73『不埒なナニカ』
あっという間に見えなくなったディオンの影の者としての腕は学院へ上がるために別れた時よりも遥かに上がっていて驚いた。
元々拾ってきた時から素質はあったけど、才能の伸びは凄まじく成長が目に見えてうれしい。
きっと弟がいたらこんな感じなのかも知れないなぁ。
「おい、今のはなんだ?」
不機嫌オーラを垂れ流した重低音に振り向けば、アラン様が復活していた。
「えっ……あぁ、おまじないですか?」
「おまじない?」
「はい。家族や大切な人の無事を祈って額に口付けをするのが風習だと聞きました……もしかして違うんですか?」
アラン様の反応を不審に思い問い掛けると、良い笑顔で否と答えた。
「いや、ゾライヤ帝国ではあまり見かけないが兄上殿が教えたなら、きっとローズウェル王国の風習なのだろう」
「えっ、ちょっっ! きゃぁ!」
つかつかと私の側までやって来るなりいきなり腕を私の膝の裏へ入れて身体を抱上げられる。
「いきなりなにすんのよ! せっかく摘んだヨモギが落ちるじゃん! 降ろせぇー!」
「そうだな。 ほら大人しくしていないとせっかく摘んだその草が落ちるぞ?」
暴れる私を歯牙にもかけずにそのままずんずんと陣の奥へと戻っていく。
途中好奇の目にさらされながら、私が普段使っている天幕のなかへ入ると寝床に使っていた熊の毛皮の上へと降ろされた。
「さて、俺の寵姫殿? 是非ともそのおまじないとやらを俺にもしてほしいのだが?」
座り込む私の前にしゃがみこみこちらへ前屈みで詰め寄られ、目の前に美形な顔が迫る。
「はっ? な、なんで?」
「俺はお前の“大切な人”だろう? ならおまじないをかけてもらう権利がある!」
「はぁ? なんでアラン様が私の“大切な人”なわけ?」
真面目に意味が分かりませんけど!
「なんだ、違うとでも?」
「いやいや、普通に違うでしよ」
顔の前に右手を持ってきてナイナイと言うように左右に振ると、アラン様が不機嫌を顕にさらに私にのし掛かる。
「ほう、ならば今すぐに“大切な人”になるように精進しなければいけないな?」
途端に距離をつめると私の首の後ろに手を伸ばして引き寄せた。
柔らかな感触が唇を塞ぎ、性急に唇を割って何かが口腔内へ侵入してきた。
驚いて反応が遅れ、歯列をなぞられる感触に背筋が粟立つ。
逃れようと両手を伸ばし、アラン様の身体を押しやるも簡単に捩じ伏せられた。
このまま蹂躙なんてされてたまるか!
「っつ!?」
無遠慮に口腔内犯す侵入者に噛み付くと、鉄臭い香りが広がった。
まさか噛まれると思っていなかったのだろう。勢いよく身体を離すと血液混じりの唾液を吐き捨てた。
口の端についた血液を手の甲でぐいっと拭う。
この野郎、人の天幕の中に唾を吐くとは!
「俺の寵姫はまるで野生の猫だな。 自分の気に食わない事を強要されればたちまち牙をむく」
「えぇ、けっして屈するつもりはないわ」
近くにあった布に血を吐き出すした。うぇぇ、気持ち悪い。
「ふっ、精々強がれ……なんだ?」
すっかり日も暮れたら筈なのに、天幕の外が騒がしい。
「失礼します! 御取り込み中申し訳ありません。 イーサン殿下が至急天幕へ来るようにとおよびでございます!」
天幕の外から聞こえてきた声にアラン様は眉根を寄せる。
「イーサン兄上が……?わかった直ぐに向かう」
夜分に呼び出されることは今まで無かったのだ。
ディオンが私の生存を知らせ、奪還のために攻めてくるにはあまりにも早すぎる。
いつものアラン様に戻ったことで安堵の溜め息をついた。
先程までのアラン様は知らない人のようで怖かった。
「はぁ、行きたくはないが仕方がない。大人しくしていてくれよ寵姫様?」
「帰ってくるな!」
苛立ち紛れに投げ付けた枕を受け止めて棚におくと、アラン様は天幕を出ていった。




