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◆1話

 草いきれの立ち込める草原に一人の少女が立っていた。

 年の頃は十六。

 肩まで伸ばされた癖のない黄金色の髪。

 瞳の色は翠玉を連想させるような碧色。

 背丈は同じ年齢の少女たちと変わらず、体格は細身に分類される側であるが、そういった身体的特徴の中で唯一胸部は主張が強く、一部の男衆達からは絶大な指示を受けている。


 ——その事実を少女は知らない。


 顔立ちは整っているが、目つきも柔らかく、口元も綻んでいることが殆どであるため見るものを決して威圧しない。

 総じて、美少女と言われる類の存在だった。


 名をメイリという。


 メイリはオケレト村という大陸の最西端に位置する場所で生まれ育った。


 王都の方では魔王軍との衝突や魔物による被害などが日に日に激化していると耳にするが、距離が離れ過ぎてその影響を殆ど感じることができない田舎であるため、メイリにとってそれらはどこか別の世界の話であり、他人事であった。


 ——ここで生きて、ここで死ぬのだろう。


 漠然と、そんなことをメイリは考えていた。人生何が起こるかは分からないし、どう転ぶかも不明ではあるが、大したことが起きず、起き上がれる程度の転倒ならば『そう』なるであろうと、メイリは確信していた。


 メイリは村の中でも比較的裕福な家に生まれた。両親は共に健在で、兄弟も多く、年長の兄や姉はすでに独り立ちしている。


 絵に描いたような順風満帆であり、メイリはそれを理解していた。


 故に、今日この日、目の前に現れた「それ」を見て、何かが——大したことが——起きるかもしれないと直感していた。己の人生を狂わせる存在かもしれない。はたまた、狂っていたのはこれまでで、目の前にあるそれに触れることこそが人生を矯正するのかもしれないと、そんなことまで考え始めていた。


 端的に言えば混乱していたのである。


 本日の仕事を昼前に終わらせ、知人と遊ぶために隣町へと歩行していたメイリは道から外れた草原に突き刺さっている「それ」を見てしまったのである。


「人」


 草原に人が刺さっていた。頭から。

 腹部に至るまで土に埋れており、足は天へと伸びていた。


 一見しておかしいとわかる。いくらこの周辺の魔物が弱く、ある程度の剣術か魔術を修めていれば子供でも問題ないものだったとしても、あれでは文字通り手の出しようがない。


 第一、どうやったらそうなるんだ。と、メイリは聞きたくて仕方がなかった。


「とりあえず、抜こう」


 とはいえ、もしこれが何らかの深い事情があり、意図せず頭から突き刺さってしまい抜けなくなってるだけの可能性もある。もしそうだったとして、それなのに見捨てて魔物に襲われてしまったとしたら寝覚めが悪い。


 そんな良心の呵責が後々訪れるのを避けるため、助けた方が良いだろうとメイリは結論を出した。


 左右の脚をそれぞれ両脇に挟み込み、太腿を腕で掴む。

 肉付きからしても男性だろうとメイリは確信する。





 少しして、メイリは地面から引き抜いた少年に膝枕をしていた。草原を駆け抜ける風によって髪がなびくので、それを手で押さえている。


「時間はまだあるしなー」


 知人との約束は昼過ぎよりも後であり、早々に家を出たのは町でふらふらと散策をするためだったので、時間には大いに余裕があった。そのため、メイリはこうして少年が目覚めるのを待つことにしたのである。


 引き抜いた際に軽く触診をしており、目立つ外傷などもなく、息も脈も正常だった。呼吸が穏やかであるため、ただ眠っているだけだと結論は出ている。それでも、そんな不思議な状態になっていた人間を置いて行けるほどメイリは淡白ではなかった。


 膝を貸しているため動くこともできないので、メイリは漫然と少年の顔を眺めるしかない。


 目元に掛かるところまで伸ばされた黒い髪は良い洗剤を使っているのか艶があり、傷みも少ない。

 顔は少年と青年が綯い交ぜになっており、成長途中であることが感じられる。目鼻立ちは整っており、目を瞑っている状態でも中々の逸材と分かる。


 背丈はメイリと同世代の男たちと同じか少し低いぐらいであるが、やや細身だ。とはいえ、痩せ細っているのではなく引き締まっているというのが適切な表現だった。先ほど身体中を触ったので、かなり筋肉質であることをメイリは把握していた。


「なんというか、動かすことを主眼に置いた感じかな」


 村で剣術の指南をしている人の体つきを思い出しながら、ベタベタと身体のあちこちを触る。


 かさりと、紙が擦れる音がした。


 臀部を触っていた際に、ポケットからはみ出ていた紙を引っ掛けていたのである。メイリはそれをなんとなく手に取り、折り畳まれていたので広げる。


 比較的大らかな家族のもとで育った少女の辞書に、プライバシーという文字は存在しなかった。


「なんぞこれ? 読めない……」


 そこに記載されている文字はメイリの知らない文字だった。


 この世界の言語は統一されているため、読めない文字は古代文字や魔族が独自に扱うものに限られるのだが、それらとも違う。また、丸みを帯びたものと角ばったもの、やたらと線の数が多いものが入り乱れており、規則性も把握できない。


 暇潰しに眺めるが、早々に理解不可能であると諦める。そして、紙が重なっており二枚目があることに気付く。


「ん、こっちは読めるやつか」


 契約書、という題字が大きく上に書かれている。

 流し見し、その内容を要約すると『転移者に対する抑止力としての存在になることを私は誓います』といった内容が書かれている。


 訝しみながらも最後まで目を通すと、文末には『なお、この文章を最後まで読んだ場合は同意したとみなし、契約が成立します』という一文が書いてある。


「詐欺では?」


 などとメイリが呟くと同時に、契約書に仕込まれていた魔法陣が浮かび上がり起動する。慌てて打ち消し魔術を掛けるがあっさりと弾かれ、霧散する。


「嘘でしょお!?」


 メイリの専攻は魔術である。先生からも筋がいいと言われており、同年代の友人たちと比べても頭一つ抜きん出ていたのだが、その自信は紙切れ一枚に粉砕された。


 魔法陣が紙面から浮き出て、形を細く長く変えながらメイリの手首へと絡み付き、定着する。


「…………どうすんのこれ」


 自身の腕を見ながら茫然とするメイリ。擦ったり引っ掻いたりしてみるが取れる気配はない。


「んん……」


 喋ったり動いたりしたのが原因か、膝上にあった顔が動く。


 少年が目を開き、真っ先に飛び込んだのは二つの高峰。視界の半分以上を覆うそれらに目を奪われた少年は、当然のように手を伸ばしてそれを鷲掴んだ。


 鷲掴んだと同時にメイリの拳が振り下ろされ、少年の顔面へと沈み込む。衝撃によって鼻血が溢れ、逆流しそうになるため慌てて起き上がり新緑の草原へと赤を振り撒く。


「……何故殴られた?」


 起きたばかりでほとんど本能的な行動だったため、少年は自分が殴られた理由が理解できない。


「なして揉んだ?」


 女性の胸を触ればそうなるのは自明だろう。だから、それが分かっていてどうして触ったのだと問う。


「そこに、山があったから」

「あったのは胸でしょ」


 意味が通じず、メイリは真顔で返す。

 そう言葉を返しつつも、鞄から手巾を取り出して少年の鼻を拭って押し当てる。顔に押し当てられる布地にこそばゆさを覚えながらも、少年はなすがままに顔を任せる。


「よし、綺麗になった」


 鼻血が止まったことを確認すると、さらにもう一枚の手巾と水筒を取り出し、水を垂らして乾いた血を拭き取る。打ち所が良かったのか、鼻は曲がっていない。


 黒く濁った瞳はどこか陰鬱さを感じさせるが、開かれた目は力強く、矛盾した生命力があった。メイリは少年に対する評価を「んー、悪くない」と素直に漏らす。


「なにが」

「こっちの話よ。それで、目は覚めた?」

「そりゃもうバッチリと」

「そ。なら話はできそうね。とりあえず、名前を教えてくれる?」

「……人の名前が知りたいなら、まずは自分から名乗るべきじゃないか?」


 少年はそう切り返す。それは捻くれた思考から吐き出されたものであり、生来から第一印象を良好なものにする気がなかったが故のモノだった。だが、自身が介抱された立場であることを思い出し、礼儀を欠いた物言いであったことに顔をしかめる。


「それもそっか。私の名はメイリ。メイリ=ケルネンよ。そっちは?」


 少年の心情など関係なく、説かれた道理に納得してメイリは淀みなく名乗る。それがますます少年を苛んだ。


「ごめん。俺はたか……勿神圭哉ながみけいやです」

「なぜ謝る」

「介抱してくれていたのに、礼も言わずに不遜な態度を取ったし、挙句に先に名乗らせた」

「じゃあ言っときなよ。お礼はして遅過ぎることなんてないんだから」


 メイリがそう促すと、少年——圭哉は居住まいを気持ち正して頭を下げる。


「ありがとう」


(なんで頭を下げる?)


 などと文化の違いに眉をひそめながらも、メイリは「どうも」と返答する。


「それで、タカナガミケイヤだっけ? 不思議な響きの名前ね」

「あー、違う。勿神圭哉だよ。圭哉と呼んでくれると助かる」

「そ、じゃあケイヤで。それじゃあ本題に入るけれど、ケイヤはここでなにをしてたの?」


 まさか頭から埋まることが目的ではないだろう。話した雰囲気としては、仕草や喋り方に些かの違和があるけれど、受け答えもしっかりしているため狂人の類ではないだろうとメイリは結論付けていた。


 とはいえ、地面から生えるという状況に陥るような理由など見当もつかないので、どんな話が飛び出てくるのかと身構えていたりする。


 そうしてメイリが身構えていると、圭哉は少しばかり何かを思い出すような仕草と、考える仕草と、落ち込む仕草と、頭を抱える仕草と、何か吹っ切れたかのように息を吐き出す仕草をして、口を開いた。


「わりとさ、突拍子もないことを言うのだけれど、信じてくれる?」

「内容次第でしょ」

「だよねー」


 メイリのあっさりとした言葉を受けて、圭哉はむしろ安心したかのように頷く。


「俺さ、違う世界から来たんですよ」


 圭哉はそう嘯いた。

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