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公爵家の取り潰しとこれからと


 調薬室で、ゴリゴリと薬草を擦る。

 アリソンとゴドウィンが融合した魔物が塵となった後、アリソンの最期の怨嗟の攻撃を防ぎきれず、ウィルフレッドが倒れた。


 滑らかになった薬草にさらに聖水を入れ、滑らかになるように丁寧にかき混ぜる。


 こうして単純作業をしていると、どうしても八日前のことを思い出してしまう。


 心のどこかで、彼は多少の怪我をしても大けがをすることはないと思い込んでいた。剣の腕がよく、鍛えられた体はいつだって俊敏で。


 真っ青な顔をして膝をつく彼を見て、イヴェットの頭は真っ白になってしまった。アリソンの憎悪は呪いという確かな形となってイヴェットを襲い、それをウィルフレッドが弾いたことで彼が受けてしまっていた。


 アリソンが放った呪いは禁呪にも近く。

 その様子を目の当たりに見たイヴェットは感情の赴くまま、力を全開に浄化をしていた。


 たまたま場所が良かった。すでに魔物はいなくなり、浄化の魔法陣からは大聖女の祈りが絶え間なく流れ込んでいた。結界に囲まれた空間は清浄な祈りで満たされていた。


 つまり、イヴェットの技術も知識もない浄化でもウィルフレッドが受けた呪いは壊され、止まったのだ。

 イヴェットは力をすべて使い切ってしまい、そのまま意識が途切れた。


 目を覚ましたのは翌日の朝、治療院の寝台の上だった。隣のベッドにはウィルフレッドも寝かされていた。目が覚めたイヴェットはソフィアとエドガーにこっぴどく説教され。余りの正論に項垂れた。


 隣で話を聞いていたウィルフレッドはどう思っているのか、チラリと視線を向ければ。助けてくれてありがとう――と優しい笑顔だ。その言葉だけで、説教などどこかに飛んで行ってしまった。再び、説教が始まったのは仕方がない。


「お嬢さま。今日の分のお薬は出来ましたか?」

「ええ。もう少しで作り終えるわ」


 イヴェットは療養中のウィルフレッドのために特別なポーションを作っていた。このポーションは呪いによる怪我をした人のためのもので、ソフィアから教えてもらったレシピだ。


 慎重に、薬瓶に作りたてのポーションを注ぐ。


 きっちり一人分。

 一日一回、十日間飲み続ける。同じ時間帯に、作って一時間以内のものを。


 効果は体の奥にまでしみ込んだ呪いを消すためのものだ。イヴェットの暴走によってウィルフレッドに掛けられた呪いは壊されていたが、力任せに砕いたようなもので、破片が体の中に散ってしまっている状態。


 薬瓶のふたを閉めると、思わず嘆息した。


「どうしました? お疲れですか?」

「ううん。薬を作るのは、あと二日だと思って」

「よかった、という感じの顔ではありませんね」


 カイラが心配そうに首を傾げた。イヴェットが何を不安に思っているのか、読み取ろうと見つめた。


「クリーヴズ公爵家は取り潰すことになったそうよ」

「まあ、そうなりますね」

「領地にある公爵家の屋敷、どうやら禁呪の実験場になっていたみたい」


 そのために犠牲になったのは領民たち。上手に選定していたのか、領民たちは気にならなかったようだ。気が付けば人が減っていた、誰もがそう口にしたという。


 もしかしたら、認識しない何かの術が使われているのかもしれないという話もある。とにかく公爵領は穢れが凄まじく、一度国に返納され、その後は中央教会預かりになる。浄化をしながら、禁呪についての研究所として使われるそうだ。


「お父さまと後妻、それから侍女のケイト。三人は教会で処罰されるそうよ」


 ジェレミーはともかく、パメラとケイトは初めから捕らえるつもりだったのだろう。予定外にもジェレミーも中央教会に行ってしまったが、パメラの口を割るためにジェレミーは使われる。どんな扱いになるのか、想像すると恐ろしい。


「それでね、わたくしは正式に公爵令嬢ではなくなるの。聖女候補の肩書もあることだし、中央教会に行こうと思っていて」


 貴族ではなくなることは特に不満はない。平民として生きていこうと家を出たのだから。ありがたいことに貴族の肩書はなくても、聖女候補という肩書がある。中央教会で教育を受け、聖女となればお金に困ることなく生きていける。


「ウィルフレッド様はどうするのですか?」


 イヴェットは唇を噛みしめた。


 イヴェットにとって、ウィルフレッドはいつも守ってくれる人だった。国王から護衛としてつけられた時も、辺境の地に来た時も。

 ウィルフレッドの気持ちは態度で示されていた。でも言葉にしないのは、恋愛事に及び腰なイヴェットに合わせていたから。


「……状況が違うわ」


 イヴェットが公爵家を捨てて来ただけなら何とでもなっただろう。クリーヴズ公爵家は禁呪の実験場になっており、しかも不名誉なことに教会預かり。特別な家であると国から認識されているにもかかわらず、今回の失態。単純な、後継者の能力不足による返上ではない。


「要するに、ウィルフレッド様が嫌いになったと」

「違うわよ! どうやったらそういう結論になるの」

「好きということで間違いないですか?」


 気持ちだけは誤魔化したくなくて頷く。カイラはにこにこと笑みを見せた。


「だったら、ウィルフレッド様に話すべきです。きちんと気持ちを伝えないと、いつまでも心が過去に囚われてしまいます」

「……拒絶されたら死にそう」

「失恋では死にません。それに死ぬほど働けば、いつの間にか綺麗な思い出になるものです」


 カイラに後押しされる形で、イヴェットはウィルフレッドが使っている部屋へと向かった。



 ノックをすると、扉がすぐに開いた。出てきたウィルフレッドを見て、目を丸くする。いつもはシャツにズボンというラフな格好なのに、今日はきっちりと騎士服を着こんでいる。


「どうして騎士服?」

「そろそろ動こうかと思って。傷口も綺麗に治っているのに、寝ているのも飽きた」

「でも、まだエドガー様の許可が」

「許可を待っていたら、あと半月ぐらい寝ていろと言われそうだ」


 本当に大丈夫なのだろうかと、訝しむ。もう少し横になっていた方がいいと言いたくて、不調を探してみるが、ウィルフレッドはどこも悪いようには見えなかった。


「十日間飲み続ける必要があるから、今日を含めてあと三日。ポーションを飲んでね」

「わかっている」


 ポーションを差し出せば、彼は迷うことなく一気に飲み干した。味はイマイチのようで、飲み終わるといつも眉間にしわが寄る。


「ところで、イヴェットはこの後、予定は?」

「特にないけれども……」

「じゃあ、気晴らしに少し出かけようか」


 よくわからないまま、外に連れ出されてしまった。


 とはいえ、少し前までは怪我人であったことは間違いない。誰かに見つかれば、すぐに部屋に追い返されてしまうので二人は辺境伯邸の庭を歩いた。肩に触れない程度の距離で、並んで歩く。


 護衛ではなくてこういう距離で歩くのが初めてであることに気が付いた。ちらりと横を見れば、いつもと変わらないウィルフレッドがいる。


 何も話さなくても一緒にいるだけで、穏やかな幸せな気分になる。愛しているという盲目的なものではないけれども、確かに彼が好きだ。


 自分の気持ちを素直に認めれば、どうやって話そうかという迷いがなくなった。まずは気持ちを伝えて。そして、すぐさま中央教会に行こう。カイラの言う通り、忙しくしていれば、そのうち思い出になるに違いない。


 そこまで自分の中の整理ができて、足を止めた。


「どうした?」

「ウィルフレッド様、大好きです、わたくしと結婚してください!」


 すべてをすっ飛ばした。結婚のことは全く考えていなかったのに、何故か告白と一緒に出てしまった。頭が真っ白になる。


 驚きにウィルフレッドが目を見開いたが、すぐに笑顔になった。イヴェットに向き合って立つと、彼女の両手を持ち上げた。その指先にキスを落としながら、彼女の目を見つめる。その目はいつも以上に熱がこもっていた。


 何が起こっているのか、理解できないイヴェットはただただ彼の熱い目を見返していた。


「喜んで」

「え?」

「結婚、明日でいい?」


 ウィルフレッドは楽し気にそんなことを言ってくる。


「あした?」

「そう。気持ちが高ぶって手順を飛ばしているだろうな、というのがわかるから。考えなおす暇はない方がいい」


 そう言いながら、指先から手首に唇を当てる。今までにない行動に、完全に頭は混乱していた。そして、そんなに簡単なことではないと、慌ててストップをかける。


「ちょっと待ってください。結婚までは望んでいなくて」

「望んでいないのに、結婚を申し込んだのは何故?」


 言葉に詰まった。

 家に縛られた婚約ではなく、恋人になってほしいとかでもなく結婚。なかったことにしようとしていた願望が口から零れ落ちた結果だ。


 ウィルフレッドはわかっているのだろうか、イヴェットと結婚する難しさを。心配になって、顔を曇らせる。


「……わたくしとの結婚、とてもじゃないけれどもよい縁ではなくて」

「よい縁じゃない? どのあたりが?」


 本当にわかっていないのか、ウィルフレッドは首を傾げた。次期辺境伯としての教育を受けている彼が何も気が付かないわけがない。そう思うのだが、彼がとぼけるのなら自分で説明するしかない。言葉にするのは心が痛むが、言わなくてはいけなかった。


「わたくし、クリーヴズ公爵家を潰したわ。しかも能力不足ではなく、禁呪を許してしまったのよ。領民たちだって犠牲になって」

「イヴェットは悪の組織に立ち向かうためにすべてを犠牲にしたと言われているが」

「は?」


 どこぞの演劇のような筋書きに、目が点になる。


「すでに先代公爵が悪の組織に殺されていて、彼らの目的は世界の破壊。それを阻止したと」

「悪の組織、そういう感じになっているの?」

「何だ、知らなかったのか?」

「ええ……」


 ソフィアとカイラの盛り上がっている姿が浮かんでくる。カイラは昔から英雄譚や冒険ものが大好きで、ソフィアはイヴェットの傷にならないようにと考えてくれたのだろう。嬉しいけど、なんか釈然としない。


「他には?」

「何が?」

「俺と結婚することによる心配事」


 結婚を前提に話をされて、イヴェットは視線を落とした。考えがまとまらず、言葉が出てこない。


「聖女になりたいというのなら、ここから通えばいい。ソフィア様にお願いすれば、イヴェット専用の転移魔法陣を設置してくれるだろう」

「流石に、それは」


 我儘が過ぎる、と苦笑した。


「希望は告げてもいいと思う。駄目なら駄目だと言うだろうし、できるようにするにはどうしたらいいか考えたらいい。ほら、他に不安なことは?」

「……明日結婚するとなると、ドレスが」


 少女らしい、そんな気持ちを告げてみれば。ウィルフレッドが初めて困った顔をした。


「これはソフィア様に相談だな。俺はいつものイヴェットでも構わないんだが」

「本当に……?」


 真顔で問えば、ウィルフレッドはどこかの演劇で行われるように、イヴェットの前で片膝をついて手を差し出した。


「貴女を愛しています。どうか、俺と一緒に生きてくれませんか?」


 何の飾りもない言葉。だけどどうしても胸が苦しいほど嬉しくて。


「喜んで」

 

 イヴェットは差し出された手に自分の手をそっと置いた。

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