筑間奏絵、かじで大慌て(4)
その頃、筑間奏絵はマンションで夕飯の支度に余念がなかった。狭い台所で、瀬知明日香と肩を並べての作業である。
明日香は見掛けほど悪い子ではないというのが、奏絵の印象である。確かに幼馴染みの彩那には素直ではないところがあったが、それは昔の姿を知る者に対しての照れ隠しではないかと思われた。
奏絵からすれば、不良を演じるのも、それは中学生の女の子のささやかな主張であり、心の底から人を憎んでいるのではないのは明らかだった。
奏絵は、誰よりも長く明日香と接していたので、彼女の本心が垣間見えるような気がしていた。
いつものように、二人して台所での立ち仕事である。
明日香は料理に関して実に興味深く、奏絵の手伝いを通して料理の基本を学ぶことができて満更ではなさそうだった。それに気づいてからというもの、奏絵も準備から実践に至るまで実に様々なことを体験させるようにしていた。
料理を通して、父親を亡くした悲しみを少しでも和らげることができれば、それは奏絵にとっても本望だったのだ。
「彩那と龍哉さんは間もなく病院から帰ってくるけど、今夜、明日香ちゃんはどうする?」
と訊いた。
明日香はゲームセンターの事件から、彩那と顔を合わせづらいようだった。それを推し測っての質問だった。
当人は黙っていたので、
「今日は一緒に食事をしてはどうかしら。この分だと、おかずも沢山できちゃうみたいだし」
と言葉を添えた。
実は食事の量は、あらかじめ明日香が居残ることを考慮してのものだった。
「でも、私が居るとみんなに迷惑掛けるから」
後輩はそんな風に言う。
「全然そんなことないのよ。彩那も明日香ちゃんと一緒の方が楽しいと思っているんだから」
明日香はうつむいて何かを考えていたが、
「ところで、この捜査はいつまで続くのでしょうか?」
と突然訊いた。
その言葉の意味を測りかねたが、
「そうねえ、これまでメンバーが狙われた間隔は十日前後だから、今週が山場ではないかと予想していたけど、結局杏奈には何も起きないのよね」
「明日、あと一日ありますが」
「そうね。明日は握手会だっけ。もしそこで何も起きなければ、もう黒沢杏奈は狙われないってことなのかも」
そうは言うものの、犯人には動いてほしいと思った。
確かに彩那が危険に晒されることにはなるが、このまま膠着状態が続けば、今後の予測ができない。黒沢杏奈を飛ばして児島華琳が狙われるのか、それともいきなり須崎多香美が狙われるのか、これでは警護のしようがない。
何とか突破口はないものか、奏絵は包丁を持つ手を止めて考えた。
突然、居間のテレビから耳を突き刺す警告音が鳴った。ニュース速報である。
明日香が身を乗り出すようにして、居間の方に顔を入れた。
「どんなニュース?」
奏絵は気になって声を掛けた。
今、友人は芸能界に居るのである。彼女の周辺で何か事件が起きる可能性だって考えられるのだ。
「どうやら、歌舞伎役者が病気で亡くなったらしいです」
明日香は顔を戻した。
「誰?」
「知らない人」
彼女は無感動にある役者の名前を口にした。
「先輩は知っていますか?」
その名前には聞き覚えがあったが、詳しく説明できるほどではなかった。
「歌舞伎の人って、みんな似たような名前をしていますけど、どうしてなんですか?」
明日香は料理の手伝いに戻った。
「それは、祖父や父親の名前を襲名するからよ」
「へえ。では亡くなった人の名前も、また誰かが使うってことですか?」
それを耳にして、全身に電流が走ったような衝撃を受けた。
包丁を手にしたまま、放心している奏絵に、
「どうかしましたか?」
「明日香ちゃん、今何て言った?」
目の色を変えて訊いた。
「ですから、死んだ人の名前はもう一度使われるって……」
「そうか、それよ」
奏絵は大きく目を見開いた。
「何のことですか?」
「ほら、例の斉藤の件」
明日香は目をぱちくりさせている。
「マイティー・ファイターの第7話で、斉藤博が齋藤博と旧字体でクレジットされたのは、スタッフの間違いではなくて、何らかの意図があったと考えられたよね?」
「そうですね。以前先輩は、わざわざ簡単な文字を難しい文字に置き換えたのは、明らかに目的があってのことだって言ってました」
「そう、子どもに命名する時とか、ペンネームを付ける時とか、一文字だけ他から貰うことがあるけど、それはどうしてだと思う?」
「それは、親や祖父母に敬意を表して、または憧れの人物から一文字貰うってことですよね」
「そうそう、その調子よ、明日香ちゃん」
奏絵は満足気に言ってから、調味料を指示した。
「それではマイティー・ファイターでは、『齋』のつく尊敬すべき人がいて、その人から貰ったということですか?」
明日香は調味料を手渡して答えた。
「そうね。問題は、その齋のつく人はどこの誰かということね」
「間違いなくマイティー・ファイターに関わる人だと思います」
「しかしエンドクレジットには、齋のつく人物は他にはいない。だけど楠木かえでが言っていたように、実際名前の載らないスタッフは数多くいた」
「でも、名前が載らないようなスタッフに敬意を表すとは考えにくいです」
明日香はしっかり考えてくれていて、それが奏絵には嬉しかった。
「その通り。では他の理由で、ある人の一文字を取ったとすれば……」
「それは?」
明日香が先を促した。
「死んだ人を弔うためじゃないからしら」
「どういうことですか?」
「ほら、名前をつける時に、亡くなった人から一文字だけ拝借するってことは十分あり得るんじゃない?」
「ああ、なるほど」
「誰か、名前の載っていないスタッフの一人が、第7話で亡くなったのよ」
奏絵は断言した。
「しかし、子ども向けのドラマで死人が出るようなことがあるのでしょうか?」
「それは……」
奏絵が言い淀むと、フィオナが入ってきた。
「その可能性があるとすれば、アクションスタントですね」
「なるほど」
奏絵は思わず手を叩いて、
「アクションシーンの撮影中、事故が起きてスタントマン関係者の誰かが亡くなった。その人の名前には、『齋』が入っているんだわ」
「奏絵は以前、アクションシーンに使い回しがあると言ってましたね」
「はい、第2話と第5話です」
「ということは、第5話の撮影中、何か不慮の事故が起きて死人が出た。そのため該当フィルムが使用できず、2話で撮ったものを再利用したということではないですか」
「おそらく病院に運ばれて、しばらくしてから亡くなったのだと思います。名前が差し替えられたのが、5話ではなく7話ですから」
「なるほど、そうかもしれません」
とフィオナは言ってから、
「実は奏絵に指摘されて、もう一度通して観たのですが、あることに気がつきました。第1話からアクションシーンがエスカレートしていくのに、途中5話を境にトーンダウンするのです。これでもかこれでもかと派手だった演出が、急に大人しいものに変わるのです」
「それは、死者が出たため、自粛したということですね」
奏絵が目を光らせた。
「その事故で亡くなった人物を調べる必要が出てきました。主要なスタントマンはきちんとクレジットされているので、名前が載らない裏方の人物ということになります」
「つまり駆け出しの若いスタントマンですね?」
「それはこちらで調べてみます。当時の主要なスタントマン全員の所在確認をして、倉沢課長に当たってもらいます」
「はい、お願いします」
奏絵の声は弾んでいた。




