ヒャッハーは一番偉い人でした。
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「おいおい、あんまり俺の部下をいじめないでやってくれよ」
背後から軽い口調で話しかけてくる、一人の男。
コロッセウムに放り込まれてからの四十日間、キャスを除いて最も顔を合わせていた人物――オブルだった。
というかただの職員のくせに、まるでここで一番偉いみたいな口振りじゃないか。
「……まあ、さすがにコロッセウムを滅茶苦茶にされたらたまんねえからな。お前が今考えているように、俺がこのコロッセウムの管理運営をしているマルクス=コルネリウス=オブルだ」
モヒカン頭を掻き、照れるように名乗るオブル。
たしかロマニア帝国では、奴隷の身分から解放された場合、これまでの名前を自分の姓にするんだったな。
つまりオブルは、解放奴隷ということだろう。
まあ、そんなことはどうでもいいが。
「そうか、なら教えてくれ。僕をここに入れた仲間を名乗る女のことを」
「一応、取引した相手なんで個人の情報を明け渡すのは信用問題に関わるんだけどな」
「今さらだろ。別に黙っていてもいいが、その場合は僕も止められる自信はない」
今にも飛び出しそうな様子のサンドラとモニカを見やり、少しおどけて告げる。
オブルが首を左右に振った瞬間、コロッセウムは瓦礫と化すだろうなあ……。
「わーったよ。教えてやる」
お手上げのポーズを見せるオブルは、どこか愉快そうに女について詳細に教えてくれた。
四十日前の深夜、その女はフードを被り、僕を抱えた巨大な男を連れてコロッセウムにやって来たらしい。
女曰く、『彼は私の『大切なもの』を汚した。だから私は彼を見限り、ここで地獄を見せてやりたいのだ』と言い放ったそうだ。
オブルは女に僕を含め素性を尋ねるものの、答えようとはしない。怪しさを覚えたオブルは、取引を断ろうとした。
だが……オブルは僕を受け入れざるを得なくなってしまった。
何故なら。
「あの女は俺を脅しやがった。『もし受け入れなければ、デスピナ=ノマデスがここにいることを〝アリアナ=ノマデス〟に告げる』とな」
「アリアナ……ノマデス?」
「おうよ。そこにいる、デスピナの妹だ」
「…………………………」
オブルの言葉を受けて視線を向けると、デスピナは唇を噛みうつむく。
どうやら色々と事情があるみたいだな。
おそらくは先日オブルが教えてくれた、ノマデス王国が滅亡してデスピナが奴隷になり、妹はノマデスの民の象徴として対照的な暮らしをしているっていうことに関係しているんだろう。
「その顔を見る限りある程度察しはついただろうが、あえて説明するとデスピナが奴隷に身をやつしているのはその妹の仕業だ」
「なるほど、な……」
ノマデス王国を守るためなのか、自分の命が助かりたいからなのか、その理由は分からないもののきっと妹のアリアナは姉を差し出したんだろうな。
「で、オブルはどうして彼女をかくまっているんだ? 普通に考えれば、お前にとって彼女は疫病神みたいなものだろ」
「……そこはまあ、元奴隷にも義理ってもんがあるんだよ」
空を見つめ、どこか寂しげに答えるオブル。事情は知らないが、この男にとってデスピナを救おうとするだけの何かがあったんだろう。
ヒャッハーの姿で黄昏れても、雰囲気は台無しだが。
「まだ分からないことがある。デスピナをかくまっているお前が、二日前の試合で彼女に魔獣と闘わせた目的は何だ? こう言ってはなんだが、一歩間違えたら彼女が大怪我をする危険もあったぞ」
「あの魔獣は、お前を連れてきた女の従者だ。お前が……いや、この俺が余計な真似をしないか監視するためにここに置いて行きやがったんだよ」
オブルは顔をしかめ、吐き捨てるように言った。
この男にとっても邪魔な存在だったんだな。
「で、だ。あの魔獣は女の命令を忠実に守ってはいたが、所詮は魔獣。人間を食えると分かれば、すんなりと剣闘に応じやがったよ」
「いや、それにしてもデスピナと闘わせるというのは……」
「何言ってやがる。デスピナがあんな魔獣ごときに負けるはずがねえだろ」
自信満々にオブルは言うが、僕の目から見てそれほど実力差があるわけじゃなかったぞ。
何というか、少し甘く見ているんじゃないだろうか。
「まあいい。それで、いくら剣闘でとはいえ僕を攫った女の従者を始末したんだ。きっとその女は、デスピナのことをアリアナに告げ口すると思うぞ」
「そうなんだよなあ……つーか、それ以前にお前が本物のデハウバルズの王子とは思ってもみなかったんだ。そっちからもとんでもねえ目に遭わされそうなんだよなあ……」
そう言うと、オブルがちらり、と媚びた視線を送ってくる。
ヒャッハーの視線なんてこれっぽっちも需要はないし、むしろお断りなんだが。
まあ、だけど。
「僕としても、ここに来たことで収穫はあった。別にオブルやコロッセウムをどうこうするつもりはない。それと」
「……?」
「デスピナもここにはいられない。なら、別の場所に移ったほうがいいだろう。そのアリアナという奴が、口出しできないような場所に」
「っ!?」
つまり、そういうことだ。
イベントボスとはいえ、『エンハザ』のキャラが不幸な目に遭うのを黙って見ていられるほど、僕はヘビーユーザーを名乗っちゃいないんだよ。
「い、いいのか……?」
「もちろん。それに、イベント……ゲフンゲフン。こういうことは初めてじゃない」
同じイベントボスのキャスは僕の相棒だし、何ならこの世界の管理者であるテミスもいるし。
デスピナは元王女らしく落ち着いていて常識も持ち合わせているし、全然問題ない。
「そういうことだからデスピナ、これからもよろしく」
「う、うん……っ」
差し出した右手を強く握りしめ、デスピナはうつむく。
まあ、見たところ僕達と同年代っぽいし、王立学院の生徒として過ごしてもらうのも悪くないかも……って。
「ふふ……うふふふふ……!」
え、ええとー……どうしてサンドラの瞳が赤く輝いているのかな?
「ハロルド殿下、お気をつけください。お嬢様の嫉妬が天元突破しています」
「ええー……」
どうやら僕の妻は、女子と握手することすら許してはくれないらしい。
嫉妬深い奥さんを持つと大変……とは思わないよ。むしろ望むところだ。
「さあて、それじゃ帰ろうか」
「ふふふふふ……これは帰り次第、ハル様を誰にも触れられないように閉じ込めて差し上げませんと」
「そういうのはやめような」
にたあ、と口の端を吊り上げるサンドラを、僕は必死になだめる。
愛が重いのはいいけれど、そろそろ実害が出るレベル。
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