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別荘3階、頂上決戦(1)

 杏奈は、明日香の声がした方に向かって突進した。

「待ちなさい。罠かもしれません」

 フィオナの命令は耳に入らなかった。今、杏奈を揺り動かす源は明日香をいち早く助けること、ただそれだけだった。動き出した身体は止められない。

 この暗闇を徘徊してきたおかげで、耳だけは野生動物のように研ぎ澄まされていた。明日香の声は確かに右の部屋から聞こえた。

 ドアノブに手を掛ける。力を籠めた瞬間、霊感が走った。

 明日香はこれまでに一度も先輩と呼んだことはなかった。

(罠だ!)

 しかし時はすでに遅かった。

 ドアが内側に開いた瞬間、待ち構えていた影が杏奈を襲った。

「黒沢杏奈、あんたを殺してやる!」

 それは最後のメンバー、須崎多香美の声だった。

 両手で持つゴルフクラブが激しく揺さぶられた。ナイフの刃先を見事に受け止めているのだ。最大の力で押し返して、多香美を突き放した。

 しかし相手は攻撃の手を緩めない。直ぐさま体勢を整えると、ナイフを振りかぶった。

 杏奈はその動きを見切っていた。自ら床に倒れると、すばやく手錠のついた両腕で相手の足をかすめ取った。

 多香美は無様に倒れ、ナイフが遠くに弾き飛んだ音がした。

「あなたが憎らしいわ」

 そう言って立ち上がった。まだ諦めてはいなかった。杏奈に馬乗りになって全体重を掛けてきた。それは虚しいほど、弱々しい抵抗だった。

「いい加減に目を覚ましなさい」

 杏奈は多香美の頬を打った。

「まだ分からないの? あなたはこれまで外山、いえ楠木かえでに踊らされてきたのよ」

「うるさい」

 彼女の攻撃は続く。

「思い出してみて。あなたがデビューしたばかりの頃を。ダンスが上手なあなたは夢と希望を持ってこの世界に入ってきた。純粋な気持ちでダンスに明け暮れていた。それなのに、いつから人を憎み、恐怖で人を支配するようになってしまったのよ」

 多香美はいつしか動きを止めていた。

「あなたは素晴らしいダンサーよ。昔のように実力で勝負すればいい。嘘で固めた性格は捨てて、本来の自分を取り戻してよ!」

 闇の中で、すすり泣く音が聞こえた。

「そんなこと言われたの、初めてよ」

 もう多香美には戦闘意欲は残されていなかった。

「ねえ、手錠の鍵はどこにあるの?」

「隣の部屋の瀬知さんが持ってる」

「彼女は無事なの?」

「大丈夫よ」

 その時だった。開いた扉から二人の影が飛び込んできた。

「この役立たずが!」

 一人が多香美を蹴り上げた。彼女は悲鳴とともにその場に倒れた。

「女の子になんてことするのよ」

 杏奈は怒りを覚えた。

「タカビーは台本通りにやってりゃいいんだよ」

 もう一人も叫ぶ。

「斉藤琉児と中佐古翔太」

 フィオナの声が闇を切り裂いた。

 相手の次なる動きに備えて、杏奈はすぐに立ち上がった。ゴルフクラブをしっかりと構える。

「あんたたちも楠木かえでの手先って訳ね」

 中佐古はアマチュアボクシングの経験があると聞いている。手錠で両手が塞がれていてはまともに戦える相手ではない。まずは斉藤を先に倒すか、杏奈は瞬時に考えた。

 先に攻撃を仕掛ける。ゴルフクラブに最大の回転を与えると、そのまま影目がけて打ち付けた。

 見事一人目にヒットした。うめき声を上げて廊下まで転がる。こちらは斉藤だろう。

 中佐古はゴルフクラブの回転軌道からすばやく身を引いて事なきを得た。さすがに身のこなしがいい。

 次の瞬間、無防備になった杏奈が襲われる番となった。

 連続してジャブが繰り出される。こちらは手錠の金属を使って応戦した。一度相手の拳に手錠を絡めることに成功したが、すぐにすり抜けられてしまった。

 逆に中佐古のフックが杏奈の顔面をかすめた。危ないところだった。一発食らえば、お終いである。

「杏奈、今龍哉が地下室のスタッフを救助しました」

 フィオナの声。

 しかしそれに応える暇がない。

「私に考えがあります。もう数分間耐えてください」

 そんな悠長なことは言っていられない。相手のパンチは途切れることなく襲ってくる。避けるので精一杯である。

 闇の中でも、中佐古の動きはボクシング特有の足の移動で判断できる。床の上で絶え間なく音が響いているのだ。杏奈は次なる足の移動を予測して、ゴルフクラブを振り回した。何度も空振りを繰り返したが、一度だけ大腿部をえぐった。あまりの痛さに声が上がった。

「畜生、もう容赦しないぞ」

 中佐古は逆上した。むしろ闘志に火をつけてしまった。

 そこへフィオナから入電。

「その部屋には天井にスポットライトが設置されています。菅原がこれからブレーカーを復帰させます。一、二、三を合図に点灯しますので、杏奈は目をつぶって急激な光の変化に備えなさい。相手がひるんだ隙に一気に片をつけなさい」

「了解」

 一か八か勝負してみる他はない。

「では、いきますよ」

 フィオナがカウントを始めた。杏奈はギュッと目を閉じた。

 無防備になった顔面に中佐古のパンチが一発入った。

 次の瞬間、まさに太陽を思わせるほどの光が部屋に降り注いだ。

 中佐古は暗から明への変化に追随できず、立ちくらんだ。一方、杏奈はゆっくりと目を開けて敵の姿を捉えることに成功した。

 ここぞとばかりに猛然と立ち向かった。無防備な顔面目がけて右脚のハイキック。相手が後ずさりしたところ、手錠を使って羽交い締めにした。息ができずにもがき苦しむ。それから咳き込んで床に倒した。

 明かりのついた別荘内はまるで異世界に感じられた。身体に目を落とすと、白のインナーが血に染まっていた。とは言っても、これは自分の血ではない。八幡麻美子を抱き上げた時についた血である。そういえば、彼女は無事だろうか。

 部屋の隅に須崎多香美が横たわっていた。杏奈はすぐに駆け寄った。

「タカビー、大丈夫?」

 返答はない。

 身体を見回したが、特に外傷はない。しかし壁に頭を打ち付けたらしく、気絶しているのだった。

 まだ杏奈にはやるべきことが残っている。

 隣の部屋に監禁されている瀬知明日香を救うことだった。

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