◆3話
城壁に囲われた都市の名はナキン。
メイリの住むオケレト村から数時間程歩いた距離に存在する街である。
オケレト村なども含めたこの近辺は、気候の寒暖差が激しいため、当初は人の住める地域ではなかった。
だが、魔術や技術の発達と共に人が十分に生存できるようになると、人はそこに集まり、家を作り、農作を始め、鉄工を行い、壁を築き、長い時間をかけてそこは大きな都市となった。
王都から離れているため手付かずの土地が多く、魔王軍の拠点から離れているため魔物の脅威も低い。それらが合わさり、大陸の端にある街としてはかなりの発展を遂げていたのである。
そんなナキンの街の城壁前で、メイリと圭哉は地面に放置されていた石材に座っていた。
「時間が悪かったわねー」
メイリはそう言って、城壁の方へ視線を投げる。
「大規模な商団がやってきて、入る荷物の量が多過ぎるからって大門だけじゃなく小門の方まで使用できなくなってるなんてさ」
都市を囲う城壁には四方に出入りのための門があり、その門も大門と小門の二つが存在している。
大門は荷車などの人以外の物を入れる際に使われる門であり、幅があり高さもある。最低限の警戒として簡素ではあるが検査もあるので、通るのに多少の時間も掛かる。
小門は大門の半分もない大きさであり、通るのは手荷物までを持った人だけとなる。こちらはメイリのような近隣からの来訪者が滞りなく行き来するために設置されているものであり、検査もない。一応の見張りはいるが、余程の挙動不審でもなければまず止められることもない。
メイリはいつものように小門を利用して街に入ろうとしたのだが、門兵に止められて事情を聞かされて、こうして商団が通り過ぎるのを待つことになったのである。周囲には同じような理由で待機してるであろう人がちらほらと見える。
「まぁ、急いでないから俺は問題ないけれど」
メイリの言葉を受けて、ぼんやりと虚空を見やる圭哉はそう相槌を打った。
その姿はどこか老成さを感じさせ、メイリはなんだかお爺ちゃんみたいだなーと思ったりする。
「ケイヤってほんと落ち着いてるねー」
「マジでー? これでも小学校の先生には『落ち着きのない子なので大変でした』って言われていたんだけれどな」
「ショウガッコウってなによ……。でもそうでしょ? いきなり違う世界に飛ばされたにしては取り乱さないし、取り乱さないにしても、なにか色々と悩んだりするんじゃないかな。普通は」
「わりと取り乱していたんだけれどな」
「そうは見えないけれど」
「じゃなきゃ、起きて目の前に胸があったとしてもがっつり触らないだろ」
「あー……」
触るどころか鷲掴みだったのだが、そう言われてみると、確かにあの行動はやや常軌を逸していたとメイリは思う。
「平常時ならソフトタッチだ」
「強弱の問題ではないと思うのよ」
平常時でも触ったら駄目だろう。とは思いつつも、この言動こそがまだ取り乱している証拠なのかもしれないと思い、メイリはツッコミを放棄した。
「取り乱しはしなくても、なんか心残りとか、心配ごととかがあったりするんじゃないの? 家族とか恋人とかは?」
「あーあーあー……」
メイリの疑問を受けて、圭哉は遠い目をし、呻いた。
どこか虚しさと悲しさを漂わせるその姿を見て、メイリは聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれないと少し悔やむ。彼からしてみれば、これは突然の別れだったのだ。メイリと同じか年下に見受けられる少年が、家族などから引き離され、己のことを知る者が一人としていない世界に放り出されたとして、どうしてそれを受け入れられる?
泰然とした態度のせいで勘違いしそうになったが、この少年は孤独なのだ。そんな世界に落とされて、見ず知らずの人間に一方権限の契約を結ばされて、平気なわけがないのだ。
彼からしてみれば、メイリという少女はこの世界で初めて出会った相手であり、現状唯一の寄る辺である。
そんな己が、彼の心情を慮らずに軽率な発言をしてしまったのだと理解して、メイリは自責の念に駆られた。
そして、メイリはその発言を詫びるために口を開く。
ごめんね、のごが口を出かかったところでケイヤが大声を出した。
「そっかそっかそーだよな! 普通そうなるよなー! 恋人がいないせいでその発想に至れなかったわ! その事実がなにより辛い!ちくしょー!」
「えぇ……」
なんだか自分がした心配とは全く違う理由で嘆いているようだった。
圭哉の魂からの叫びに若干距離を開けるが、圭哉はそんなメイリに対して詰め寄る。
「つまりそれを言い出せるメイリさんは、こう、あの、恋人がいたりするんですかねぇ? てことはアレか? この街に遊びに来てるのも恋人と逢引するためか!? これ俺が一緒にいて大丈夫!?」
「違うってーの」
興奮気味の圭哉を落ち着かせるため、ビンタする。
快音が響く。その音は大きく、周囲の人にまで注目を集めたが、メイリは気にしない。
はたから見れば、少女に詰め寄った少年がビンタされる姿はどう見ても痴情のもつれなのだが、メイリという少女はあまり周囲の目を気しない性質であるため、そんなことはどうでもよかったりする。
「恋人はいないし、街に来たのは友人と遊ぶためだけれどそれも女だし、あなたがいたとしても問題はない。理解した?」
「理解しました……」
はたかれた頬を押さえながら圭哉は不思議そうな顔をしている。
「叩いたのはごめんね。顔を近づけられてちょっと驚いたのよ」
「いや、それは全然いいんだけれど」
全然いいの……? それはそれで問題では? などと思いながらも、メイリはそれに触れず疑問を投げ掛ける。
「じゃあ、どうしてそんな驚いた顔してるの?」
「人に叩かれたのが久々だったから、なんか、逆に新鮮というか」
「なるほど。なるほど……?」
色々と引っ掛かるところがある言い回しだったが、だからといってそれを深く追求する気にもなれず、話を戻す。
「まー、恋人はともかくとしてさ、家族はどうなのよ? ケイヤって兄弟はいないの? 一人息子が突然居なくなったりしたらご両親はかなり困るでしょう?」
「いいや」
——そう問えば、圭哉はあっさりとそれを否定した。
「家族はいないから問題ない」
声にブレがない。意図して平坦な喋り方をしようとしたのではなく、それをただの会話としてしか認識してないが故の口調だった。
「いないっていうのは」
「両親は死んでるし、兄弟はいない。唯一の肉親である祖父も、俺が中学を卒業する少し前に死んだから、俺を心配する人はいないよ」
同情を誘うわけでも、同情を誘わないように努めて平静を保って喋っているわけでもなく、ただの事実として圭哉はそれを話した。
「だからまぁ、特に問題はないんだなこれが。メイリが言うように恋人でもいたら、そのことに悩んだのかもしれないけれど、そういうのもいないから、その発想が全然なかった」
「そ。じゃあ、いいか」
メイリもまた、気にする必要はないと理解し、判断したためそこで話を打ち切った。圭哉が気に留めていないことを己があれこれ考えたところで意味がないだろうと割り切ったのである。
「ところでメイリ、アレってなんぞ?」
話が終わったと判断したのか、圭哉は地平線を指差してそんなことを質問してきた。先ほどから遠くを見ていたが、何か気になるものを見つけたらしい。
メイリは言われるままに指差した方角を見やるが、その先には雲一つない青空が広がるばかりだ。
「なにのこと?」
目を凝らしてみるが、一向になにも見えない。鳥でもいるのかと思うが、影すらないため判断がつかない。
「んー、結構遠くなんだけれど、なんか飛んでるし、その上に人みたいなのが乗ってんだよ。で、こっちに向かってる」
「えーと」
飛んでて人が乗ってる? それは気になるが、詳細を言われても見えない。見えないものは見えないので、答えようがない。
「見えないわねぇ」
遠見の魔術を使ってみるが、やはり見えない。
「ケイヤって普通は見えないものが見えたりする人?」
「そんなんじゃないんだけどなー。んー、まぁいいか。遠いし」
圭哉は圭哉で、なんとなく気になったから確認してみただけであり、そこまで明確にしたかったわけではないようだった。
「人が乗ってて飛んでるってなると、王都や魔王軍に少しだけいるとか言われてる龍騎兵とかかね?」
思い当たる存在を口に出してみるが、それらがいる場所はメイリたちの現在地からは遥か彼方である。遠征などで遠出しているのだとしても、わざわざこんな田舎までやってくる理由もなかろう。そう判断し、考えるのをやめた。
「ん、人が動き始めてる。どうやら街に入れそうね」
止まっていた人が流れ始めた。小門の近くにいた人間が動いたのを見て、人が連鎖的に動き始めたのだろう。
「ほら、行きましょうケイヤ」
そう言ってメイリは立ち上がり、圭哉に手を差し出した。その手を見て圭哉は不思議そうな顔をして二、三度ほど目を瞬かせるが、立つのを助けようとしてくれてるのだと理解し、手を伸ばした。
——手を伸ばして、途中で止めてしまう。
けれど、その中途半端に伸ばした手をメイリはしっかりと掴み、圭哉を引っ張り上げた。
「約束の時間まで少しあるし、なにか食べる? こう見えてお金はそこそこあるから、好きなものを……って、ケイヤはこっちの世界の食べ物とかわからないか」
「生態系が似てるところもあるから、食事に関しても近いものになりそうだけれど、どうなだろうなー。あ、でも、現状で確実にあると言い切れて、食べたいものはあるぞ」
「ほーん、なによ?」
「女の子」
メイリが平手の構えを取る。
圭哉は逃げようと反転するが、即座に首根っこを掴まれて逃げられない。
「それは猟奇的な意味で? それとも性的な意味で?」
「その質問に何の意味が……」
「返答次第では手の平から拳になるわ」
「軽率な冗談でしたごめんなさい!」
「軽薄な謝罪だわー」
「いやですね、場を和ませようと思いましてね。結果的に殺伐となりましたけれどね! 男友達とはだいたいこんなバカ話ばっかりしていたものでね!」
「私、女だけれど」
「失念してました」
「あんた胸揉んだわよね!?」
「初めての感触だったから……」
「顔を赤らめるな!」
手刀が圭哉の頭頂部に叩きつけられる。
「まったく……」
そう言って首根っこから手を離してやると、圭哉は痛そうに頭をさする。痛みに涙を浮かべながらも、その顔はどこか楽しそうだった。
「なんで嬉しそうなのよ」
被虐趣味なのだろうか? いや、それなら逃げずに叩かれようとするか、と思い直す。
「んー、メイリといるのが楽しいからかね?」
「楽しい?」
「俺、人と話すのはわりと苦手なんだけれど、メイリとはなんか気兼ねなく話せる」
「結果的に出てくるのが猥談ってどーよ」
「周りに女の子がいなかったから……」
「急に切ないことを言い出すわね」
「セクハラにならないように気をつけようと思います」
「セクハラってなに?」
「尻触ってきたり、今日も胸大きいね! とか言ってくるおっちゃんいない?」
「あー、いるいる」
「そういう行為を俺の世界ではセクハラって言うんだよ。まー、ようは度を過ぎた性的な言葉や行為で相手が嫌がることだな」
「ふーん。まぁ、ほどほどにね」
「程度を弁えてればいいのかよ……」
「やり過ぎならちゃんと殴るし」
「わーおバイオレンス」
「暴力的解決よ」
そんな風に、なんだかんだと話を弾ませながら、メイリと圭哉は人の流れに混じって小門を通り、街へと入っていく。




