撤退
野営地のテントの中。
意識が戻らないセシルを、担架でテントまで運び介抱している。
アンナが攫われてからニ時間ほどが過ぎただろうか。
セシルが目を開けた。
「セシル!」
ラナは気丈に元気な顔を見せた。
「……大丈夫よ。この程度の矢傷、私の《治癒魔法》にかかれば傷跡も残らないわ」
セシルは、我に返り、がばっと上半身をおこし、周りを見渡す。
俺とラナしかいない。
アンナは攫われたのだ。
セシルはゆっくり横になり目を閉じる。閉じた目からは大粒の涙が流れ落ち、顔を隠す。
ラナは目頭をあつくし、無言でテントから走り去る。
俺もテントから出た。
そこに戻ってきたアントレアと目が合った。
涙ぐむラナの様子が気がかりだったのか、アントレアが問う。
「セシルさんの様子はいかかですか?」
「もう大丈夫みたいだ」
俺はそう答えるが、アントレアは深刻な顔色を変えずに、
「そうですか、それはよかった。 ……それとは別なのですが、今回の遠征ですが本日をもって撤退が決まりました」
「撤退?」
「はい、今し方、隊長と冒険者達の話し合いが終わり、頑なに防御に徹するオークが相手だと打つ手がないと意見がまとまりまして……」
「じゃぁ、アンナはどうするんだよ?」
淡々と話すアントレアに感情的な衝動が湧き上がる。
「お気の毒としか……」
気持ちの整理がつかない。何をしたらいいのか分からない。
『アンナを見捨てていいわけがない』
それだけは分かる。
「なあ、また期間の三週間には間があるだろ。 二、三日でいいから待ってもらえるように説得できないか? まだアンナはあの神殿の中で生きてると思うんだ。本当に取り返す方法がないのかしばらく考える時間が欲しいって、隊長に頼んでもらえないか? なにも急いで帰る必要なんか無いじゃないか」
「いえ、それがあるのですよ」
「アンナさんは、儀式のための生贄として攫われたのだと考えています。そしてその儀式が《魔界へのゲート》を開くためのものと考えるのが合理的なのです」
「まだ生きてるって考えるなら、なおさらアンナを助けないといけないだろ」
アンナの身を心配する俺とは、別の事をアントレアは心配する。
「もし、《魔界へのゲート》を開こうとしてるのなら、指導者として魔王の幹部クラスがあの神殿内に居ると考えるべきです。魔王の幹部ともなれば、強大な魔力を持ち、絶大な力を有しています。ここにいる冒険者が一斉に攻撃しても敵いません。そして、もしここで《魔界へのゲート》が開かれてしまったら、城が戦渦となってしまいます。そうならないためにも、前線から兵と冒険者を呼び戻し、一日も早く、再編成した軍隊でこの旧市街地を奪還しなくてはなりません」
「セシル!」
テントから出てきたセシルに驚いたラナが名前を呼んだ。
俺達はセシルを見つめる。
「私行きます。 アンナが生きている可能性があるのなら……。今、アンナを見捨てたら、一生後悔します」
ラナに目線を移すことなく、うつろに一点を見据えたままセシルはラナの横を通り過ぎる。
「そうね。私も後悔するのは嫌だわ。私達なら可能性あるわよ。ああ見えてコウヘイ頼りになるんだから」
ラナはセシルの横に並び歩き出す。
遠ざかるラナとセシル。
『どこに向かって歩いてるんだ? このまま神殿に向かうつもりなのか?』
すぐ感情的にラナは早合点する。悪い癖だとは思うのだが、
『俺、何も言ってないぞ』
それを今、言える雰囲気ではない。
そして、俺もアンナを助けたいと心から思うのは確かだ。
しかし、あまりにも短絡的な行動に、止めようと声をかけた。
「おい、待てよ」
「待って下さい」
アントレアも同じことを思ったのだろう、俺の声にかぶさるように声を発した。
「そうよね。アントレアは会って間もないのだから、考えて当然よね」
気持ちが高ぶっているのだろう。ラナの淡々とした口調が冷たい憤りを匂わせる。
「……」
いつになく険しい表情になったアントレアはしばらく沈黙を続けたあと、
「私達はまだ、遠征隊に属しています。神殿に向かうにしても隊長の許可が必要です」
事務的なアントレアの態度に、ラナが怒り出す。
「関係ないわよ、そんなの。 除隊すればいいだけの話でしょ」
ラナは、アントレアを残し、神殿の方に向かおうとする。
「分かりました。分かりましたから、ちょっと待って下さい」
静止を押し切ろうとするラナの前に立ち、行く手を塞いだアントレアは、
「除隊するにしても隊長の許可を取る必要がありますし、私が隊長と掛けあってきますから、短気を起こさず今しばらく待って下さい。きっとラナさん達の意思に叶うようにしますから」
アントレアは、「軽率な真似だけはしないでください」とラナに言い聞かせ、旧市街地にある執務室の方向へと駆けた。
俺は、隊長が許可しないことを願った。そして、許可することも願った。
ラナとは長い付き合いだ。俺が『危ないからやめろ』と言っても聞き入れない事が分かっている。しかし、このまま死地にラナを向かわせていい訳はない。
『俺一人でアンナの救出を!』とも心のどこかで意識する。
なおさら自殺行為でしかない。
アントレアならここで合理的な決断ができるのだろうが俺にはそれができない。ズルズルとラナとセシルの強い意思に流されてしまう。
沈黙が続く。
兵も冒険者も土工も、まだ、神殿近くに留まっている。野営地に居るのは、俺達とおばさん達と数名の警備の兵だけだ。広い野営地で見える人影はない。
緊張の糸が途切れたのか、セシルが急に泣き崩れる。
ラナが寄り添い、勇気づける。
「大丈夫よ、セシル。私達がついてるから」
「ごめんなさい。やはり、私一人で行きます」
「何言ってるの! 三人で戦いましょ」
「でも……」
むせび泣くセシルに、
「私はアンナちゃんを妹のように思ってるわ。いいえ、とてもかわいい妹だわ。なんで妹が苦しんでるのにほっとけたりするの」
両手でセシルを覆い、抱きかかえるのだが、姉にしがみつく妹のようにラナは小さい。ラナにアンナの面影を重ねてしまう。
『もし、攫われたのがアンナではなく、ラナだっとしたら』
今見ている光景が、攫われたラナを思い、悲しむセシルとアンナだったら。
そう考えると、嫌で嫌で気が狂いそうになる。
『攫われたのがラナじゃなくて良かった』
心のどこかに、そんな気持ちがある。
そんな俺自身が嫌になる。




