19話 日常世界
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武旗真価は眠たい目をこすりながら鞄を抱え電車に揺られていた。
今日も真価は大学へと電車に揺られながら通う。
この電車は通勤特急で、時刻は8時。ちょうどラッシュ時だ。通勤特急ということもあって、真価はぎゅうぎゅう詰めの中半ば眠りにつきながら立っていた。昨晩は『Merit and Monster Online』を深夜2時までやっていて、ゲームを終えた後課題がまだ残っていたことに気付き眠いのをこらえて課題をやった。その課題が終わったのが4時で、起きる時間まで2時間しかなかった。
そんなこんなで真価は寝不足で、足りない睡眠時間をこの通学時間でかろうじて取っていた。立ちながら眠るのは真価にとって何の造作もない当たり前のスキルだった。特に人が押し合いへし合いしている状況であるからこそ、人の体に身を預けてうつらうつらできるのだった。
電車の外から入ってくる朝の陽ざしに照らされながら真価はこのまどろみの時間を堪能した。
しばらくして電車が目的駅の二つ前の駅に近づき減速し始めると、真価はぱっと目を覚ました。持ち前の睡眠スキルにより目的地で目覚めることを可能にしていた。ちなみにこのスキルは寝ながらにして電車を乗り換えることまで可能にするのだった。高校時代はよくお世話になっていたが、さすがに最近はちゃんと起きて電車の乗り換えをするようにしていた。
ただ目的駅が通勤特急では通過してしまうため、真価はわざわざ二つ前の駅で降りて各駅停車の電車に乗り換えなければならなかった。
真価はしっかりとした足取りで人ごみを掻き分けて電車を降り、待っていた各駅停車の電車に乗り込んだ。
真価は眠い目をこすりながらはっきりとした意識で窓の外のトンネルの様子を眺めた。
目的駅で降りた真価は、時刻を端末で確認しながら地上へ駆け上った。
この駅はちょうど大学の敷地の真下にあり、駅を出るとそこはすでに大学の中に入っている。真価は1限目の授業の教室を思い浮かべながら着ているコートの襟を正してその教室へ向かった。
「おっ、武旗来たか」
「よっす、夢野」
真価に話しかけてきたのは一人の男だった。彼の名前は夢野亘。真価とは大学に入って以来の仲だが、荒谷遊馬と同じくらい真価を理解していた。
「おや、彼女とは一緒に来なかったのか」
真価がそう冗談を言うと、夢野は少し顔を赤らめた。
「風華はちょっと用事があるってさ。いつも一緒にいるわけじゃないさ」
「そうか、てっきりいつもいるもんだと思っていたよ。それで今日出されていた課題なんだけど」
「あぁ、これね。ここの問題どう解いた?」
「俺は、こう解いたんだけど……夢野は?」
「いや、俺はこうやって、こういう風に考えて……」
「あぁ、なるほど」
「そうか、武旗の解き方も面白いな」
「いや、夢野の方がスマートだよな」
真価と夢野がそう会話をしていると、そこへ一人の女性がそちらへ歩いてきた。
「亘くん!」
「あっ、風華!」
「もう教室にいたんだね。あっ、武旗くんも」
「あぁ、橘さんおはよう」
「うん、おはよ」
真価と夢野のところへ来たのは橘風華という女性だった。橘は夢野と高校からの同級生で、恋人同士だ。真価が聞いた話によると、高校時代に互いに一目ぼれをして恋人関係になったということだ。一緒に同じ大学へ入ったくらいだから、その関係は深いものだといえるだろう。
「それじゃあ、二人の邪魔はいけないからな。お暇させてもらうよ」
「あははは……」
「なんか、気を遣わせちゃってごめんね」
真価は軽い冗談を言って夢野と橘から離れた。正直二人の甘々な様子を見ていると、恋愛に興味のない真価でさえ胸焼けを起こしそうだった。それ故に真価は少し離れた席に座って、講義の準備をした。今日の一限目は物理だった。
真価は講師が来るまでの間、端末に保存してある自宅で飼っている亀の写真を眺めていた。
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一限二限の講義を無事に済ませ、真価は一人食堂で昼を食べていた。本日のメニューは食堂イチオシのパワー丼という豚丼に大蒜の芽や生卵を掛けた丼飯だった。399円で800cal取れるこのメニューは真価にとってお気に入りだった。
「よおっす。ここにいたのか」
「あぁ、遊馬」
真価がパワー丼から顔を上げるとそこには荒谷遊馬が立っていた。
「俺もここで食べよっと」
「どうぞ」
「よっこいしょっと。それじゃいただきます」
荒谷が選んだのは贅沢にもマグロを使った海鮮丼だった。マグロやサーモンの切り身が刻み海苔と共にご飯の上に乗り、その上から醤油で味付けしてある隠れた逸品だった。
「なぁ、遊馬」
「んー? なんだ?」
「この前から実装されたイベントなんだけど、遊馬のパーティはもう挑んだか?」
「あぁ、もちろんだ。俺のところはテュラムスドラゴンに挑んだけどな。かなり苦戦したぜ。カイトが死んだりして、俺ももう少しのところで死に戻りしなければいけないところだったぜ」
「そうか」
「んで、真価は? もうどこかには挑戦したのか?」
「レイニードラゴンのところにな」
「おおっ、そこか。ってか、真価は何人で行ったんだ? そもそもパーティなんて組めたのか?」
「失敬な。前にブラウンマウンテン突破する時のパーティで行ったよ。お前から紹介してもらったテトラも一緒だった」
「ほぅ。あいつか……なんか最近会うたびにお前のこと聞かれるんだよな」
「そうなのか?」
「好きなものとか、趣味とか」
「不思議なこともあるもんだな」
「あぁ」
「で、お前はどう答えたんだ?」
「ん、普通に当たり障りなく。亀が好きだとか、亀の鑑賞が趣味だとか、ゲーム中でもやってるようなことを普通にだな」
「まぁ、別に隠すことなんてないからいいけど。でも不思議だよな。なんで俺のことなんて聞いてくるんだろう」
「それは俺も疑問だ。なんでこんな亀しか愛せないような朴念仁のことなんか……」
「えっ、なんか言ったか?」
「いや、なんでも」
荒谷はずずっと緑茶を啜った。
「そうそう、シーパエリアには行ったか?」
「いや、まだ行ってないな」
「そうか。いや、この間な、新たなフィールドがあるってわかってだな。俺たちも行ってみたんだよ」
「おぅ、それで?」
「そこで出てくるモンスターが全部魚でだな。見た目はすごいおかしいのに、かなり強いんだよ。例えばビッチフィッシュとかだな。攻撃方法がびちびち跳ねるしかないのに、かなり攻撃力が高くて対応を間違うと一回の攻撃でHPが危険域まで削られるんだよ。しかもそいつの素材で作れるのが、防具のビキニアーマーだけっていうふざけた仕様なんだ」
「うわー ふざけているな」
「よくこんなの作ったよって感じだよな。そのビキニアーマーの性能はいいらしいけど、女性用だし」
「そんなのがいるのか」
「あぁ、一度行ってみるといいぜ。なかなか楽しめるし、戦い応えがある」
「それじゃあ、一度行ってみるよ」
真価と荒谷はそれからゲームの話や講義の話をして昼の時間を過ごした。
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本日の講義がすべて終わり、真価は家へ帰ってきた。今日はそこまで遅くなるまでではなく、夕方には帰ることができた。
「ふわぁあ」
真価は大きくあくびをしながら玄関の扉を開けた。家の中に入ると、真価が帰って来た音を聞きつけて明奈が玄関に顔を出した。
「お帰り、お兄ちゃん」
「ただいま」
真価は気怠そうに言葉を返しながら靴を脱ぎ、中に入る。一先ず階段を上って自分の部屋へ入った真理は、壁際にどんと鎮座するアクリルケースの水槽の中にいる亀達の方へ顔を向けた。真価が今飼っている亀は、真価がまだ小さいころから飼っているミシシッピアカミミガメのみどりん(♂)と、最近近所の幼稚園から譲り受けたニホンイシガメのガメラ(♂)の2匹だ。
真価はその2匹の顔を見てほっこりしながら、おやつの小海老を2匹の水槽にぽっぽと振りかけた。2匹はそれぞれ小海老の方へ歩いてきてぱくぱく小海老を食べた。みどりんは耳元の赤いところをぴくぴくさせながら嬉しそうに食べ、ガメラはがつがつとアクリルケースに頭をぶつけながら食べていた。
そんな様子を真価は楽しそうに眺めながら、のそのそと部屋着に着替えた。部屋着に着替えた真価は亀達に手を振ってリビングルームへ階段を降りた。
「お母さん、今日も遅いって」
「あぁ、そうか」
明奈と会話を交わしながら真価は台所にある冷蔵庫の扉を開けて飲み物を取り出した。
「今日は何を食べたいか?」
「うーん。お魚系がいいかな」
「わかった」
真価はぼんやりと今晩の献立を考えながら飲み物を呷った。
夕食の献立は冷蔵庫にあった冷凍の鯖を焼き魚にして、そこにレタスと玉ねぎの野菜炒めに味噌汁を付けたものになった。
明奈と、帰ってきた母親を交えて3人で食卓を囲んだ。
「ふぅ、おいしかった」
「真価、なかなか腕上げたじゃない」
「まぁな、作っていればそれなりに上手くなるだろ」
「それでもお兄ちゃんの料理美味しかったよ」
「ありがとな」
「これなら私が料理する必要はないね」
「いや、たまには母さんが作れって」
「はいはい。休みの日は私が作ってるでしょ?」
「休みの日でも、いつもじゃないけどな」
真価は母親や妹と他愛もない会話をして夕食後の時間を過ごした。
「それじゃあ、俺は自分の部屋に行くから」
「私も、部屋戻るね」
「はいはい」
真価と明奈はそれぞれ自分の部屋へ戻った。
真価は亀の様子を一頻り眺め、今日の講義を軽く振り返った。特に課題は出ておらず、明日提出しなければいけない課題もすでに済ませてあった。
そのことを確認して、真価はようやくベッドの隅に置いてある『ドリームイン』を手に取った。
「今日は後2時間が限度かな」
真価は時間を確認して、『ドリームイン』のスイッチを入れた。
今日もまた、仮想世界での冒険が待っているのだった。
次回は2月21日を予定しています。




