TOKYOかけた少女(3)
プロデューサーの外山が大柄な身体を揺らして近づいてきた。
ついさっき聞いた真木の話を思い出して、杏奈は身が縮まる思いがした。
「今、ネットに出回っている動画って、本当に君なの?」
いつも以上に渋い表情を浮かべた。
「はい」
正直に答えた。
「それは確かに警察の仕事かもしれないが、アイドルとしては困るんだよね」
「申し訳ございません」
外山は顎に手を当て、しばらく何かを考えていたが、
「でも、そういうキャラがいても面白いかもしれんな」
と独り言をつぶやいた。
「そうそう、例の動画がネットに流れてから、人気投票では君の人気がうなぎ登りでね。このまま行くと次回は最前列になってしまうよ」
「それは無理です」
「ご辞退します」
杏奈とマネージャーが同時に声を上げた。
間髪入れずに、
「それはできません」
「絶対だめ」
「勘弁して」
フィオナ、奏絵、梨穂子が次々に入ってきた。外山にはこの3人の声は聞こえていない。
「まあ、それだけ君の意志が固いのなら、そのままでも構わないんだが、得票数が多いのは事実だから、その辺りはどうにかして誤魔化さないといけないな」
そんな密談をしていると、須崎多香美と最前列のメンバーたちが足並みを揃えてやって来た。外山と杏奈を取り囲むように整列した。
プロデューサーは何事かと、黙って彼女たちに目を向けた。
「黒沢さん、今夜の生放送には、出ないでもらえるかしら?」
多香美が表情を変えずに言った。
「おいおい、そりゃまた、どういうことだい?」
外山は、リーダーの迫力に圧倒されながらも言葉を返した。
それには他の連中が答える。
「黒沢さんは、アラセブには相応しくないからです」
「奇抜な行動で、人気を得るのはフェアじゃないわ」
「私たちは、みんなから愛されるアイドルを目指しているというのに、他人に暴力を振るうのはどうかと思います」
「ダンスが売りのアラセブに、黒沢杏奈は必要ありません」
次々と厳しい意見が飛んだ。
外山は両手を掲げて、ジェスチャーでみんなを制した。
「まあまあ、君たちの言いたいことは分かるが、これもアラセブの話題作りの一環と思って我慢してくれないか」
みんなはぎゅっと口を結んだまま、微動だにしなかった。
「でも、今日のことは反省してもらう必要があります。ですので、生放送には出演してもらいたくありません」
多香美だけは譲らなかった。
「そこを何とか頼むよ」
プロデューサーはわざと軽い口調で返した。
「どうしても黒沢さんを出すと言うのなら、私たちが降ります」
「おいおい、そんな無茶言うなよ」
外山は途端に顔色を変えた。
「どうするのか、今すぐ決めてください」
多香美は強い調子で迫った。
「分かったよ」
杏奈に一瞥をくれてから、
「その代わり、明日からの活動は今まで通り参加してもらうよ」
それを聞いた連中は、不満げな様子でスタジオのセットへと戻っていった。
「あいつら、俺を何だと思ってやがる」
外山がぼそっと本音を漏らした。
「本当にすみませんでした」
杏奈は外山に頭を下げた。
「いやいや、本来人気ナンバーワンの君を外すのは、ルールに反するからな」
外山は苦笑した。
生放送のリハーサルが始まった。
振付師のチャールズ中西が、アイドル全員を集めて細かい指示を与えている。スタッフが一秒も無駄にはできないと必死に動き回っている。
そんな様子をスタジオの隅っこで見守ることになってしまった。
「あの子たち、杏奈に人気が奪われそうだから必死なのよ」
奏絵が入ってきた。
それには隣のマネージャーが反応する。
「そりゃあ、ダンスの一番下手なやつが一番人気では、連中にとってこれ以上の屈辱はないからな」
「何だか、それって、私の悪口言ってるだけのような気がするんだけど」
妹は兄を睨みつけた。
「しかし、本当に私の得票数が一番なの?」
にわかに信じられない話だった。
「どうやら一部のファンがSNS上で呼びかけて、プロジェクトを立ち上げたらしいの」
「プロジェクト?」
「黒沢杏奈を最前列にする会」
「何よ、それ」
「掲示板ではプロジェクトに参加するファンを募っていて、その組織票が人気を押し上げているみたい」
「それって、黒沢杏奈を応援したいのか虐めたいのか、一体どっちなのよ」
当人は鼻から息を吐いた。
「しかし困りましたね」
ため息交じりにフィオナが言った。
「黒沢杏奈は踊りが下手な新人ですが、その全貌が明らかにされないため、ファンにとってはミステリアスな存在なのでしょう。それが彼らの興味を惹きつける結果となったのです」
「最前列に引きずり出して、どんな人物か見極めたいという欲求か」
龍哉の言葉には思わず身震いした。
「いずれにしても、得票数に手を加えるしか方法はなさそうです」
「でも、フィオナさん。票数は刻々と増加してますから、杏奈の数だけ急に減らしたら、怪しまれるのではないでしょうか?」
奏絵が冷静に言った。
「そうですね。ですから杏奈の票数を下げるのではなく、他のメンバーたちの票数を大幅に上げてもらうことにします」
指令長も、黒沢杏奈を最後列に留めるために必死なのであった。
「それにしても、人気が出てよかったわね、杏奈」
「ちっともよかないでしょ」
頭が痛くなってきた。
ちょうど目の前では、バラエティコーナーのリハーサルが行われていた。
メンバーたちが激しく掛け合うシーンだった。台本を片手に互いが罵り合っている。当然やらせとは分かっているが、可愛い顔をした女の子たちが本音をぶつけ合う姿は妙な現実感を抱かせた。
「ねえ、奏絵」
「何、どうかしたの?」
「ああいう台本って、誰が書いているの?」
「普通は番組の構成作家が書くものよ。でも、真木さんによれば、アラセブのキャラを決めているのは、外山さんだって言ってたわね」
「じゃあ、台本も彼が?」
「そうかもしれないわ」
「あの人、見掛けに寄らず、そういう才能もあるんだね」
杏奈は感心した。
8時きっかりに生放送が開始された。
しかし前回と違って、杏奈は蚊帳の外なので、まるで緊張することなく時間だけが過ぎていった。
大時計とともに進行する舞台をぼんやり見ていると、
「元気出せよ」
いきなり頬に冷たいジュースの缶が押しつけられた。
びっくりして顔を向けると、そこには筋肉質の男が立っていた。
確かアラセブと共演して、スタジオに出入りするようになった人物である。
「杏奈ちゃんに差し入れ」
初対面の割には妙に慣れ慣れしい。さすが人気男性アイドルだけあって、少々の無礼も許されると思っているのかもしれない。
「どうも」
受け取ったものの、口はつけなかった。
「俺、ベイビーアンドボーイズの中佐古翔太。そして、こいつが斉藤琉児」
後からやって来た背の高い男も加わって、二人に挟まれる格好になった。
龍哉は黙って彼らの様子を窺っている。
「あいつは酷い女だからねえ」
中佐古が舞台に目を向けたまま言った。
「誰のことですか?」
「もちろん、須崎多香美だよ」
「君が可愛いから、嫉妬しているんだろ」
「そうでしょうか?」
杏奈はぶっきらぼうに言った。
「アラセブが嫌になったでしょ?」
反対側から斉藤が声を掛けてきた。
「別にそんなことはありませんけど」
「君、可愛いからさ、アラセブなんて辞めてソロデビューしたらどう?」
と中佐古。
「でも、私、芸能人としての素質がないので」
「そんなことないさ。今話題の動画を見たよ」
「あれ、写ってるの私じゃないですから」
「えっ、そうなの?」
中佐古はわざとらしい声を上げた。
一方、斉藤は、
「別に隠さなくてもいいよ。カッコよかったぜ」
と妙に身体を寄せてきた。
「それで、ご用件は何ですか?」
「ここを辞めて、俺たちの事務所に来ないかと思ってさ。興味があるなら、社長に声を掛けてあげるよ」
「いいえ、結構です」
杏奈はきっぱり断った。
「まあ、じっくり考えてみてよ。悪い話じゃないと思うけど」
中佐古はそう言ってウィンクをした。
「おい、斉藤。行こうか」
という声を聞いて、
「ちょっと待って」
と制止した。
「あなた、斉藤さんでしたね?」
「ああ、そうだよ」
「ちょっとお尋ねしますけど、斉藤のサイは難しい方、それとも簡単な方ですか?」
「何のことだい?」
杏奈は旧字体と略字体の説明をした。
「略字の方だけど」
「そうですか」
「それがどうかした?」
「もし、あなたの名前が番組の終わりで、難しい方の齋藤で書かれたらどう思います?」
「いや、何とも思わないけど。ああ、他の誰かと間違えたんだなって」
「なるほど、参考になりました」
斉藤は変な顔をして、中佐古を追いかけた。
そんなやり取りを見ておいて、
「お前、意外とモテるんだな」
龍哉が口を開いた。
「あの人たち、あんな風に誰にでも声を掛けてるんでしょ」
「その割にはお前、満更でもない顔してたじゃないか」
「何、馬鹿なこと言っているのよ。そもそもそこから、私の顔なんて見えないじゃない」
「何だよ、お前のこと心配してやっているのに」
龍哉は口を尖らせた。
(まさか、嫉妬している訳、ないわよね)
黒沢杏奈抜きで、生放送が終了し、明日の予定を確認してから解散となった。
アラセブのメンバーたちは杏奈を避けるように帰っていった。誰も声を掛けてくれる者はいなかった。
虚しさを募らせながら、杏奈は龍哉とともにテレビ局を出た。
すると奏絵から連絡があった。
「お食事の用意ができたから、今日のところはこれで帰るわね」
「えっ、もう帰っちゃうの?」
「うん、今日は色々とあって疲れちゃったから」
「そうだったわね。大丈夫?」
「ええ、もうすっかり元気よ。でも、明日香ちゃんも帰りたいって言うし」
自分とは顔を合わせたくないのだと直感した。あの時、無神経な言葉を浴びせたことが悔やまれた。
「あの子、これ聞いてる?」
「いいえ、今地下鉄乗っているんだけど、疲れて眠っているみたい」
そんな風に実況中継してくれた。
タクシーを降りて、マンションに帰ってきた。忙しい一日だったと思う。当然ながら、ドアを開けても誰もいない。寂しい気持ちが心に広がった。
その上、龍哉との関係もぎくしゃくして、ほとんど口も利いていない。
「あら」
狭いキッチンに足を踏み入れると、テーブルに置き手紙があった。
友人の綺麗な字で、
「おつかれさまでした。龍哉さん、お誕生日おめでとうございます。冷蔵庫にプリンを入れておきますので、よかったらお二人で食べてください」
すぐに龍哉を呼んだ。
冷蔵庫を開けると、手作りのプリンが並べてあった。時間がない中、手間を掛けて用意してくれた奏絵に感謝の気持ちで一杯だった。
「ねえ、二人だけでお祝いしましょうよ」
彩那が言うと、龍哉は少し照れた顔を見せた。




