77:誘惑
「ほら、着くぞ」
タクシーの中で、鷹緒が言った。
「ん、ここは?」
茜が目を覚まして尋ねる。
「俺んち。でも、一泊だけだからな」
「わーい。鷹緒さんち! 久しぶり。まだここなんだ」
見覚えのあるマンションに、茜が笑う。少し寝たからか、もう酒はだいぶ抜けた様子だ。
二人はタクシーから降りると、マンションへと入っていく。
「あと、騒ぐなよ」
「なによ。女囲ってるわけでもあるまいし」
「隣に沙織がいるんだよ」
「沙織って……鷹緒さんの親戚っていう?」
「そう。シンコン終わるまで、ここに置いてんだよ。実家、少し遠いから」
そう言って、鷹緒は部屋の鍵を開けた。
「わあ。変わってない! 鷹緒さんの部屋だ」
リビングまで駆け込んで、茜が言う。
「だから、騒ぐなって……」
そう言う鷹緒に、茜が抱きついた。
「……まだ酔ってんのか?」
「違う。私、今でも鷹緒さんのことが好きだよ……」
真っ直ぐな目で茜が言った。鷹緒は無言のまま、茜を見つめている。
「……」
「もう私、二十五だよ。前に鷹緒さん、“今の俺と同じ年になったらつき合うの考える”って言ってたよね? あの頃の鷹緒さんの年、もうとっくに越したよ」
「……確かに、おまえは大人になったよ」
「……鷹緒さん」
茜は、鷹緒の眼鏡を取った。
「なにすんだよ」
「いいじゃない。どうせ伊達でしょ? 前みたいに、私を見てよ」
そう言って、茜は鷹緒にキスをしようとする。
その時、リビングのドアがノックされ、鷹緒は茜から離れた。
途端に、茜は持っていた鷹緒の眼鏡を落とし、鷹緒が踏んでしまった。
「イテッ……」
割れた眼鏡が、床にある。だが鷹緒はそれ以上、何も言おうとしない。そんな鷹緒を尻目に、茜がリビングのドアを開けた。
「ハーイ」
茜がドアを開けたので、向こう側にいた沙織は驚いた。
「茜さん……」
「そんなびっくりした顔しないで。まあ、確かにいいところではあったんだけど、やましいことは何もないから。さあさあ、入って」
ドアを大きく開けて、茜が言う。
「勝手に決めんな……沙織、何か用か?」
ソファに座りながら、鷹緒が尋ねる。
「あ……うん。シンコンのことで、もうすぐ三次審査だから、いろいろ聞こうと思って……」
長めの前髪に隠れながらも、鷹緒の顔に眼鏡がないので、沙織は興味深そうに鷹緒を見つめている。
軽く頭を掻きながら、鷹緒は口を開いた。
「三次はカメラテストだけだし、大して頑張りようがないよ……まあ、俺に任せとけって」
「うん……」
「じゃあ、沙織ちゃん。私と語り合おうよ。シンコンについて、いろいろ教えてあげる! 私、ホテル取ってなくてさ。今日だけ鷹緒さんのところにお世話になろうかって考えてたの。前も遅くなって、ここでみんなで雑魚寝なんてよくあったし。そんな顔しないで、気にしないでちょうだいよ」
弾まない会話を遮って、茜が言った。
「それより、沙織ちゃんが隣なんて助かる。ねえ、よかったらそっちに泊めてくれない? やっぱ男女が同じ屋根の下ってのはまずいと思うんだよね。ほら私ってば、前より色っぽくなってるからさ。鷹緒さんもドキドキしちゃうでしょ? 沙織ちゃんさえよければ、シンコン終わるまで……」
「茜。なに勝手に決めてんだよ」
どこまでも続きそうな茜のマシンガントークに、鷹緒が言う。
「もちろん、沙織ちゃんが嫌って言えばしょうがないもん。どうする? 私をそっちで寝かせるか、鷹緒さんと添い寝させるか」
少し沙織を挑発するように、茜が言った。
「誰が添い寝だ……床で寝ろ」
うんざりしながらもそう言う鷹緒だが、茜と仲が良いということは一目瞭然である。
沙織は静かに口を開いた。
「……私は構わないですけど」
「やった! じゃあ鷹緒さん。そういうことで、また明日」
茜はそう言うと、沙織を連れて鷹緒の部屋を出ていった。
「ったく。本当に、いつまでたっても豆台風だな……」
鷹緒は、溜息混じりにそう言った。




