハルと咲ちゃんは待ってて、捕まえてくるから!」
「ルリ、無理はしないで!」
「無理するなよ。ルリ」
心配する春近と咲を残し、ルリは男を追って森の中に消えてしまった。
「ハル、ルリは大丈夫かな?」
「咲、ルリは強いから絶対負けないよ」
咲と一緒に春近は建物の方角に引き返した。
そして車の所まで歩いた時に異変に気付いた。
三善が倒れている。
「えっ、何だこれ……」
呆然と見つめる先に倒れた三善と開いた建物の扉が見える。
「は? 何だこれ? 何が起きた……。まだ数分しか経っていないはずだ。まさか、蘆屋満彦?」
一瞬、何が起きたのか理解できず固まってしまう。
「まずい、建物の中に飯綱さんが」
春近は走った。
建物の中では遥と警備担当者が倒れ、封印された箱の前に男が立っていた。
男は体が大きく筋肉質で、日焼けした首筋にタトゥーが入っているのが見える。一般人から見たら、明らかに半グレやその筋の人に見えて、関わりたくない雰囲気を出している。しかも、先ほど見た取り憑かれた警備員と同じように、いや、それ以上に禍々しい妖気を放出しているようだ。
男は結界の注連縄を切断し、軽くゴミを取り除くように封印の護符を破り、易々と中の石を取り出してしまう。
「ふふふっ、このような脆弱な結界で妾を防ぐことができるわけなかろう」
その大きな男はからは不釣り合いな、まるで映画やアニメの悪役令嬢のような声を出した。
「これで五つ目……ふふふふふっ」
「えっ……な、何だ……これは……」
建物内に入り、この状況を見た春近は理解した。
騙された――――
本命はコッチだ。
ルリと戦ったのは囮だ。
敵は凄い周到で緻密で頭が良い。
まさか、同時に何体もの人に憑依して操ることができるのか。
どの場所を狙うか分からないようにして、複数の拠点を守る為にこちらの戦力を分割させ、一番強いルリを囮で誘き出して手薄になった所を主力で狙われた。戦術の基本のような、まるで兵法でも知っているかのようだ。
「ううっ……春近……君……」
倒れている遥が微かに動いた。
「飯綱さん! よ、良かった……生きてる」
遥が生きていて安堵する春近だが、ルリがいない今は決定的に戦力が足りない。
「どうすれば……残ったオレと咲でどうすれば……」
ルリは男を追って森の中。力を使い果たしたように倒れている遥は戦えないだろう。絶体絶命だ。
男は悠然と出口に向かって歩く。倒れている者や春近のことなど、まるで路上の蟻でも見るかのようにして。
事実、この大妖怪からすれば、人間など虫のような小さな存在なのかもしれない。その瘴気に当てられただけで人々は昏倒してしまい、ほんの少しでも力をこめれば人間など簡単に死んでしまうのだ。
「どうする……オレたちだけでは無理だ。完全に作戦は失敗だ」
「ハル……どうしよ……」
どうしようもなく立ち尽くす春近に、傍らには同じように固まった咲がいる。二人共全く動けずにいた。
「んっ、こやつ……」
そのまま出て行くのかと思われた男は、咲を見つめて呟いた。
「厄介な気配がするの……今のうちに始末しておいた方が良いやもしれぬな」
男が咲を見つめたまま近付いてくる。
なっ、何を言っているんだ……。咲を……どうするって……絶対にさせない!
春近は勝手に体が動き前に出る。
「咲! 逃げろ!」
咲を守るように、春近はその男の前に立ち塞がった。
オレは、弱いし頼りないかもしれない……でも、好きな子だけは守れる男になりたい!
無謀かもしれない……でも、ルリが戻るまで時間だけでも稼がないと!
絶望的な状況の中、春近は伝説の大妖怪の欠片と対峙した。




