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~番外編~ラクロフィーネ王国王宮誌秘匿

うららの前世である、アンネローザ死後のラクロフィーネ王国での出来事です。


いつもとは少々テイストが違うお話になっていますが、こちらを読んでいただけると色々とお察しいただけるかと思います。


英訳電子書籍「Past Life Countess, Present Life Otome Game NPC?!」発売記念の番外編として。


 地下室へ続く石段を下りていると、窓一つ、灯り取り一つもないこの空間は、外の世界とは全く隔離された場所だとつくづく感じさせられます。

 遠い間隔で置かれた蝋燭だけが、足元を朧気に映し出すのに、もう慣れたものだと気持ちに喝を入れ、私は目的の部屋へと重い足を運んでいきました。


 そうして地下の一番奥、目当ての部屋にたどり着くと、重厚な扉の前に立つ二人の見張りにいつもの印章紋を確認させます。一々面倒な事なのですが、この部屋に入れることの出来る人間は限られているので仕方がありません。


 御一人は部屋の主の御兄上であらせられる、ラクロフィーネ王国王太子殿下。

 それから私こと、ラクロフィーネ王国宮廷第十二席書記官、ラウター・エスドラルのたった二人だけが入室することを許されているのです。


「失礼いたします」


 深く礼をした後、いつも通り物書きテーブルへと足を進めました。持参してきた筆記用具を準備し、記録書を開いた所で日課の質問を始めます。


「お変わりはありませんでしょうか?」

「んー」

「必要なものはございますか?」

「んーんー」


 相変わらず会話にならない答えが返ってきますが、私はその御言葉をそのまま忠実に記録します。それが三年半前、王太子殿下より命じられた私の仕事でありました。




 三年半前のあの日、王太子殿下の命を受け、初めてこの地下室へ足を運んだあの時、第二王子殿下は椅子に座ったまま、とても静かにお話しになられたのです。


 私はペンを持ち、殿下の会話を一言一句違わず書き留めようと、耳を澄ませました。


「私は狂っています。兄上」

「嘘を吐くな!お前は狂ってなどいない。そんなこと皆わかっているのだ」

「いいえ、狂っているのです。そうでなければあんな、虫も殺せぬような令嬢に、カギリダスを振りかけるなどということは出来ません」


 酷く息巻く王太子殿下に向かい、淡々と語る第二王子殿下の方が、まるで大人に見えたものです。


「ドレーン公爵家令嬢ならば大丈夫だ。……少しばかり、顔に痕は残るかもしれないが、命に別状はない。だから、」

「それで未来の王妃になることも出来ず、ただただ若い身空で余生を過ごすのでしょうね。修道院にでも行くことになるのかな?さぞかし酷いことをしたものです、私は」


 しでかした事の大きさを、露とも悪いとも思っていないような口ぶりで話す第二王子殿下に、初めて得体のしれなさを感じた一瞬でした。


 第二王子殿下が起こされた出来事。

 それは一週間前の王家主催の舞踏会にて、王太子殿下の婚約者候補のお一人であった公爵家令嬢へ、触れただけで皮膚が爛れるという劇薬を振りかけるという暴挙だったのです。


 世間の口さがない噂では、第二王子殿下の横恋慕だの、公爵家令嬢が誑し込んだだの、好き放題の言われていたようですが、このご様子では全くの見当違い、それどころかもっと根深い理由がおありのようにお見受けします。


「お前……やはり、証拠を得たのだな」

「何のことですか?兄上」

「オルテガモ伯爵家の令嬢のことだ、アンネロー……」

「その名を呼ぶな!」


 私が咎められたという訳でもないのに、その勢いに圧倒されてしまいました。


 アンネローザ・オルテガモ伯爵令嬢。大変美しい令嬢だと、噂を耳にしたことがありました。

 確か半年ほど前に急な病気で亡くなったのだと伺っていましたが、まさか……ドレーン公爵家令嬢に関係が?

 そんな考えが頭を横切りましたが、黙って書き留めることに集中します。


「アンネローザの名を呼んでいいのは私だけだ。兄上とて許しません」


 ()の方の名前を呼ぶ瞬間のみが、どこかいたわりといとおしみの混ざり合った、不思議なほど幸せそうな表情をされるのです。

 先ほどの激情も、冷ややかさも、どこにも見当たりません。


 ふっと一息つかれた後、またあの静かな表情に戻り、王太子殿下に向かわれたのです。


「衆目に晒された中での乱行です。今更何を言ったところで元に戻るわけではありません。私は、狂ってしまったのです。あの日、あの時より、ずっと狂ったままなのです」


 そう遠い目をされる第二王子殿下は、そのまま地下室へ幽閉という形をとられ、王太子殿下と私は地上へと石段を上りました。

 そうして王太子殿下より、書記官として毎日第二王子殿下の様子を書き記すようにと命を受けたのです。


 それからというもの、私は毎日あの石段を下り、第二王子殿下へお目にかかりました。

 御自分では気が触れたのだと仰っておりますが、とてもではありませんがそんな御様子は微塵も感じられません。私よりも十も年若のはずなのですが、むしろこちらの方が物の知らなさに赤面する事も多々あったのです。


 そうして少しずつですが、第二王子殿下の人となりに触れ半年が経ち、やはりこの御方は気など触れていないと確信した矢先、市井にてある事件が起こったのでした。


「ドレーン公爵家令嬢が?何故そんなことに?」

「どうやらオルテガモ伯爵家令嬢の死因の一端になっていたらしいのです。修道院へ向かう馬車が中央広場に差し掛かった時、突然外へ飛び出され、そのような言葉を泣きわめき散らし、その……第二王子殿下へ、許しを請うたと。街中では大騒ぎになっているそうですが……」


 日課である地下室へ向かう前、同僚から聞かされた話に驚き、取り急ぎ王太子殿下の下へ伝えに走りました。私の話を聞くやいなや、王太子殿下は地下室へと向かわれます。

 そして地下室への石段の途中、湿った空気に鉄の臭いが混じっているのに気がついたのです。


 しまったと思いました。

 見張りの者を置いているとはいえ、本当は気の触れていない第二王子殿下を幽閉する事に難色を示した王太子殿下の言いつけで、扉の鍵は夜中しか掛けられてはいないのです。

 大急ぎで石段を駆け下りると、扉の前で必死に両手を広げ、ぶるぶると痙攣しているかのように震える見張りの衛兵の姿が見て取れました。


 殿下はどうなされたか!?そう大きな声で問えば、歯の音が合わない衛兵が、不敬ながらも指差したその先に、第二王子殿下がいらっしゃいました。


 その手は真っ赤に染められ、お召し物にも点々と血しぶきが飛び散っています。


「怪我は?その手はどうした!?」


 王太子殿下が慌てて駆け寄ると、ゆっくりと首を横に振りながら右手に掴んでいた固まりを投げ捨てました。


「私のアンネローザの名を、勝手に呼ぶからですよ。二度と呼べないようにしたまでです」


 そうして二人居たはずの衛兵の片割れが、顔面から血を垂れ流し、その場に崩れ落ちました。


 無事だった方の衛兵を落ち着かせ、ようやく聞き取りが終わると、夜も随分と遅い時間になっていました。


 あの殴られた衛兵は元々少しばかり口が軽く、市井の噂話を持ち込んでは大声で話すことがよくあったそうです。

 あの日も、中央広場での出来事を面白おかしく語っていたところ、突然第二王子殿下が部屋より出てこられ、いきなり殴りかかられたということでした。話の内容すら覚えていない、ましてや()の方の御名前を呼んだなどとは全く記憶がないと言っていたこと、全て調書を取り王太子殿下へとお渡し致しました。


 そうして一通り調書に目を通した王太子殿下は真夜中だというのにも関わらず、私を伴われ、地下室の石段を下りられました。夜勤の寡黙な衛兵は、王太子殿下の御顔を確認すると、外側からきっちりと掛けられている扉の鍵を開けました。


 中へ入ると、寝台に座る第二王子殿下がこちらを振り返り、美しい御顔で静かに仰られたのです。


「私は狂っているのですよ、兄上」


 その御言葉を聞かされた王太子殿下は、小さく頷かれた後私に向かい、記録をとるようにと命じられました。


「何か言うべきことはあるか?」

「一つだけお願いがあります」


 王太子殿下がその先の言葉を促されると、第二王子殿下はゆっくりと、そしてはっきりとした声で告げられました。


「アンネローザと同じ歳、十七になる歳のあの日、彼女と同じように見送って下さい」


 御言葉を書き留めながら、その時の私には殿下が何を仰っていられるのか理解が出来なかったのです。


 ()の方と同じようにとは?首を傾げながら王太子殿下の御様子を伺えば、眉根を寄せて今にも泣かれそうな御顔でお答えになられました。


「それしか、ないのだな。お前が幸せになる方法は……」

「幸せ……ああ、そうなのでしょうね。私は、私の幸せはアンネローザと共にありました。それだけで十分です」


 王太子殿下とは対称的な、穏やかな笑顔をたたえ、語られた御言葉を、私は一生忘れることはないでしょう。

 そうしてそれからの第二王子殿下は、本当に一人幸せの殻の中に閉じこもることとなったのです。

 何を御伺いしても意味不明の御声を発するだけとなられ、虚ろな目でどこか遠いところを見ていらっしゃるだけの日々がただ淡々と過ぎていきました。




「本日は王太子殿下より、お菓子を賜りました」


 胸のポケットより取り出したそれは、小さな小箱に入れられた花の砂糖漬けです。


「お一ついかがでしょうか?」


 そう申し上げ、そっと第二王子殿下の御目の前に差し出しますと、邪気の無い態度で無造作に砂糖漬けを掴み取られました。

 そして、あー、と喃語のような意味のない御言葉を発せられながら、嬉しそうにその砂糖漬けを眺めていらっしゃいます。


 私はその御姿を確認し、ゆっくりと扉に向かいました。重い扉を開け、最後にと、もう一度振り返ったところ、第二王子殿下と目が合ったのです。

 久しぶりに拝見するその御目は、とても穏やかに世界の色を映しておりました。


 ああ、この御方は、やはり狂ってなどいなかったのです。


 同じ歳、同じ日の、今日のこの時を、ただただ静かに、迎えたかっただけなのでしょう。


 三年振りのその御姿に、私は深々と頭を下げ、そっと扉を閉めました。

 石段を一つ上る毎に、三年前の殿下の御言葉が思い出されます。あの日、第二王子殿下は今日と同じ御目でこう仰られたのです。


『もしも生まれ変われるのなら、今度はアンネローザと同じ歳に生まれて、一番に彼女へ求婚したいんだ』


 少しだけはにかまれた表情は、私が拝見した殿下の御顔の中でも一番年相応のものでした。


 だからこそ、()の方と同じ歳になるまでは生きていたいのだと、笑う殿下が狂われているというのなら、その御言葉に涙した私もきっと狂っているのでしょう。


 願わくは、殿下の最後の想いが天に届きますようにと祈りました。そうして流れ落ちる涙もそのまま、私は最期の報告書をお渡しするために、王太子殿下の下へと足を進めたのでした。

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