67『変わったのはお前もか』セオドア視点
獣脂を燃料に使った蝋燭の明かりが仄暗いローズウェル城の塔へと続く長い階段を揺らめきながら照らし出している。
宿直の僅かな侍女や騎士達以外の殆どが既に深い夢の世界へと旅立っているだろう時間に、男はゆっくりと足元を確認しながら目の前の長い螺旋階段を登っていく。
本来ならばこんな夜更けに起きていることはないのだ。
きな臭くなっていく諸外国に目を光らせ、自身の睡眠時間を削りながら山積する書類から解放され、そのままセオドア・ローズウェルは塔の階段を一歩、また一歩と登っていた。
第三王子であるルーベンスが学院で起こした騒動後、宰相でダスティア公爵の当主であるロベルト・ダスティアの愛娘にルーベンスの矯正を申し付けて、フレアルージュ王国と国境を接するドラクロアまで送り出した。
ロベルト経由で届けられるリシャーナ嬢のルーベンスを観察し日記のように書かれた報告書は面白く、目を通す度に少しずつ成長している様子に更正の手応えを感じていた。
ルーベンスを学院から出して暫くしたのちに、ずっと学院に併設されていた学生寮に引きこもっていたマリアンヌ・カルハレス準男爵令嬢が学院から消えた。
彼女は要注意人物として監視されていたのだが……
どんな意図があろうとも学院内の規律を乱し、籠絡した面々がいずれも国政にまで影響を及ぼす上位貴族の令息や嫡子ばかりだった為、彼女には内々に沙汰を下すはずだったのだ。
しかし、ようやく所在不明だったかの令嬢が見付かったのはよりにもよって遠ざけたはずのルーベンスのいるドラクロア。
しかも子を宿しており、相手はフレアルージュ王国の王子ときた。
どうしてこうも次から次へと問題が山積するのか。
ロベルトの次男であるソレイユとドラクロアのグラスト・ドラクロア辺境伯のもとへ降嫁した姉、セイラの息子であるフォルファーをルーベンスの補助につけて、危険を承知でフレアルージュ王国へ向かわせた。
代わりに、リシャーナ嬢の願いからドラクロアに同行させていた第二王子であるカイザーを呼び戻した。
フレアルージュ王国は現在ゾライヤ帝国から侵略を受けている。
ゾライヤ帝国はその圧倒的な国力をもって大軍勢で攻め混み数に任せて次々と小国をのみ込んできた。
そんな戦乱の渦中にある国へ、特使として王子であるルーベンスをフレアルージュ王国へ送るのだ。
いくら国同士の交渉と、同盟を結んだと功績をつけさせて地に落ちた名誉を回復させるためとは言え、国外に出せば万が一と言う恐れもある。
塔の最上階の扉に近付くと扉を守っていた衛兵が手にした槍をこちらへむけた。
「誰だ!?」
誰何する声に蝋燭の明かりが届く距離に踏み出すと、私の姿を確認した衛兵が慌てて槍を下ろし冷たい煉瓦の床へと方膝をついた。
「よい、楽にせよ。 カイザーの様子はどうか?」
「はい、意識を戻されてからはしばらくの間荒れておられましたが、今は落ち着かれていらっしゃいます」
「話があるのでな、扉を開けよ」
「しかし! お一人では!」
「危険すぎます!」
扉を開けるように指示すると衛兵達は揃って難色を示した。
それほどまでにカイザーの荒れ具合が酷かったと言うことだろう。
ドラクロアへ迎えに行かせた近衛騎士が途中で抵抗したカイザーを拘束し連れ帰った。
帰路の途中でカイザーの元へ届けられた一報は普段どこまでも冷静だった息子を混乱させるには十分な程の衝撃をもたらすほどだったようだ。
ロベルト・ダスティア公爵の愛娘が何者かの手によってドラクロアの教会から拐われ現在行方が掴めず、生死も不明。
情報を得るなりドラクロアへ単身で引き返そうとしたカイザーは近衛騎士の制止にあい、強制的に城へと連行されてきた。
そうとう暴れたのだろう、騎士達は満身創痍、気絶していたカイザーを隔離する為に塔の頂上へと運び込んだ。
マリアンヌ男爵令嬢に懸想して、愚かにも国の宝物に手をだしたルーベンスをドラクロアへ出すことが決まった際に、正妃であるシャイアンが強い難色を示したが、ルーベンスの信頼を回復するためだと言い含めた。
あれはルーベンスに深く傾倒するあまり、自分の産んだルーベンスよりも優秀なカイザーを毛嫌いしていた。
いつか王は自分の息子ではなく、カイザーを王座につけるかもしれない。
そんな漠然とした不安からか、あの手この手で幼いカイザーを亡きものにしようとしていた。
ロベルトの協力を経て今まで阻止してきたが、ルーベンスではなくカイザーを手元に戻したことで邪推する貴族も出てくるだろう。
王は第三王子のルーベンス王子ではなく、優秀な第二王子を後継に指名するのだと……
シャイアンからカイザーを守る意味もあり、守りやすいように外側から攻めずらい塔に閉じ込めるような形になってしまったのだ。
「かまわない開けよ」
「しかし!」
「かまわない。 私が一緒に入る」
いつの間に居たのか、後ろから現れたロベルトと近衛騎士の姿を確認すると衛兵は引き下がり扉の鍵を開けた。
同行した近衛騎士は一目でロベルトとの血の繋がりを感じられるほどに似通った面立ちをしていた。
人当たりが良く令嬢が夢中になる甘いマスク、茶色い髪を丁寧に櫛梳り後ろへと流した青年は二十八歳と言う若さで近衛騎士の副団長にまで登り詰めた鬼才ダスティア家嫡子ソルティス。
一兵卒でしかない衛兵達はいきなり現れた有名な副団長の覇気に呑まれて扉の両隅に寄り、国王一行を部屋の中へと通した。
常に侍女や女官によって整えられている筈の室内は見る影も無いほどに荒れ果てていた。
木製の一人掛けの椅子は壁に叩きつけられたのだろう。脚がバッキリと折れてしまっていた。
鉄格子が嵌まった硝子窓に掛けられていたワインレッドのカーテンは無惨に破けてしまっている。
倒れた本棚から整然と並べられていただろう本の装丁がほどけて床へと散乱し、足の踏み場もない。
室内の隅に壁に背中を預けて両膝を立てて床へと座り込み顔を伏せるようにして踞ったカイザーを見付けて声を掛けると、ゆっくりとこちらへ顔を上げた。
「カイザー……?」
「こんなところまでワザワザ私のような男のために御足労頂かなくても御呼びいただければ直ぐにでも御前へ参りましたものを、これまで散々放置しておいて今更……」
暗い光を瞳に湛えて私を睨み上げてきた。
この暗く激しい感情を顕にして私を睨みつける者は本当に穏やかな第二王子なのだろうか?
もともと感情を余り表に現す王子ではなかった、常に笑顔を浮かべてそつなく対応する王子ではあったが、目の前の彼はまるで手負いの獣のようだった。
「……カイザー殿下、怒りはわかるが、堪えて戴きたい。 貴方もいつまでもこの塔へと幽閉されたくはないでしょう?」
初めてカイザーからうけた鋭い視線と言葉にただ呆然とする私を余所にロベルトが告げると、のっそりとカイザーはその場で立ち上がった。
「この部屋はもう使えませんね……場所を移動しましょう」
無言でコクりと頷き、ロベルトの言葉に従順に従う。
それだけでロベルトがカイザーと築き上げてきただろう信頼関係を垣間見えた気がする。
移動した場所はロベルトの、宰相執務室だった。
ロベルトは宿直の女官に飲み物を運ぶように指示をだし、私とカイザーを上座に位置するソファーへ促した。
人払いしているため現在ソルティスは執務室の外、執務室の扉を守るように立っている。
飲み物を運んできた侍女が退室するなり、静まり返った室内で始めに口火をきったのはロベルトだった。
「リシャーナがゾライヤ帝国へ拐われた可能性が高いと……」
「ゾライヤ帝国!」
なんと、それでは救出は難航する。
リシャーナ嬢はロベルト宰相の娘、立派な交渉の手札だ。それなのにまだかの国から脅しなどの連絡がないならば、リシャーナ嬢の身元がバレていない可能性が高い。
となりに座るカイザーが食い入るようにロベルトを見詰め、ゆっくりと頭を下げた。
「ダスティア公爵、御令嬢がこんなことになり、申し訳ありませんでした。ドラクロアで別れずに無理矢理にでも私が同行していれば……」
「いいえ、カイザー殿下。 あれは頑固者だ、仮に殿下が同行されていてゾライヤ帝国に殿下を握られれば、我が国に打つ手は無かったことでしょう」
「はい……」
「陛下、ダスティアから何名か兵をゾライヤ帝国へ向かわせますが宜しいでしょうか?」
「かまわない。 思うままにやって来れ。 私もリシャーナ嬢に色々と詫びねばならんからな、必ず連れ戻せ」
「御意!」
「陛下、私にも何かさせて頂けませんか?」
それまでのやり取りを静かに聞いているばかりだったカイザーがこちらを向いた。
「本当なら自身で捜しに行きたい、ですがそれが赦されないならばせめて彼女が帰国できる可能性を少しでも上げておきたいのです。 お願いします」
深々と頭を下げる息子の頭に手を乗せる。
「今日はしっかりと休め。 今のお前では仕事を任せられん。 身なりを整えて十分に気持ちを切り替えよ、問題は山積しているのだ、明日からは休む暇などないと思え。 良いな?」
そう告げると鋭い視線を下げて小さく御意と答えた。
今年も一年お世話になりました。2015年最後の投稿となります。来年も本作品及び作者ともどもよろしくお願いいたします!




