69:夢の終わり
鷹緒がふり返ると、そこには買い物から帰ってきた、理恵が立っている。
「……豪って?」
驚く理恵に、鷹緒が無言で受話器を差し出す。
差し出された受話器を取り上げるように掴むと、理恵は叫ぶように問いかける。
「豪?!」
『……理恵? ごめんね』
「馬鹿! どうして急にいなくなったりするのよ。子供が重いなら……私が嫌いになったなら、そう言ってよ!」
理恵の言葉に、内山が一瞬押し黙った。そして静かな口調で語りかける。
『違うよ……ただ今の僕は、結婚出来る経済力も思考もないんだ。今結婚したって、きっとフラフラしちゃうと思う。だから僕も辛いけど、今は離れたところから見てるよ。それで、いつかきっと迎えに行くからね』
「勝手なこと言わないで……都合のいいことばっかり言わないでよ!」
『理恵……』
「さよなら!」
理恵は涙を流してそう言うと、思い切り受話器を置いた。電話は切れてしまった。
「理恵」
鷹緒が声をかけるも、理恵は無言のまま涙を拭いて振り向き、買ってきた食材を黙々と冷蔵庫に詰め始める。そんな理恵の後姿を、鷹緒はただ見つめていた。
「……もういいの。完璧に冷めたわ。あいつは結局、自分のことしか考えてないのよ。うまいこと言って、私のことも恵美のことも考えてない。もうどうでもいい。忘れる……」
自分に言い聞かせるように、理恵が言う。それが本心ではないことを知りながらも、鷹緒は頷いた。
「おまえの人生だ。好きに生きろよ」
「……うん。そうね」
鷹緒と理恵は、そのまま変わりなく過ごした。数年間は穏やかな日々だった。恵美も着々と成長していく。
そんな中で、数年後。突然、理恵が恵美とともに姿を消した。しかしその頃、鷹緒も少なからず、生活に限界を感じていた時だった。同じことを感じながら互いに離れたことで、自然に離婚へと発展する。
離婚はしても、互いの近況は耳に入った。父親がいないことを一番心配していた鷹緒は、月に一度程度で、恵美と会う機会を作った。恵美が子供モデルをしていることで、仕事でもかち合うこともある。
二人は互いに話す機会こそほとんどないものの、何らかの接点を持ち続け、今日まで自然体なつき合いをしていたのであった。
ハッと、鷹緒が目を覚ました。
「はあ……なんでこんな昔の夢……」
頭を抱えて、鷹緒が言った。時計を見ると、もう夜中の二時を回っている。鷹緒は溜息をつくと、仕事を再開した。
次の日。鷹緒が事務所に行くと、一番に理恵の顔が見えた。
「おはよう」
微笑みながら、理恵が声をかける。
「……おはよう」
鷹緒も答える。普段と同じでいながらも、どことなく違う。
しかし、理恵は清々しい顔をしていた。鷹緒に、「おまえの顔なんて見たくない」と言われても、それが鷹緒の本心ではないと知っていたからだ。それは、過去に同じことがあったからこそ気付いた、鷹緒の後押しという優しさであった。
理恵は、もう同じ過ちを繰り返すわけにはいかないと思った。内山を選んだ以上、幸せにならねばならない。もう鷹緒の元へは帰れないが、元の夫として、後ろには鷹緒がいる。心強い温かさが、理恵を包んでいた。
「昨日はごめんね……」
「……いいよ」
鷹緒と理恵は、静かに微笑を交わした。たったそれだけで、わかりあえる何かがある。
「おはようございます……」
そこに、沙織がやってきた。すかさず理恵が口を開く。
「おはよう、沙織ちゃん。じゃあ、早速行きましょうか」
「なに? 今日は何かあんの?」
落ち着く暇もない様子に、首を傾げて鷹緒が尋ねた。
「美容院へ行って、それから二つも取材があるのよ」
「へえ。それはそれは……行ってらっしゃい。頑張れよ」
鷹緒が沙織に言う。しかし、沙織は元気がないようだ。
「どうした?」
「べつに、なんでもない……」
沙織の言葉に、鷹緒は静かに笑う。
「じゃあ、俺も仕事行ってくる」
鷹緒はそう言うと、事務所を出ていった。
「どうしたの? また鷹緒のこと?」
美容院を終え、レストランで食事中に、理恵が沙織に尋ねた。沙織は朝から元気がないままだ。
沙織は困った顔をしながらも、意を決して理恵を見つめる。
「あの。気になることがあって……」
「うん、なあに?」
「あの……内山さんって人、理恵さんや鷹緒さんと、どういう関係なんですか?」
単刀直入に、沙織が尋ねた。理恵は静かに微笑んで、沙織を見つめる。
「……内山豪はね、私の恋人だった人なの。あんまり言いたくないけど、それが原因で鷹緒とも別れることになって……豪は昔から誰とでもあんなだから、あんまり気にしないで」
「でも……」
「……私ね、豪とつき合うことにしたんだ。だから鷹緒を狙うライバルは、一人消えたわよ」
イタズラな目で理恵が言った。




