25.別れ
昨日の夜、安倍さんが見つからなくて伝言を頼んだとき、憲行さんの「桜花の婿に」という冗談に「冗談きつい」と返事をしたら桜花ちゃんの機嫌がすこぶる悪くなったのだが何故だろう。女心は難しいですね。はい。
そんな考えを巡らせながら、朝食をとるべく、廊下を歩いていると出勤する憲行さんに出くわした。
「昨日はすまなかったな、ゆっくり休めたかな?」
「はい、おかげさまで。昨日の冗談のせいで桜花ちゃんに嫌われかけましたけど。ははっ」
「冗談? はて、なんのことかな?」
一瞬ふざけて惚けているのかと思ったが、本気で知らないようだ。
「あ、いや何でもないです! お勤め頑張ってください」
「うむ、ありがとう」
あー、なるほど読めた。あれは桜花ちゃんの冗談だったのか。それは怒るか。
謎が解けたところで朝食をいただいた。保明さんも出勤しており、残っているのは俺と茜、桜花ちゃんだけだった。
安静と言っても一日ゴロゴロしているのは性に合わないし、せっかくなので加茂の街を観光してみることにした。
陰陽師でも、桜花ちゃんは特別な立場らしく、普段は陰陽寮に出勤せずに暇らしい。ということで桜花ちゃんに案内を頼み三人で出かける。
* * *
「こちらが加茂の商店街です!」
「へぇー案外人がいないな」
天京の市場とは違い、騒々しさはないものの、お札や陰陽道の書物など興味深い品々が店先に並んでいた。
何でもここの商店街は陰陽師向けの場所なんだとか。それはそうか、一般人が陰陽道の書物買って何をするんだって話だよな。
個人的には『陰陽道、入門』という本が欲しくて仕方なかったが、高すぎて諦めた。
他にも虫除けの札や魔物が近づくと教えてくれる札など便利そうなアイテムがたくさんあった。
全部の店が高額で冷やかしだけだったけど。
「あ、そういえば私、お二人の旅に同行させてもらいます」
「え、どういうこと?」
突然の報告にびっくりしたが、桜花ちゃんから説明を聞いて納得した。俺たちが襲われたことに気を使ってくれたようだ。女の子に護衛してもらうのはやっぱり何だか不思議な感覚――茜という前例がいるけど――がするが、実力は先の戦いで十分に承知している。素直にありがたかった
「うん、確かにあなたなら私たちも心強いわ。よろしくね」
「お邪魔かと思いますが、私のことは気にせずにいちゃついてもらって大丈夫ですので、よろしくお願いします!」
「「そういうのじゃないから!!」」
「ふふふっ、本当ですかね?」
思わず出た声が奇跡のハモりを見せて説得力がなくなったが、茜とはそういう関係ではない。何度もいうが俺は緋波一筋!
二日目以降は茜から剣術や力法についての基礎講義(座学)を受けたり、桜花ちゃんに陰陽道のあれこれを教えてもらったりして有意義に過ごした。
* * *
そんなこんなで満喫しながら、加茂で過ごす五日と言うのはあっという間に過ぎていった。逆に言うならその前の一週間が濃すぎたのかもしれない。
いよいよ出発の日の朝。柊は街の外れにある教会を訪れていた。小規模ながらも立派な教会だ。
この世界、力法のおかげで建設技術は結構発達していたりする。
「やあやあ、柊さん来ましたか」
神父さんはまるで事前にアポイントメントがあるかのように、陽気に話しかけてきた。
「今日これから加茂を出るので、挨拶に来ました」
「それはご丁寧にどうも。いやー、寂しくなりますねー」
神父さんは相変わらず流暢な日本語だ。俺がここへ来たのには挨拶の他にも理由があった。
「それともう一つ。聞きたいことがあってきたんです」
「なんでしょう?」
「神父さんが使う力法は大和のものとは違いますよね?」
これは始めに会ったときから持っていた疑問だった。彼の使う力法は詠唱から別物だ。
「んー、そうですね。私の母国の力法とでも言いましょうか。おっと、これ以上は秘密です」
「名前も秘密ですか?」
一番疑問なのは名前だ。なぜ神父などと名乗っているのか。怪しすぎる。
「いや、それは別に隠しているわけではありませんよ? ただ、私が初めてこの地を訪れたとき、この身なりの怪しさから当然ながら捕まったわけです。そのときに『貴様何者だ!?』と聞かれたので『神父です』と答えただけなのです。それ以来勝手に“シンプ”という名前だと勘違いされて……」
「うん、それは誰も悪くないですね。あえて言うなら日本語が悪い」
「ではあなたには名乗っておくとしましょう。私の名前はリンド。リンド・S・フィールド。改めてよろしくお願いします」
「知ってると思うけど、夜川柊です。よろしく」
名前が分かったことでなんだか更に謎が深まった気がするが、今は良しとしよう。
神父あらためリンドさんと別れて集合場所である街の正門へと向かう。
正門では茜と桜花ちゃんの他に、憲行さん、保明さんを初めとした陰陽寮の方々が見送りに来てくれた。俺たちの見送りのために全員で仕事を抜け出してくれたらしい。
直接戦闘で一緒になった人や、後方でバックアップしてくれた人など合わせて数十人に及んだ。
こんなに多くの人があの戦いに参加していたのか。俺はあらためて多くの人に支えられている実感を得た。
「みなさん。本当にお世話になりました」
両目から溢れ出す何かを見られまいと、俺は深々と頭を下げた。ただ、濡れた地面は隠しようがなく、結局のところバレていたに違いない。
誰もそれについて何も言わないでくれたが。桜花ちゃん以外は。
「あれ! 柊さん泣いてるんですか!? うーん、困ったなー。よしよし」
などとわざとらしく頭を撫でてくる。でも嫌な感じではなく、どうやら彼女なりに元気を出させようとしてくれてるらしい。不器用な子だな。と思った。
「ああ、柊殿。これを」
「これは?」
いつものうざいテンションではなく、珍しく真面目な――こちらが本性なのかもしれない――保明さんが、何かの紙切れを手渡してきた。
「新たに手記を読んで分かったことをまとめたものです。どうかお気をつけて」
「ありがとうございます。保明さんもお元気で」
それを懐にしまって、最後に憲行さんを見ると、彼は無言で頷いた。
「よし、じゃあ行くか!」
少し元気が出たところで別れの挨拶を済ませ、門をくぐる。ここから先は魔物の領域。先程までとは意識を切り替えていかねばならない。
加茂にはもう二度と戻らないかもしれない。そう思うと名残惜しさを感じる。
ただ、今やるべきは天京まで戻って雪村を問い詰めることだ。元の世界に帰るのに、ここで立ち止まってはいられない。




