聖女候補復活と婚約白紙
「ええ? 聖女候補に戻った?」
午後のお茶会に誘われて、サロンの椅子に座ったところで、ソフィアがにこやかに報告してきた。
「そうなのよ。昨日、大聖女様に報告したら、ついでだから聖女候補に戻したらいいという話になって。結構、使えるのよ? 聖女候補の肩書は」
どこをどうしたら、そんな話に拡大するのか。声を失っているうちに、ソフィアはさらなる衝撃を与える。
「それだけじゃないわよ? お兄さまにお願いして、婚約解消してもらったから」
「そちらも早すぎませんか? 昨日のお話ですよね?」
イヴェットは目を白黒させる。それに対して、ソフィアは楽し気にカップに手を伸ばした。
「イヴェットは元々聖女候補だったからね。聖女候補復活と大聖女様が帳簿に書けばいいだけの話なのよ」
「どういうことでしょう?」
「聖女の素質を持つ子は特別なの。例えば結婚して教会を離れても、病気をして動けなくなってしまっても、聖女候補のまま。ただし、そういうことを公言してしまうと、バカなことを考える人間が出てくるから、表向き、聖女候補の資格を失ったことにするのよ」
それはわかる気がした。イヴェットが聖女候補であったことは上位貴族しか知らない。だから、次期当主として社交をするようになっても、聖女だったのだからという理由で無理難題を吹っかけてくる人間はいなかった。
もし聖女候補のままであれば、気軽に祝福してほしいと言ってくる人間がいただろう。それは貴族だけではない。平民も同じ。もしかしたら助けてくれるかもしれないという期待を知らないうちに持ってしまうものだから。
「聖女候補の件はわかりました。婚約解消は……もしかして何かありましたか?」
体裁を整えるにしても、一日かかっていない。貴族の、それも公爵家の婚約を白紙に戻す手続きはとにかく時間がかかる。国王が許可したとしても、短すぎた。
「それがねぇ。どうやらあなたの元婚約者と義妹、社交界でやらかしてしまったようなのよ」
「やらかした?」
やらかしそうな人たちであるが、それにしても早すぎないか。まだイヴェットは死んでいない。
「あなたが病気で倒れたから、代理としてあなたの元婚約者にエスコートされて王家主催の夜会に参加したのですって」
そう言われて、王家主催の夜会があったなとぼんやりと思い出す。だが、あれは公爵代理のジェレミーと夫人、次期公爵であるイヴェットしか参加できないはず。ゴドウィンもイヴェットをエスコートするという形で今まで参加してきたにすぎない。そのため、ゴドウィンもアリソンも、どちらも招待される立場にない。
「ええ、本当に?」
公爵家と言えども、守らねばならない常識はあるのだ。アリソンは後妻の連れ子だが、公爵家に来てからすでに六年。知らなかったでは済まされない。
「そうよ。許可なくあなたの代理を名乗り、さらにはその婚約者もつれてきて」
くふふと楽しそうにソフィアは笑う。イヴェットは頭を抱えた。
「二人の事ですから、上位貴族のご夫人方を怒らせたのではないのですか?」
なんせ、アリソンはマナーを身につけていない。下位貴族たちしか集まらない夜会や茶会なら誰も注意しないかもしれないが、王族主催の夜会である。当然、マナーの粗を指摘する意地悪な夫人たちも多い。特にイヴェットに好意的な夫人たちならば、黙ってはいないだろう。
「マナーだけじゃないわ。驚いたことに、クリーヴズ公爵当主の証をつけて参加したそうよ」
「クリーヴズ公爵当主の証?」
そんなものあっただろうか。
思い当たるものがなくて、首を傾げた。想像していた反応を示さなかったのか、ソフィアが目を丸くする。
「え? 知らないの?」
「はい。お母さまの宝石類は全部取り上げられていたので……」
価値あるものは取り上げられ、大切な物は壊され。そんな悲しい思い出を掘り起こしながら記憶を探る。だが、そのような大切な意味のある宝石は思い浮かばない。
「燃えるような赤い宝石のピアスなのだけど」
「赤いピアス。もしかしてお母さまがいつもつけていたものでしょうか?」
「そう、それよ! あれは儀式を終え、当主になった時につけることができるのよ」
エリノアの肖像画には確かに赤いピアスがつけられていた。だけど、どれほど記憶を探しても、当主の証という話は聞いたことがない。
「アリソンに取り上げられた宝石の中に入っていたのかもしれませんけど……当主の証?」
「本当に知らないの?」
首をかしげていれば、信じられないとばかりソフィアが天を仰いだ。
「ねえ、カイラは知っている?」
イヴェットに聞いても仕方がないと思ったのか、カイラに質問を投げた。カイラも眉間にしわを寄せて首を振る。
「いいえ。そういうお話は聞いたことがありません」
「本当に? ウィルフレッドはどうかしら?」
ソフィアは部屋の隅に護衛として控えていたウィルフレッドにも聞いた。ウィルフレッドはどこか思案気な顔をしている。
「俺は聞いたことがある。ただし、それは外でだ」
「外?」
「公爵家の中では聞いたことはないが、他の上位貴族たちが話していた」
上位貴族たちの話、すなわち彼の場合は国王の護衛として側に控えていた時ということだ。特に隠し事をするような話ではなく、雑談の一つで聞いたに過ぎない。
「なんだか気持ちが悪いわね。まあ、この件についてはお兄さまに言っておくわ」
「ありがとうございます」
ここで考えても仕方がないので、素直にお礼を告げた。
「それで、話を戻すと。公爵当主の証をつけて、招待されるべきでない人たちが来たものだから、ロバートソン伯爵夫人が怒ってしまってね。ちょっとした言い争いになってしまったようなの」
ロバートソン伯爵夫人と聞いて、納得した。彼女はエリノアとはとても仲がよく、しかもジェレミーの従姉。ジェレミーは何もしてくれなかったが、エリノアが亡くなった後イヴェットを色々と気遣ってくれた。社交界での立ち振る舞いも彼女から習ったようなものだ。
「想像できます。アリソンはいつも自分に都合の良い主張をする性格なので」
何でも自分中心に都合よく解釈するアリソンだ、いつもの調子で話して、貴婦人たちの怒りを買ったのだろう。死亡扱いにならないのなら、後で謝罪をしに行くべきかもしれない。
「ロバートソン伯爵夫人、義妹に当主を頼まないといけないほど寝込んでしまっているのなら、お見舞いに行くと言い始めて」
「え?」
「実際に行ってみたら、いないじゃない? しかも、ジェレミーは生存が危ぶまれるほど衰弱しているし。ジェレミーはすぐに王家の療養施設に入ったわ」
ジェレミーが衰弱していると聞いて、イヴェットは唖然とした。確かにほとんど顔を合わせていない父親であったが、衰弱しているなんて知らない。
「お父さまが病気? 知らないわ」
アリソンの状況は想像できても、ジェレミーについては戸惑いしかない。
「事情はこちらの手紙に詳しく書いてあるわ。もちろん、あなたの婚約解消の経緯についても」
ソフィアは机の上に、王家の印が押された手紙を置いた。手紙に視線を落とす。きっと中を読めば、イヴェットが知らなかったことも書かれているのだろう。
「わたくし、遠くから眺めていて、勝手にこうだと決めつけていて」
仲の良い家族を横目に、自分は関係ないと線を引いた。だから、ジェレミーの状況なんて知らないし、いつもイヴェットに対して怒っている父親しか記憶にない。
「なんだかいい感じに誤解しているようだけど、ジェレミーは卑屈な小心者で間違いないわよ?」
「でも」
仕方がなかった、と言い捨てるのは難しい。
今更のように、もっと違うやり方があったのではないかという気持ちがこみ上げてくる。嫌われていても、体調を気遣うことはできたはずだ。
後悔に顔色を悪くするイヴェットにソフィアは優しい目を向けた。
「話は変わるけれども、中央教会に行かない?」
「中央教会ですか?」
「そう。大聖女様と話したのだけど。辺境の魔の森で経験を積むよりは、中央教会で効率よく勉強した方が習得は早いだろうと」
昨日までとの話と違うことに、イヴェットは首を傾げた。
「お手伝いを必要としているのでは?」
「そうだけど、今後のことを考えるとね。わたくしとしては残ってもらいたいわ」
「では、ここに残ってお手伝いしたいと思います」
ここを離れたくなくて、ここに残ることを告げた。中央教会に入ってしまえば、ここに戻ってくることは出来ない。それはウィルフレッドと会えなくなるということだ。まだちゃんと向き合っていないが、このままウィルフレッドと離れてしまうのは嫌だった。
「お嬢さま、中央教会に行きましょう」
「カイラ?」
カイラの顔を見れば、強い目で見返された。いつもはイヴェットの意思を尊重してくれているのに、今日は譲らない目をしていた。
「先日の祝福、大聖女様にも劣らない素晴らしいものでした。それから聖魔法も。中央教会できちんと学び直した方がいいと思います」
「エドガーも言っていたわね。大聖女様にも劣らないというのは本当なの?」
沢山のすべきことがあって、ソフィアも忘れていたようだ。イヴェットは判断できずに、困ってしまった。
「そうです。あれほど素晴らしい祝福は大聖女様の祈りと遜色ありません」
「カイラがそう言うのなら、そうなのでしょうね。それで、その後も同じような祈りはできる?」
「いいえ。その後はあれほどの気持ちの高まりを感じません」
ソフィアは頬に手を当てて考え込む。
「鍛錬を続けて聖女候補が聖女になる時には同じようになるのだけども。イヴェットはこの六年、聖女としての鍛錬はしていないわよね?」
「はい」
「ちょっとよくわからないわね。でも、そういうことならカイラの言う通り、中央教会の方がいいかもしれない」
中央教会に向かう流れに、イヴェットは内心慌てた。何か、いい理由がないかと忙しく頭を働かせる。
「待ってください!」
「どうしたの?」
ここに残りたい理由を告げようとして、固まった。
婚約が白紙になったばかりで、ウィルフレッドとの間に何かあるわけではない。それに彼がいる場所で、彼と離れたくないからと、素直に気持ちを口にすることができなかった。
うろうろと視線を彷徨わせ、ちらりと部屋の隅に控えるウィルフレッドを見る。彼と目が合って、すぐに顔を逸らした。
ソフィアには、その行動でわかったのだろう。キョトンとしていたが、すぐに明るい笑みを見せる。
「まあまあまあ! そうなのね、ここに残りたいのね。ええ、大丈夫よ。わたくしのお手伝いをしてほしいのは本当だから」
「ソフィア姉さま……それ以上は」
「もちろん余計な口出しはしないわよ?」
もう何を言っても墓穴を掘りそう。
澄ました顔ができればよかったのだが、顔が赤くなることを止めることができない。恥ずかしさを隠すために、両手で顔を覆った。




