58『公爵家の豚姫』
はぁ、お腹が空いた……
ぐぐぅぅぅ~! 腹の中で盛大に空腹を訴える音が響いた。
いったい今は何時でしょう? 少なくとも布から明かりが透けて見えるので夜ではなさそう。
私は一体何食食べ損なったんでしょう……目が覚めて自覚しましたがひたすら尿意が! どうしよう漏れる!? イヤー!
もしかしたら誰か気がついてくれるかも知れない。
気がついて貰えなければ不味い事態に陥る。
乙女の危機だ。
「ふんぐー! ふぐふぐー!(すいませーん! 誰かいませんか!)」
猿轡のせいでふぐふぐ言ってしまうけど、袋詰めされたままなんとか身体を起こすと、勢いをつけて転がった。
ふふふっ、転がるのは得意なんですよ。
ゴロゴロと転がった先で足元が何かに当たったので思いっきり蹴り飛ばすと、ゴトン!と音がしてガシャン! と陶器が壊れる音がした。
「おい、なんだ。 何があった!?」
身体に感じていた揺れが治まると馬の嘶きと男の声が近付いてきた。
「ふんぐー! ふぐんふぐー!(すいませーん! 助けてくださーい!)」
乗り込んで来たのか踏み出す足に床がギシギシと音をたてて軋むと頭の上が開けた。
髪は傷み、髭を蓄えた男は袋の中の私をのぞきこんでくる。
「なんだ、起きてやがったのか。 暴れんじゃねぇよ、殺されたくなきゃ騒ぐな」
ドスが効いた声で凄まれましたが、はっきり言います! 訓練中の父様の方が怖いと思います!
男を睨み付けながらひたすらふぐふぐ訴え騒ぐ私の姿に舌打ちをすると男は猿轡だけをずらしてくれた。
「ぷふぁ! トイレ~! 行かせてください!」
「あっ、はい」
必死すぎて般若と化しているだろう私の勢いに押されて誘拐犯は両足の縄をほどいてくれた。
「あんまり遠くへ行くなよ、良いな?」
念を押されながらも切迫した私は馬車から飛び降りると木陰に入り、結ばれたままの手に苦心しながら下着を下ろす。
「おい、まだか? 早くしろ!」
「五月蝿いわね! 男と女を一緒にしないで! トイレ位ゆっくりさせてよね!遅いのは両手を縛っている貴方のせいでしょうが、ほらはやく! 布頂戴! 男性と違って雫切ってただしまえばいいわけじゃないのよ! 早くして!」
無神経に急かしてきた男に怒鳴り返す。
「うるせー女だぜ全く」
そう言うと頭をボリボリとかきながら男が馬車の中へ消えていく。
辺りをみれば深い森を抜ける山道のような景色が目にはいる。
右も左も木、木、木、時々小川だ。
木々の隙間から木漏れ日がさしこんで森に光の帯が降り注いでいる。
うん、綺麗だ。 こんな状況じゃなければ地面に敷布をして横になりながら本を読みたい。
「ほらよ!」
馬車の荷台からこちらに向かって投げつけられた切れ端を奪取する。
「ふぅ間に合って良かったわ、危うく粗相をしてしまうところだった」
「早く乗れ! 急いでんだから! 御前は重くて運べないんだよデブ! そのでかい図体さっさと荷台に乗せやがれ」
「ちょっと、失礼しちゃうわ! 私はデブじゃなくて。 ぽっちゃりよ!」
いくらデブとぽっちゃりの境界が曖昧でも、自分をデブだとは認めない!
自分で認めたらそこで終わりだ。
「うっせぇぞデブ! さっさと乗らないなら飯は抜きだ!」
どんなに短く考えても夕食と朝食の二食は食べ損ねてるのに、このうえ食事抜きは流石に辛い。
「乗るわよ、乗れば良いんでしょうが」
渋々馬車に片足をかけるとギシリと音をたてて馬車が沈む。
「ほら足出せ。 お前に逃げられちゃ困るんだよ、さっさと袋に入れ」
バサッと白い麻袋の口をひろげられた。
マジですか……入りたくないんですけど。
「あぁん? さっさと入れよ」
「大人しくしますので袋に入れるのは勘弁してください」
不機嫌な男に頭を下げる。
袋詰めされたら逃げるのも一苦労じゃない。
頭なんていくら下げてもタダよ。
「随分と殊勝になったじゃねぇか、この先に関門がある。 おっとバカな真似は考えるなよ? 逆らえば死ぬより辛いめに合うだけだからなぁ」
フムフム、関所か……何処のだろう?
「……辛い目?」
眼球に力を込めて無理矢理涙腺から涙を絞り出す。
よし、良い感じに潤んできたな。
なるべく怯えたように見えるよう心掛けながら呟く。
「俺の仕事はお前を運ぶ事だが、状態は指定されていないんでね。 まぁ、その体じゃヤル気も起きんわな」
不躾な視線が頭の先から座り込んだ膝まで流れると鼻で笑うように言ってきた。
失礼な、一瞬ギリギリと憎らしさが沸き起こる。 ぽっちゃり体型もなかなか膨らまないささやかな胸部も一番自分がしってるっつうの! 放っとけ!
「睨むな睨むな、そんな身体に欲情しなさる奇特な御仁に可愛がってもらうんだな。 俺は報酬でスラッとして出るところが出た娼婦のところでウハウハだ」
遠い目をして何を想像しているのか鼻の下を伸ばす男が理想らしいボディーラインをなぞるように手を瓢箪型に走らせる。
「その奇特な御仁は“私”をと望まれているの?」
「さぁねぇ、俺は公爵家の豚姫なんぞ会ったことはねぇからなぁ。 俺の仕事は依頼主の指定する町まであんたを運ぶだけだ、逃げられたら俺の首が危ないんでな。 さっさと入りやがれ!」
「わかったわよ、でもその関所とやらまでまだ距離があるんでしょう? なら首だけは出させて頂戴! この麻袋の中は苦しいのよ、お願い……」
なるべく儚く聞こえるように心掛けて懇願すると、男はニヤリと笑ったあと袋に入った私の首もとで袋の口を締めた。
もち入り巾着な気分だ。
「おっと、ほらよ。 約束のメシだ」
男はゴソゴソと背後にあった篭から堅い黒パンを掴むと私の口に押し込んだ。
「ふがふー! ふがふがー!?(ちょっとー! 窒息したらどうすんの!?)」
パンを加えたままふがふが言っていると男は満足そうに頷く。
「そうか、旨いか。 大人しく食ってろ。」
ちーがーうー! にかっと笑って馬車の御者台に戻っていく男を睨み付けながら、味もそっけもない黒パンをやけ食いすることにした。




