第24話 メゴス、再浮上
メゴスは海底にいた。光の当たらぬ海底に身をついて、静止している。
彼は深いまどろみの中にいる。
――メゴス……
とても遠くから、声が聞こえる。
――メゴス
それがだんだんとはっきりとしていく。
ああ、結。
メゴスは、その声に答えた。
よかった。結。また話せるんだ
メゴスは心底嬉しそうにした。
――私も。でも、メゴス、今、私たちにはしなければいけないことがあるの。
メゴスははっと、まるでまどろみのなかから起きたかのように思った。
ギドンは?
――あなたが倒したもの以外は、まだいる。東の方に飛んで行った。他にも大きなものや、小さなものもたくさん出てきたみたい。
メゴスは焦りを感じた。
それはいけない。一番大きいものはやつらのなかでいちばんえらいんだ。
その次に大きなものは、さらに小さいものたちを統率する。
そして、一番大きいものは、小さいものをたくさん産むんだ。
――産む?
そう、小さいものは大きいものに、さらに、大きいものは一番大きなものに成長するんだ。
一番大きなものはたくさんの小さいものを産む。
結はしばらく黙り込んだ。
――彼らは親子なの?
親子……。そうであるような、そうでないような……
メゴスは困惑しながら、あいまいな回答をした。
――ありがとう。メゴス。
メゴスは、褒められた子供のようにうれしくなった。
――メゴス。あなたはギドンを倒すために、これから動かなきゃいけない。メゴスは大丈夫?
うーん、正直、まだ力が全力ではない。動けるだけはできるが、彼らと戦うのは自信がない。ごめん……
――ううん、あなたが心配することではないよ。でも、動けるのであれば、これから――
「これから、まさか、そんなことを」
平坂一佐は言った。
「しかし、メゴスと彼女が交信している大きな証拠となります」
津岡がそう返事をする。
ここは診療所の小さな診察室。他に、高野がいるだけで、今、診療所にいる他の者は結のところにいる。
3人とも、立ったまま話をしていた。
「確かに」
しばらく考えた後で、津岡は言った。さらに続けて言う。
「だが、それがわかったところでどうなるんだ。例の―――怪獣だか、巨大生物だが、巨大物体だかが」
「メゴスです」
津岡が言った。
平坂は、一連の災害に関する大きな物体について、どう読んでいいかわからなかった。
むしろ、世間全般がおのおののに読んでいるので、呼称が統一されていない。
多くの一般人は何故か怪獣と呼び、官庁や自治体によっても、巨大物体、巨大生物、大型敵性物体、もしくは一般に怪獣と言われるもの、などと呼び方が異なっていた。
報道機関も違い、ある局が大型物体、いわゆる怪獣と呼べば、別の局では単に怪獣、さらにある新聞では巨大物体などと呼んでいた。
平坂は、そうだ、その名前もありましたね、と顔をしかめた。
そして、高圧的な態度で迫る。
「……メゴスとの、その、彼女を介して我々と交信できる手段が出来たとして、どうするんですか? 我々に味方してくれるのですか?」
「私はそう確信しています」
津岡はじっと平坂の目を見た。
平坂はさらに見返した。
2人とも動じなかった。
「私も、津岡さんの意見には賛同します」
高野が、話に入ってくる。同じく平坂の目を見た。
「私も率直に言って信じられない状況です。しかし、人知を超えた事態が相次いでいる。それを精査したり、検証している時間はない。
しかも、これはチャンスです。もしかしたら、あのメゴスという怪獣を味方にできるかもしれない。自衛隊の戦力は、あの大群の怪獣――ギドンで精いっぱいで、メゴスを相手にはできないはずです」
平坂は2人をしばらくみて、大きくため息をついた。
「自衛隊は、ギドンだけで手一杯です。いや、それすら我々の対応能力を超えている。ただ、私の懸念は、上がそれで動いてくれるか、です。目的や根拠に乏しい。それで飛行機やフネが動くかどうかわかりません」
平坂は目をまっすぐ見た。
「しかし、私もできるだけやってみます」
結論から言って、平坂は目的を達成した。
海上自衛隊に陳情し、部隊を動かした。
しかし、やはり、ただで動く自衛隊ではないし、ましてや航空自衛隊の一等空佐のいうことを、海上自衛隊が聞く筋合いはなかった。
海上自衛隊は、救助、被災者支援、さらに海上輸送路の護衛と、怪獣の捜索活動でパンク寸前だったからだ。
彼は他の幕僚と共に、統幕長らにも働きかけた。これが功を奏し、何とか行動にこぎつけた。
今、鳥取県沖合の日本海上空をP1対潜哨戒機が飛んでいる。
神奈川県厚木基地の第4航空群に所属しているものが、鳥取県美保基地に進出して行動をしているのだった。
今、11名の乗員たちはそれぞれの任務を全うしている。
操縦をする者、機内から投下したソノブイから音を拾おうとヘッドフォンに神経を凝らす者、監視窓から目視で眼下の海を監視する者……
機長は操縦しながら、眼下をちらっと見た。機長が眼下を見たのは、監視活動の一環だからである。
しかし、また計器に視線をもっていく。こうして、彼の視線はせわしないが、それもまた彼の仕事であった。
(しかし、本当にいるんだろうか)
機長は任務を改めて思い出しながら操縦かんを握る。
この海域にメゴスがいる可能性が極めて大きい。そのため、この海域を監視し、メゴスを確認したら直ちに報告せよ。
(そもそもなんでそんなことがわかるんだ。日本海に消えたのはわかるが、日本海でも北へ向かったかもしれないじゃないか。あるいはもぐって西へ向かい、対馬海峡を――)
「こちらTACCO」
ヘッドフォンからTACCO、戦術航空士という役割を担っていた若い自衛官の声を聴いた。冷静だが、少し興奮が入り混じった声だった。
TACCOは、対潜哨戒機やその周辺の状況を把握し、戦闘時にはその調整を行う者のことだ。
作戦に際しては、操縦士である機長より命令優先権がある。つまり、戦闘などになった場合は、彼が事実上の機長になる。
「距離800方位270に浮上する物体を目視。かなり大きい。現在目標に向けて撮影中」
800メートルの海面、方位270……機長は一見ではコクピットから西の海上を見下す。
海面下に何かが見えた。
日本海の、濃い色をした海の中に、ぼんやりと、色の違う、巨大な塊が見えた。
塊の色は、濃い緑色で、一見すると海の色と混じって見える。
その大きさは100メートル以上はあった。
大型原子力潜水艦のようにもみえたが、機長にはどこか違和感があった。
と、海面が膨らんだ。
ふくらみはあっという間に大きくなり、そして海水を割って、海上にその姿を現した。
それは全貌ではないだろう、と機長は思った。多くは海面下にあるに違いない。
強い弾力のありそうな、濃い緑色の、巨大な物体が、小島のように浮かんでいた。
でけぇ、と機内の誰かがあ然としたように呟いた。
「こちらTACCO、目標物体の浮上を目視。幅100メートルほどある。物体の多くは、海面下にあるとみられる。広島湾に初出現した巨大物体と同等とみられる」
いたな、と機長は思った。
本当に、このポイントに出てくるとは思わなかった。
さらに、機長は操縦かんを倒し、物体の上空を旋回し、その物体を目視しながら言う。
いったい、どんなことしたらこんな魔法ができるんだ?
1130時、海上自衛隊のP1哨戒機が鳥取県北栄町の沖、北に50キロの日本海海上に、潜水していた大型物体を確認。
その直後、同機が浮上したのを肉眼で確認する。
現在、大型物体は浮上したままであり、周辺にはP1哨戒機のほか、付近を航行していた海上自衛隊護衛艦2隻が現場海域に急行中、現場海域に到着次第警戒監視を行う。
なお、同物体は昨日広島湾より出現した物体と推測される。
「―――ということです」
平坂が、高野と津岡を見ながら、自衛隊統合幕僚監部からの通信内容そのまま読み上げて言った。
彼らのいる鯨神島診療所の診療室にかけられた壁時計は11時35分を指している。
「……信じるしかないですね」
津岡はどこか勝ち誇ったニュアンスを含んで言った。
「ええ」
……平坂はどこか困惑した表情だった。しかし、それは津岡に対してではなかった。
「これで神坂さんを介して、メゴスとコミュニケーションがとれることがわかりました。そして、相手は恐らく、こちらに好意的だと思われます」
平坂はため息をついた。
「彼が味方だとすれば、これほど心強いものはありません。しかし、同時にどう対応していいかわからない。……正直、私たちの想定をはるかに超えた事態が起こっているのはわかったが、まさか味方が出てくるとは……」
平坂が率直に述べた。津岡も考え込む。
回答を出したのは、高野だった。
「とりあえず彼は戦闘の傷が癒えていないはずだ。神坂さんの話からも、力が全力でないという。ギドンに襲われないどこかに匿う必要があるのでは」
「あんなでかいのをどこかに匿えますか」
津岡は真剣な表情で高野を見た。
「……それも上に意見を話してみましょう。何か手はあるかもしれない」
平坂は答えた。
津岡と高野はちょっと意外そうな顔で、平坂を見た。
「いや、私個人の意見ですが……こうやって確認が取れたら、例の――メゴスが、私たちと交信できるという説が確証になりつつあります。
もし、メゴスが味方で、もう片方の――ギドンと対決出来る存在なら、これほどまでにいいことはありません。
何せ、自衛隊は被災地支援だけで手一杯、何とかギドンとメゴスの捜索に戦力を割いているのです」
津岡と高野、平坂の三人は立ちながら、ベッドから上半身を上げていた結と、その横で丸椅子に座っていた誠司に、メゴス発見を話した。
「よかった、メゴスは見つかったんだ……」
結は心底ほっとする声を出した。
「そこで、神坂さんにお願いがあります」
平坂は言った。
「どうか、私たちに同行願いたいのです。あなたのことは、私がお守りします。率直に申し上げて、日本という国は今、存亡の危機なのです。今、私たちはあなたの力が――」
「わかりました」
結は平坂が全て言い終わる前に、返事をした。
平坂はえっ、という顔をする。
「――私も、メゴスのことがとても心配だったんです。メゴスには会いたくて……会えるのなら、ぜひ」
「いいのかい」
津岡がつい言った。
結はしっかり頷いた。
「私も体の調子は良くなったとはいえ……正直不安です。でも、メゴスのためなら、私は行きたいと思います」
津岡は彼女の決意を秘めた目を見て、頷いた。
「あの」
そういったのは誠司だ。
「俺も……結と一緒に行きたいです」
彼もしっかり答えた。
「せいちゃん」
結は、どこか引き留めるような口調で言った。
「俺も、結と一緒にメゴスをはじめて確認しました。あと、島にある、メゴスに関する資料も調べています。そういう人は俺くらいしかいないと思います」
「それは貴重だ」
津岡が目を輝かせて答えた。
「しかし、決まってはいないが、今後、メゴスに関することは特別の機密事項にあたると思います。知る人は少ない方がいいのですが……」
平坂がまた困惑して言った。
高野はしばらくその様子を見た後、平坂に言った。
「平坂さん、彼にも同行願いましょう。事情は彼が一番詳しい。今後の調査にも彼の力が必要です」
平坂もしばらく、壁の一点を見つめ、考え込んだ後、
「……わかりました。上層部と掛け合った上で、そのようにしましょう」
誠司と結は顔を明るくさせた。
「しかし、正直、どう上が判断するかわかりません。ただ、やるだけのことはやってみます」
結は、大人たちを真剣なまなざしでみる、誠司の横顔を少し不安そうな顔で見た。
「結」
誠司は、大人たちが何か話し合いを始めたのを見ながら、小さく、しかしはっきりと言った。
「俺は結と一緒にいて、結の助けになりたいんだ――どこまで出来るかわからないけど、でも――」
誠司は大人たちから視線をそらして、結を見た。
まるで結の困惑を見抜いていたかのような言動、そしてその不安を打ち消すかのような視線が結に向けられた。
結は口元を穏やかに緩ませ、しっかり頷いた。
「じゃあ」
話し合いが終わったらしい大人たちを代表して、高野が言った。
「多分この島や、島の人たちから離れて行動すると思う。正式には決まっていないが、君たちは、僕らと行動を共にすることになるだろう」
そうなれば、君たちは僕らの仲間だ、と高野は付け加えた。




