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65:宙ぶらりんの日常

「豪、帰れ!」

 焦るように広樹が言った。このタイミングは最悪である。

 それに反し、内山は聞く耳を持たず、仕切りの中へと入ってきた。鷹緒は静かに内山を見つめたまま、何もしゃべらない。

「ひどいな、ヒロさん。ヒロさんが怒鳴るなんて、珍しいや……それより、少しやつれたんじゃないですか? 先輩」

 不敵な笑みを浮かべながら、内山が鷹緒を見て言った。

「おまえ……」

 そう言って逆上しそうな広樹の腕を掴み、無言のまま鷹緒が止める。

「鷹緒……」

「……理恵は、おまえのところにいるのか?」

 冷静さを装って、鷹緒が尋ねた。内山は頷き、微笑む。

「ええ、いますよ。今日は家で休んでます。このところ、さすがに塞ぎ込んでいて……」

「豪。理恵と離婚してほしいなら、離婚届を書かせて送ってくれ」

 鷹緒の言葉に、内山の目が丸くなった。

「……離婚……するつもりなんですか?」

「さあ……ただ、あいつとおまえがそう決めるんなら、送れって言ってるんだ」

 さっきまでの態度とは打って変わって、内山は明らかに動揺している。

「なんなんですか、それ……大人を装ってるんですか? 僕は、あなたから理恵を……」

「おまえこそ、なに言ってんだ? おまえがやったことだろう?」

 内山がどうして動揺しているのか、鷹緒にはわからなかった。ただ内山は固まって、一点を見つめたままでいる。

「僕は先輩に憧れてて、それで……」

「……だから理恵を利用したのか? そんなんなら許さねえぞ」

 急に、鷹緒の目つきが変わる。内山は、そんな鷹緒に首を振った。離婚という言葉を聞いて、動揺を続けている

「違う。理恵のことは好きだけど、先輩にも憧れてて……」

「……豪。おまえが理恵を好きで、理恵がおまえを好きなら、もうしょうがないじゃん。俺のが邪魔者だろ? まあとにかく理恵と話し合って、今後を決めろよ……俺は仕事も忙しくなってきてるし、二人が決めたら、従うよ……」

 鷹緒はそう言って、立ち上がった。

「ヒロ。出よう」

「あ、ああ……」

 放心する内山を残して、二人は店を後にした。

 内山は動揺していた。鷹緒が理恵と離婚することなど、考えてもいなかった。ただ、理恵が好きだった。尊敬する鷹緒の恋人を、奪ってみたいという気持ちもある。鷹緒を負かしてやりたいという気持ちもある。

 内山は、しばらくその場に立ちつくしていた。



 数週間後。鷹緒は元いたモデル事務所を辞め、正式にカメラマンとして、広樹の経営する事務所へと入った。

 理恵や内山とは、あれからまったく連絡がなく、会うこともない。そのため、まだ離婚はしてないので、形としては別居ということになっている。理恵の部屋は前と変わらずあったが、理恵が戻ってくることはなかった。


「鷹緒さーん!」

 出先から事務所に戻るなり、鷹緒に声をかけたのは、元気印の三崎茜みさきあかね。十八歳のカメラマン志望の少女だ。彼女の父は、鷹緒がカメラマンとして世話になった師匠のような人物で、鷹緒をこの世界に引き込んだ人でもある。茜は最近この事務所で、事務やアシスタントのアルバイトを始めていた。

「おかえりなさい、鷹緒さん。ねえ、これからデートしよ。スウィーツがすごく美味しい店発見したんだ。甘党の鷹緒さんなら、絶対気に入るから!」

「ハイハイ、今度な」

 軽くあしらって、鷹緒が言う。

「なによ。私は三崎晴男の娘だぞ。ないがしろにしたら、パパが許さないんだから」

「確かに、親父さんには世話になってるけど、それとこれとは別」

「そんなこと言わないでさ、私とつき合おうよ」

「気が向いたらな」

 それは日々繰り返される、明るい事務所の幕閉めであった。

「やれやれ。今日もフラれたね、茜ちゃん」

 苦笑して、広樹が言う。

「いいんです。諦めないもん。鷹緒さん、格好良いから……結婚してたってどうだって、関係ないです」

 茜が言った。茜は鷹緒が結婚していることを知っている、数少ない人物である。鷹緒と広樹が高校生の時代から知っており、理恵とも面識がある。

 傷心の鷹緒が仕事以外に救われたのは、茜の存在があったからかもしれない。事務所に居る時、鷹緒は嫌なことを忘れられた。自分を慕ってついてくる茜は、いい気の紛らわしとなっていた。茜もそれを知ってか、猛アタックを続ける。二人の会話は漫才のようにリズミカルに進み、事務所はいつも明るかった。



 ある日、鷹緒がスタジオで仕事をしていると、茜がやってきた。

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