18:約束のごほうび
『バイトだったんだけど、今日は早上がり出来ることになってさ。これから会わない?』
篤のその言葉に、沙織は少し戸惑った。
「あ、ごめん。今日はちょっと、用があって……」
沙織は鷹緒と食事をするため、篤の誘いを断ることにした。鷹緒と食事というのは滅多にない上に、すでに約束もしてしまっているからだ。
そんな沙織に、篤は強引なまでに誘いをかける。
『用って? 最近あんま会えなかったからさ、ちょっとでも会いたいんだけど……』
「私もだよ。でも、約束あるし……ごめん」
『そうか……じゃあ、帰ったらメールくれよ』
「うん、わかった。そんなに遅くならないと思うから……じゃあ、あとでね」
沙織は電話を切って、鷹緒の帰りを待った。
数時間後、鷹緒が事務所に帰ってきた。もう牧も帰っており、事務所には奥にスタッフが数人居るだけで、沙織はソファに座って雑誌を読み続けていた。
「悪い。遅くなって……」
沙織に向かって、鷹緒が言う。沙織は少し膨れっ面で、自分を見下ろしている鷹緒を見つめた。
「本当、遅いよ」
「悪い。でも食事なんて、いつでもよかったのに……」
「でも、鷹緒さん忙しいから、いつになるかわからないじゃない」
「そりゃあそうだけど……悪かったな。腹減ったろ? 食いに行くか」
「うん」
鷹緒の言葉に、沙織が立ち上がる。二人はそのまま事務所を出ていった。
「車じゃないの?」
駐車場とは別の方向に歩く鷹緒に、沙織が尋ねる。
「寿司なら、近くに美味い店があるんだ」
鷹緒はそう言うと、事務所近くの寿司屋へと入っていった。カウンターに座る鷹緒の横に、沙織は小さくなって座った。
「なんか……場違いじゃない? 私、制服だし」
「べつに平気だよ」
鷹緒は気にせずそう言って、壁にかけられたメニューを眺めている。沙織も店内を見渡すと、壁には有名人の色紙が、所狭しと飾られている。
「すごい。サインでいっぱい」
「おまえはミーハーだったな……時間によってだけど、ここに来れば誰かしらいるよ、芸能人」
「いらっしゃい、諸星さん。女子高生連れ込むなんて、らしくないじゃない」
その時、カウンターの向こうから、板前がそう言った。鷹緒も常連らしく、親しげに笑う。
「違うよ。こいつ、俺の親戚」
「またまたー」
「ハハハ、本当だって。とりあえず、今日のおすすめを適当に握ってください」
「かしこまりました」
鷹緒の言葉に、板前がネタを握ってゆく。そして差し出された寿司は、美味しそうに輝いていた。
「うわあ、すごい。大きいネタ」
目の前に出された寿司に、思わず沙織が言った。鷹緒は笑いながら、すでに食べ始めている。
「じゃんじゃん食えよ」
「いいの?」
「ああ」
「いただきます!」
二人は寿司を堪能し、やがて車で沙織の家へと向かっていった。
「ありがとうございました。ごちそうさまでした」
車から降りるなり、沙織が言う。
「いえいえ。じゃあな」
相変わらず、鷹緒は淡々として答える。
「あ、うん……」
「なんだよ、その顔」
沙織の残念そうな顔に、首を傾げて鷹緒が尋ねる。沙織は首を振りながらも、説明しがたい寂しさに、目を泳がせるだけだ。
「だって……」
その時、向こうから人影が近付いてきた。そこには、息を切らした篤がいる。
「沙織……!」
「篤……」
思わぬ人物に、沙織は驚いた。だが状況を把握する間もなく、篤は怒ったように口を開いている。
「おまえ……なんなんだよ。用があるって、そいつのことなのか?」
ひどく怒っている様子の篤に、沙織は何が起こったのか、どうすればいいのかわからない。
「そいつって……鷹緒さんだよ、親戚の。それより、どうして篤がこんなところに……」
「表の店で時間潰してたんだ。最近会えなかったから、今日は会いたいと思って、すぐに出られるところにいた。そしたら、車に乗ったおまえが見えて、走って……何が用事なんだよ! 俺より、その男との約束が大事なのか?」
沙織に面と向かって、篤が怒鳴った。
「ち、違うよ! それは……」
「話中悪いけど、こんなところで喧嘩はやめろよ」
そこへ、車の窓から顔を出した鷹緒が言った。鷹緒のその言葉に、篤は更に逆上する。
「親戚だかなんだか知らねえけど、何も知らないくせに首突っ込んでくるなよ!」
鷹緒は静かに微笑むと、車のエンジンを切り、そのまま篤を見つめる。
「……コドモだなあ」
「なんだと?」
鷹緒の言葉に、篤の顔はどんどん逆上して赤くなっていく。だが鷹緒は、構わず言葉を続けた。
「ガキだって言ったんだ。大人はな、こんな住宅街の真ん中でそんな大声は出さないし、ましてや恋人の自宅前で、喧嘩なんか始めないんだよ」
そう言う鷹緒の顔は穏やかだが、目は真剣に篤を捉えている。篤は逆上したまま、開いた窓から鷹緒の襟元を掴んだ。
「なんだよ、あんた。そんなこと、あんたに言われる筋合いねえんだよ!」
そこに、いつもの明るくて優しい篤はいなかった。沙織はどうしていいのかわからずに、戸惑っている。
鷹緒は、尚も掴み掛かる篤の額を掴んで、引き離した。
「何すんだよ!」
「そっちが絡んできたんだろ?」
逆上したままの篤に反して、鷹緒は驚くほど冷静だった。篤と沙織にとっては、それが恐ろしくも見える。篤は鷹緒から離れると、沙織を睨みつけた。
「……もううんざりだ。俺がバイトしてる間に、おまえは浮気かよ! だったらこいつのところでも、どこでも行けよ! 俺は別れるからな」
篤はそう言うと、その場から去っていった。




