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第4の被害者

 放課後、勉強道具を鞄にしまっていると、奏絵が慌てて教室に入ってきた。

「彩那、早く来て。大変なのよ」

 息を切らしてそれだけ言うと、強引に手を引っ張った。

「どうしたのよ」

「いいから来て」

 二人は廊下を走って、下駄箱が並ぶ玄関へとやって来た。

「一体何なのよ?」

「あれを見て」

 奏絵の指さす方向には校門が見える。下校時と重なって、大量の制服が吐き出されていく。

 その学生たちとは対照的に、白いワンピースの女性が一人佇んでいた。遠くからでも彼女の上品さが見て取れた。流れゆく制服の中からある人物を探し出そうと、必死に目を動かしていた。

「あの人、どこかで見た覚えがあるんだけど……」

「何言ってるのよ。女優の楠木かえでじゃない」

 奏絵が興奮気味に返した。

 彩那はすっかり思い出した。テレビ局でアラセブをじっと見据えていた女性である。聞けば、昔の大女優だったということだったが。

「まさか、私に会いに来た訳じゃないよね」

「いや、それしか考えられないでしょ」

 奏絵は異常事態を察したのか、

「とにかく会ってきなさいよ。私、龍哉さんを呼んでくるから」

 相方の返事も待たず、再び階段を駆け上がっていった。

 彩那は靴に履き替えると、小走りで彼女の元へと向かった。

 近づいてみると、さすがは女優である。確かに年は重ねているものの、堂々たる風格を感じさせる。そんな場違いな来訪者に、生徒たちはみな好奇の視線を向けていた。

 楠木かえでは歩み寄る彩那に気づいてくれた。

「黒沢杏奈さんですね」

 彼女はつばの広い帽子を指でつまんで軽く会釈をした。彩那も立ち止まって頭を下げた。

「テレビ局でお会いしましたね。私、楠木かえでと申します」

 彩那と大女優が向き合う様子は、さながらドラマのワンシーンのようだった。生徒たちはその雰囲気を壊さぬよう、遠慮して通過していく。

「突然申し訳ございません。ぜひあなたにお伝えしたいことがありまして、外山さんからあなたの居場所を聞いて来ました」

 かえでの言葉遣いは丁寧だった。

 わざわざ彼女がここまで出向いた理由とは一体何だろうか、彩那は自然と身構えた。

「実は、矢口邦明さんが大怪我をされまして」

「えっ」

 矢口は以前コンサート会場で知り合った若いスタッフである。彼がADに足蹴りされたのを見て、いたたまれずに割って入ったことがあった。矢口には何か伝えたいことがあるようだったが、お互い忙しくて話し合う機会に恵まれなかった。

「一体、何があったのですか?」

「例のB1スタジオで、作業中天井に吊してあった照明器具が落下して頭を直撃したのです」

 かえでは涙ながらに答えた。

「それで矢口さんの容体は?」

「脳挫傷と診断され、まもなく手術が行われるようです」

「命に別状はないのですよね」

 彩那は思わず訊いた。

「それは、分かりません」

 かえでは声を震わせた。

 気づくと龍哉が間近に来ていた。

「今から病院に向かうところなのですが、お二人もご一緒しませんか?」

「はい、もちろんです」

 考えるまでもなかった。

 龍哉はかえでに見えないようにフィオナに報告を入れた。


 黒沢杏奈とマネージャーは、楠木かえでの運転する外車に乗って病院へと向かった。

 果たして矢口は助かるのだろうか、そればかりを考えて、居ても立ってもいられない気分だった。

 都内の総合病院に着いて、受付で矢口の名を告げると、まもなく手術に入るところだと言われた。手術は数時間掛かるという。

 3人はしばらく待合室の長椅子にかけて待った。

 彩那には矢口の顔が自然と思い出された。確か彼はスタッフが芸能人に気を遣ってもらえるなんて嬉しいと話していた。またこちらから話し掛けてもいいかとも訊いていた。

(彼は何を言おうとしていたのだろうか?)

 考え事をしていると、すぐ隣でかえでが右腕辺りを擦り始めた。随分と気になるようである。

「どうかされましたか?」

「いえ、何でもないのよ」

 龍哉がトイレに立つふりをして何度か二人の前から姿を消した。おそらくフィオナと連絡をとっているのだろう。

「ちょっと失礼しますね」

 かえでが丁寧な物腰で席を立つと、すかさず龍哉が横に腰掛けてきた。

 女優の姿が見えなくなるのを待って、

「どうやら彼女は腕に怪我をしたらしい」

「どういうこと?」

「菅原刑事立ち会いの下、今スタジオで現場検証が行われているんだが、目撃者によると、落ちてきた照明器具を見て、楠木かえでが身を挺して助けたというんだ。おそらくその時に右腕をぶつけたのだろう」

「結構、勇敢な人なのね」

 彩那は感心した。

 そのかえでが戻ってきた。

「事故はどのようにして起きたのでしょうか?」

「そうね、照明器具の固定が甘く、何らかの振動で落下したのだと思うけど、突き詰めれば、スタッフの確認ミスだと思うわ。みんなが忙しさのあまり、基本的な点検を怠っていたのよ」

 彩那は頷きながら聞いていたが、別のことを考えていた。

 ひょっとして、これは第4の犯行ではないのだろうか。脅迫犯は黒沢杏奈、児島華琳の監視の目が厳しいことを知って、スタッフにその矛先を向けた。しかしあくまで狙いはアラセブの筈である。関係者まで対象を広げるのはフェアーではない。

 そこで思い至った。まさか自分が矢口と知り合ったばかりに狙われたのではないかということである。つまり杏奈の関係者を傷つけることで、心理的圧力を掛けているとは考えられないか。とすれば、万が一矢口に何かあれば、それは自分のせいということになる。

 かえでの話は続いていた。

「照明の落下は誰の責任なのか、誰もが口を閉ざしたまま。プロデューサーもそんなことには興味はなく、次の番組のことしか頭にないの。

 こう見えても、私は長年この業界にいるからよく分かるの。昔からこの業界は隠蔽体質だって」

「かえでさんは、アラセブとは長い付き合いなのですか?」

「そうね。外山さんがアラセブを立ち上げた時から関わっているわ。とは言ってもそんな大袈裟なものではなくて、ドラマの演技指導をしたり、一緒にコントをやったり、その程度のものだけど」

 かえでは目を細めて言った。

「今では、私の所有する車やヨットとか、自宅などもロケに使ってもらっているの。そうそう、来週は伊豆の別荘で撮影も予定されているのよ」

 そんな話をしていると、ようやく手術室の扉が開いた。

 慌ただしく医者や看護師が出てきた。その中の一人が、楠木かえでに近づいてきた。

「手術は無事終わりました」

「ありがとうございました」

「命に別状はありませんが、数日は様子見が必要です。場合によっては脳にダメージが残ることも考えられます。その点はどうかご承知おきください」

 担当医はそれだけ言うと、厳しい表情を崩さず立ち去った。

 3人は深々と頭を下げた。

 かえでは、二人に車で送っていこうかと申し出てくれた。

 それにはマネージャーの龍哉が断ったが、彼女は是非とも送らせてほしいと主張するので好意に甘えることにした。

 車のハンドルを握りながら、

「黒沢さん、あなたを見ていると何だか自分の若い頃を思い出すの」

 かえでが切り出した。

「あの頃は私もピュアな心を持っていたと思う。でも年を重ねるにつれ、そういった初心をどこかへ忘れてきてしまった。それをあなたが思い出させてくれたの。アラセブにあなたのような子が加入してくれて本当に嬉しいわ。あなたはいずれ素晴らしいアイドルになる筈よ」

 そう言われて、彩那は複雑な気分になった。

 彼女はアラセブと深く関わり、支えているつもりなのだろうが、メンバーたちには少しも感謝している様子がなかった。どうやらそこにはギャップがあるようだ。彼女はその現実を知っているのだろうか。そして、もしその事実を知っているとしたら、どのように思っているのだろうか。

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