24 もう帰って良いかな。
空けて翌日。普通におっさんの執務室に出勤。
俺はよそで女を作ってるとオルテンシア嬢に思われたらしい。さてどうするかと言えば別にどうすることもないと結論した。
オルテンシア嬢に恋人が居ないなら俺も相手がいないことを積極的にアピール――はしないにしても知っておいてもらって次の恋人候補に含めていただきたいが、かなり頻繁にデートしたり屋敷であれそれしてるっぽいので少なくとも当分はオルテンシア嬢にとって関係のない話だ。
オルテンシア嬢が恋人と別れたらすぐ仕掛けられる状態で待つべきだとか、攻めるべき時に誠意と一途の想いという武器を手にするためにも俺がオルテンシア嬢以外に靡いていないと示し続けるべきだとか、色々考えた末に打算的な思考に疲れた。
オルテンシア嬢との接点が減り彼女の纏う空気に触れなくなったためか、初対面に抱いたときの一目ぼれするほどの強烈な想いは薄れている。一番想いが強かった頃も『初めての恋だし、もうこんな気持ちを抱けるかも分からないし、恋人に、夫婦になれるようにがんばろう』くらいだったのが、今では『無理しても自分が変わりきる前に疲れて破綻しそうだし、無理しない感じで恋人になれたら良いなって感じで頑張ろう』くらいまで気持ちが落ち着いている。これ、客観的に比べたら大差なさそうだな。
「だから、ちょっとくらい借りても良いでしょう。国王様の執務室に誰が襲撃かけるのよ」
「実際に攻撃を受けるか否かではなく、有事に備えていることが重要なのだ」
「備えるだけならコイツである必要は? コイツそんな強くないらしいじゃない。王様なら国で一番強いの側に置きなさいよ」
うーん。実際どうなんだろう。おっさんが俺のことを多分プロイデス王国で一番みたいなこと言ってたからそう思ってたけど、俺はダイス女史すら知らなかったんだよな。ジルだって今でもおっさんよりは強い。おっさんが俺に言ってないだけで、王都には俺をワンパンで沈めるヤツがいておかしくないし、プロイデス王国は王都のみの都市国家ではなく広い領土があり、その外にはプロイデス王国を含むアロシダ地方があり、アロシダ地方はピルアント大陸のごく一部でしかない。こうやって目を外へ向けてみると俺は随分小さな範囲で自分の力を評価していたのだなと世界の広さを感じる。
そう。グリシーネ嬢とおっさんが俺を連れて行く連れて行かないで延々言い合っている小さな執務室ではなく、もっと広大で自分がちっぽけなものだと教えてくれる世界へ心を羽ばたかせよう。現実逃避いえーい。
「さあ、話もつけたしついて来なさいケント」
うん。グリシーネ嬢が無駄な言い合いの勝者となった。グリシーネ嬢は一見理屈を捏ねておっさんと言い合っているように見えたが、彼女は感情論を優先する人だ。そんな人に理屈を説いても、余程上手く言いくるめないと押し切られるんだよおっさん。言いくるめても実力行使に移る気がするのは別の話だ。
俺の意思を確認されてない時点でまともな話し合いにならない予感がビシビシする。怒鳴られるだけになりそうだわー。
グリシーネ嬢に半ば攫われる形で連れて来られた部屋にはグリシーネ嬢付きの女官さんや護衛しかいなかった。グリシーネ嬢と一緒におっさんの執務室まで来ていた護衛二人を合わせて、室内には俺とグリシーネ嬢と男四人に女三人。グリシーネ嬢のいつもの供回りの皆さんプラス俺。てっきり王子様あたりもいるかと思ってた。そう思った理由は特にない。
「アンタ浮気してるんだって?」
私さも怒ってますといわんばかりの不機嫌そうな態度と口調と表情でお言いなさった。初っ端から殴り合いをご所望か。
恋人ですらないのに浮気もくそもないとか、俺の浮気が問題ならオルテンシア嬢に恋人が居るのは何なんだとか咄嗟に口から出かけたのを飲み込む。
「とりあえず言いたいことは全部どうぞ。一回全部吐き出さないと会話も出来そうにない顔してるぞ」
煽る気はないものの、やっぱりグリシーネ嬢エキサイト。俺も苛々が募った状態で同じこと言われたらうがーってなるわ。
俺への罵倒やらなんやら、十分以上かけて鬱憤を言葉として吐き出したグリシーネ嬢は唐突に沈黙した。電池切れたみたいな黙り方なもんでちょっとびっくりしたわ。
「はぁ……で、冷静になった私に言うことはあんの?」
「特には」
コミュ障の典型みたいな返答だ。言い訳するなら、俺は呼び出された側であって何か言いたいのは俺じゃない。言っても意味がないとわかってることは言いません。
「アンタ、浮気、してるんだって?」
再度エキサイトしかけたグリシーネ嬢が無理矢理感情を押さえ込んでぶつ切りに問いかけてくる。それちょっとおっさんと似てる。
「その話すんならこの場の全員に誓約してもらわないとだめだろ」
「王様が雇った人員なんだから要らないでしょ」
「その理屈は俺にとって無意味だ」
おっさんは信用しても、おっさんの部下を全て信用するなどありえない。グリシーネ嬢の世話や護衛をしてるコイツラがおっさんとどういう契約を結んでいるかを知らない俺としては、俺とオルテンシア嬢の雇用契約において部外者に契約内容を開示する際の条件や手順を明確に規定しているので、最低でもグリシーネ嬢と同じ内容の誓約をしてもらわないとならない。
誓約を受け入れたところでおっさんの方の契約と衝突したらどうなるかわからない以上は俺が拒否するし、王子様の婚約者であるグリシーネ嬢を男と二人きりに出来るはずもないので人払いをしての密談もありえない。他の人間を同席させようにも、俺を嫌う王子様は俺との同席を受け入れるはずもなく、居たら居たで多分会話が成り立たない。オルテンシア嬢が居ないのは、グリシーネ嬢の方でオルテンシア嬢を同席させたくない理由でもあるんだろう。
さてグリシーネ嬢はどうする。
「めんどくさいなあ……。シアは気にしなかったんだし、アンタも気にしなくて良いじゃない」
俺の事情っつーもんを斟酌する気配がないなおい。
それよりもオルテンシア嬢は気にしなかったってのはどういう意味だろう。術封器を用いた契約は違反すれば分かるようになっているので、オルテンシア嬢が抜け穴を突いたかグリシーネ嬢が嘘を言っているか……どっちでも良いや。契約は破られていないし、契約に抜け穴があったなら契約の方が悪い。グリシーネ嬢がテキトーな事言って俺に契約を破らせるつもりでも付き合わなければいい話だ。
そもそもグリシーネ嬢はオルテンシア嬢のために何かをしたいのだろうが、具体的に何がしたいのか。俺がグリシーネ嬢の言うところの浮気をしているとして、それをやめさせることが『貴族の恋』を満喫しているオルテンシア嬢のためになるのか。俺とオルテンシア嬢の雇用形態をオルテンシア嬢に詳しく説明してもらっているなら、俺もオルテンシア嬢も体面を整えていればそれぞれの恋愛は自由だと知っているはずだ。
いくら待っても俺が口を開かないと悟ったグリシーネ嬢は、今度は供回りと部屋を出ろ出ないの言い合いをしている。段取り悪いなおい。もう帰って良いかな。
「あーもー。わかったわかった。王様のところ戻るわよ。王様が居ればアンタ達が居なくても良いんでしょ」
数分は両者とも同じ言葉でやりあった結果、グリシーネ嬢が不敬甚だしい言葉とともに部屋を出て行った。供回りの皆さん、顔が引き攣っていらっしゃいますよ。グリシーネ嬢はおっさんをなんだと思ってるのか、怖いもの見たさで訊きたくなる。
しっかし、イラついてんのか知らんが今日のグリシーネ嬢は全方面を煽っていくスタイルのようですね。おっさんに全く敬意を払っていない今の言葉を下手な人間に聞かれたら、厳重注意やちょっとした言い合いじゃ済まんぞ。
「良い。好きにしろ。ただし、遮音結界を張ってそこの椅子を使え。お前達は下がっていい」
グリシーネ嬢に引き連れられた俺を含む一行が執務室に入るなり、おっさんは何も聞かず完璧な対応を見せた。事前の談合を疑いそうだ。
「ありがとうございます、御義父様。さあ座りなさい、ケント」
いつも似まして偉そうな指示におとなしく従い、テーブルに備え付けられた遮音の術封器を起動する。
偉そうって言っても、王子様の婚約者なら実際に偉いのか? イラついてるグリシーネ嬢に中てられたのか俺もイラついてるっぽいな。
「で、アンタ浮気してるんだって?」
三回目。俺もフリに合わせて返答を拒否すべきかもしれない。
「ボケたら殴る」
おっとグリシーネ嬢の素早いインターセプトでパスは通らない。パス出したのがグリシーネ嬢なのにカットするのもグリシーネ嬢っていう不思議空間。
「俺に今恋人いないよ。ジルは、あー、おっさんに聞け。俺じゃ答えていいかわからん。とりあえずジルは友人だし、オルテンシア嬢は部下だ。二重の意味で浮気なんてしてない」
「シアと結婚しておいて部下もなにもないわ」
「余程の火遊びじゃなければ『貴族の恋愛』は暗黙の了解で公然の秘密だ。王子様の婚約者なら知ってるだろ」
「愛人でしょ」
理解してないんじゃないのこの人。結婚というものに対する価値観が日本のそれっぽい。
プロイデス王国のあるアロシダ地方における結婚というものは、貴族でも平民でも家同士の血縁関係を結ぶのが最優先の目的とされる。それでも個人の感情を丸無視し続ければ破綻すると理解しているが故の『貴族の恋愛』だ。ビジネスとも言える結婚とは切り離した、双方の家の体面を傷つけず問題を起こさない限り互いに口を挟まない不可侵領域が『貴族の恋愛』。平民の大多数は家同士の繋がりをそこまで重視する必要がないのと、基本的に平民は時間も労力も余っていない事が多いとあって、家の都合で結婚した平民は恋愛を諦める人が多いので平民の場合も『貴族の恋愛』と呼ぶ。
俺は先生にそう教わったし、俺が先生に説明することで理解を確かめられた時も合格を貰っている。日本の愛人云々とは別物だと思う。
いや、恋愛なんて結局は主観の問題だな。プロイデス王国に限った話でも貴族の恋愛を受け入れられない人は一定数居るそうだし、先生にも『最後は当人同士で価値観をすり合わせることが大事』と念を押されている。俺が受け入れたものをグリシーネ嬢に強要する権利も道理もない。
「まあそれでいいか」
俺の言い方が気に障ったのか、グリシーネ嬢が鼻を鳴らす。煽るのやめなさい。なにより下品ですよお嬢さん。
「おっさん、ジルのことはグリシーネ嬢に言っていいのか」
遮音結界を一度解除して書類をペラペラやっていたおっさんに確認する。
「好きにしろ。口止めは確りな」
「はいはい」
おっさんの許可は得た。遮音結界の術封器を再び起動して面倒なやり取りをこなしグリシーネ嬢に守秘義務の誓約をさせ、ジルの説明をする。くっそ面倒臭い。グリシーネ嬢の最終的な目標が分からない所為で遠回りしている感じが無駄に疲れる。
「じゃ、アンタはその性転換して男になったジルさんとはただの友人だって言うわけね」
「そう言ってんだろ。ああ、同性愛がどうとか言うなよ。それを言い始めるときりがない」
「……先に自分で言うなんて怪しいんじゃない?」
イラつくのはかまわんが一から十まで噛み付いてくるんじゃねえよ面倒くせえ。
もういいや。
テーブルの術封器に触れて遮音結界を解除し無言で立ち上がる。グリシーネ嬢の肩がびくりと震えたが、グリシーネ嬢が何をしたところで俺の苛立ちは加速する一方だ。まだ殴ってないのは、多少とも育んだ友情がかろうじて歯止めをかけているおかげでしかない。
「おっさん、とりあえず帰るわ。頭冷やしたら顔出す」
グリシーネ嬢との会話がただただ面倒で疲れる。なぜ、友人だからっつってグリシーネ嬢とは関係ない話に首突っ込まれた挙句にがたがた言われなくちゃならんのか。
俺はコミュ障だって自覚がある分、上手くできてるかは知らんが過度に踏み込みすぎて相手の気分を害さないように結構気を遣って人に接しているつもりだ。逆を言えば、俺は無闇に内側へと踏み入られたくない。そんなん外から見てわかるもんでもないし、多少踏み荒らされたって我慢すんのが世の中だってのも理解して我慢してたつもりだ。
グリシーネ嬢の世話焼きな部分は美徳だと思うし、俺も助けられてたと思う。だが、なんで一友人に仕事周りや友人関係にぐちゃぐちゃ言われなければならないのか。俺の為を思ってのことではなく、俺ではない他者の都合と意思をグリシーネ嬢が勝手に判断して俺に押し付けるのをなんで堪えなくちゃならんのか。
俺にとっての『俺のため』にならない関係性も環境もいらない。全部放り出して新しくやり直す手段を持っているのだからそれを使わない理由はない。
グリシーネ嬢個人に対して苛立っていたはずなのにいつのまにか思考が飛躍している。ちょっといきすぎだな。
まあ、俺の一部分は今の俺が冷静ではないことを理解しているのでちゃんと考える時間はあとで作る。そしてその冷静な部分の俺は一回一人になって冷静さを取り戻すべきだと主張しているので従おう。
俺がおっさんの執務室を出るまで、グリシーネ嬢は椅子に腰を下ろしたまま動かなかった。




