1 .わたしの羊を食べないで!
一刻前までは平和な放牧地だった。青空の下、羊達は草を食み、吹き渡る風は初夏の訪いを告げていた。しかし、今、目の前では、矮小なゴブリンどもが、私の秘蔵のエールを片手にジンギスカンパーティーを繰り広げやがっていたのだ。
メリーさんは羊飼いの杖で、ゴブリンを指しながら尋ねた。
「あなたたち、誰に、断って、私の、だーいじな羊さん達を、食べてるのかしら? 」
ゴブリン達はキシキシ笑いながら、下世話な文句を投げつけた。
「ギャハハ。おこってやがるー 。くったもんもどせってかー?」
「おえー。もどしてやったぜー。」
「こいつ、まじでもどしやがった。オークでもくわねー。」
「ギャハハ! ほーら、くえよーう。」
どうやらゴブリン達は事態が分かっていないらしい。
羊飼いが手塩にかけて育てた羊を勝手に食われて黙っているとでも思ったのだろうか。しかも、そのエールは私が楽しみにとっておいた高いやつだ!
ゆっくりいたぶって、髪の毛一本まで毟りとってやるんだから。
メリーさんは、指をポキポキならしながらキッとゴブリンを睨みつけた。
食べ物の恨みは恐ろしいのである。
◇◆◇
バーーン!!!
けたたましい音と共に、魔王城の一室の戸が蹴破られた。
すわ敵襲か?と部屋の中にいた魔王は羽ペンを放り出し、身構えた。
もくもくと立ち昇るホコリの中から現れたのは顔をしかめた少女。
武装していなければ鍛えているようにも見えない。装備といえば、羊飼いの杖とポシェット、それから素朴な木の腕輪。典型的な村娘だ。
無害そうな姿に思わず警戒を解きそうになったが、次の瞬間、少女が緑色の物体をポンポンポンと放り投げた。
ぐるぐる巻きにされたゴブリン達だ。
グヘっ、ブヘっ、フギャっと情けない音を立てて、ゴブリン達は次々に魔王の足元に落下した。
「これはどうしたことか?」
威厳を込めた声で魔王はゴブリン達に尋ねる。
魔王は普段から漆黒の鎧と兜を身につけ、腰には禍々しい光を放つ大剣をはいている。普通の村娘なら魔王の姿を見ただけで裸足で逃げ出すところだったが、怒り心頭のメリーさんには通用しなかった。
メリーさんは、かつかつと魔王の前まで歩いてくると請求書をつき出した。
しめて187万5600エーン。
「全額支払ってもらうからね!」
メリーさんの勢いに押されて、魔王は思わず請求書を受け取ってしまったが、ゴブリン達はめためたにのされている上、ぐるぐる巻だ。本当に必要かと思うほどぐるぐる巻だ。とりあえず、話の主導権を取り戻した方が良さそうだ。
「我が配下への蛮行、ここから生きて帰れると思うなよ。」
魔王は威厳を見せつけた!
しかし、メリーさんには効果がないようだ。
メリーさんは羊飼いの杖を振り回して荒ぶっている。
「はぁ? 冗談じゃないわよ。このゴブリンどもが私が手塩にかけて育てた羊と楽しみにしてたエールでジンギスカンパーティーをしてたのよ! 蛮行に及んだのはこのゴブリン達、被害者はわ、た、し! 私の被った損害しめて187万5600エーン、払ってもらうから。」
メリーさんが「証拠だってあるんだから」と写真を机に並べていく。ゴブリン達が調子に乗ってジンギスカンパーティーを繰り広げているところがばっちり映っている。
これに、ぼろぼろのゴブリン達も加わった。
「まおうさま、このおんな、やばいよぅ。おいら、みぐるみはがされた。」
「そうだよぅ。いうこと、きいたほうがいいよぅ。」
「ぼ、ぼうりょくはんたーい。」
見ればゴブリン達の目には恐怖が浮かんでいる。
「なんと情けない。」
魔王は請求書を握りしめて青い炎で燃やし、机に並べられた写真は風刃で切り裂いた。
しかし、その間もメリーさんはぷんぷん怒っている。
「請求書を燃やしたって無駄よ。証拠もバックアップをとってあるわ。」
メリーさんは今どき当然でしょうと腰に手を当てて新しい写真を取り出して並べた。
「ゴブリン達、見ぐるみ剥いだんだけど、合計で30エーンしか持ってなかったのよ! 今どき初等学校の子供達だってもっと持ってるわ!」
魔王は素早くゴブリン達に目を走らせる。
ゴブリン達は何も身につけていないし、武器もない。文字通り身ぐるみ剥がされているようだ。
ゴブリンのうちの1匹が財布をあけてさかさまに振ってみせてくれた。ふむ、小石一つ入っていない。
「棍棒なんて引き取ってもらうのに逆にお金かかったわ!
」
メリーさんが追い打ちをかけると、大事な武器を産業廃棄物扱いされたゴブリン達がとうとう泣き出してしまった。
ゴブリンは魔王城の中では最も力の無い魔物ではあるが、一介の村娘に泣かされて良い存在でもない。魔王は兜で顔が見えないのをいいことに、こっそりとため息をついてからメリーさんに向き合った。
「金は支払わん。はやく帰ることだな。」
魔王は冷たく言い捨て、破壊された出入り口を指す。しかしそれに慌てたのはゴブリン達だった。
「ぎゃーーーー! まおうさま、まおうさま、たすけてください。おねがいです。」
「あうぅ。ばいしょうしないとゴブリンのかわになっちゃうよぅ。」
「ひものはイヤだ、ひものはイヤだ。」
メリーさんはかわいらしく、ポシェットから肉切り包丁を取り出して研ぎ始めた。
ゴブリン達は震え上がって、魔王の足にしがみついた。
魔王も確かにこの女ならやりかねないなぁと思うが、素直に支払っていては魔王の威信にかかわる。
「ゴブリンがやったことならゴブリンに請求するなり煮るなり食うなり好きにしろ。我は関係ない! あと、その包丁どこから出したんだ!」
魔王はつっこんだ。ただ、足にまとわりつくゴブリン達を剥がしながらだったので、格好はつかなかった。
「あなたさっき、ゴブリン達のこと、配下って言ったでしょう!? 部下の責任は上司の責任。ゴブリン達はこれ以上お金持ってないし、ゴブリンの皮なんてさして高く売れないんだから、あなたが支払ってよね!」
メリーさんが正論と厳しい現実を突きつける。ゴブリン達も助けを乞うように魔王を見てくる。メリーさんはここぞとばかりに続ける。
「使用者責任ってご存知? 部下をこき使って利益をあげてるんなら、損失についても面倒みるっていうのが筋でしょ。しかもこの劣悪な労働環境はなに? 残業も休日出勤もさせてるのに給料出さないから、この子達の所持金が30エーンしかないのよ。労働者よ立ち上がれ! そしてさっさと208万5600エーンを支払え!」
「他所の労働者を煽るな! そしてしれっと値上げするな!」
魔王はまたしても突っ込んでしまった。ツッコミというのは精神的に非常に疲れるものである。魔王は自分が追い詰められているのを感じた。かつて精霊や勇者と会い見えた時よりも疲れているような気がする。
ゴブリン達が顔を見合わせて、「ざんぎょうだい?」「とくべつてあて」と呟いている。
これは危険だ。金を支払ってでもお引き取りいただいた方が良いのではないか。クレーマーの対処方法として間違っているのは分かっていても甘い誘惑に駆られる。
魔王が悩んでいる間にメリーさんは「時は金なりなの! 時間が経てば経つほど値あがるんだから!」と言って、魔王に背を向けてスタスタとゴブリン達の方へ歩いていく。
このとき魔王の目はメリーさんが手に持っている本のタイトルに「オークでも分かる★未払い賃金の計算方法 〜これであなたも正当な報酬をゲットだぜ〜」と書いてあるのを捉えた。
本の帯に「ダンジョンにもぐるより効率がいいですよ」という書評が書いてあるのまで読めてしまう自分の動体視力が恨めしい。そして、見せ付けるように後ろ手で本をひらひらさせるメリーさんは、もはや鬼畜にしか見えない。
魔王は素早く計算する。村娘が魔王城に勤務する魔物達に残業と休日出勤の概念を教え、未払い賃金を請求するよう誘導したら…間違いなく魔王城の金庫は空になる。文字通りすっからかんだ。
昨日王国の新聞で読んだ未払い残業代を請求されたせいで倒産した会社のニュースが頭をよぎった。
数瞬が永遠に感じられるほどの逡巡のあと、魔王は声を振り絞った。
「待て、お前の言う通り支払おう。」
ゴブリン達のところまであともう半歩というところ。メリーさんは振り返って首を傾げて尋ねる。
「私の言うとおり?」
「あぁ、お前の言うとおり支払うか…ら?」
魔王はここに来て自らの失言に気がついた。
しかし、せっかくの好機を逃すメリーさんではない。
「それではしめて350万5600エーンいただきまーす!」
値上げされた。
魔王は反論しようとしたが、自分を尊敬の念で見上げるゴブリン達を見てやめた。ここで値切ったら、魔王としてカッコ悪い気がする。
そんな魔王の諦めを見透かしたかのようにメリーさんが合意書を2通手早く作成しながら声をかけてきた。
「魔王城に入る裏口ルートの守秘義務も入れておいてあげるから、安い買い物だと思うの! あと、余計なお節介かもしれないけど、お掃除ちゃんとした方が良いと思うわ。」
魔王は早期撤退を決めた自分の判断が間違っていなかったことを悟った。
この日、羊飼いのメリーさんの名は、魔王の心のブラックリストに太字で刻まれたのであった。
請求書内訳
メリーさんが手塩に育てた羊3頭:87万エーン
秘蔵のエール:100万エーン
清掃費用:5,600エーン
慰謝料:142万エーン
遅延損害金:21万エーン
守秘義務手当:おまけ




