第十二章
美杏は広場には入らず膝をついて伏した。
「帝よ」
ふらふらとおぼつかない足取りでついてきた文江が慌てて倣った。
唱亀と冥華は立ったままだ。
文江が伏したまま言う。
「嬪準ッ、平伏しろ無礼者ッ」
「イヤです」
冥華は言う。
「本物かどうかまだわからない」
美杏が促す。
「どうぞ中へ。お確かめあれ、唱亀さま文江さま」
唱亀は兵士の顔を見回した。隙を見つけられずやれやれと息を吐いて、冥華の肩を抱いて、広場の中に入った。
冥華は全身に痛みを感じて息を詰めた。
「どうした」
「ここ、檻、です」
中に入ってはじめて、帝が顔を向けた。
唱亀に気がついて、書物を置くと駆け寄ってきた。
「唱亀!」
「父上!」
唱亀はすぐさま膝をついて頭を下げた。
文江も中に入ったが平伏して泣いた。
中から外を見ると、人の姿は見えなくなった。だれもいない林の中にいるように見える。
冥華は唱亀に抱かれたまま至近距離で帝を見た。
金の簡素な冠を被り、白髪交じりの髪を結い上げている。脂の乗った長身の色男で、鼻の下に髭を蓄えていて、皮膚はなめした革のようだ。刻まれた皺も容色を損なう類のものではない。簡素な袍を着て、紫色の帯をしている。飾りは冠以外何もなかったが、いっそ不要のように見えた。
先刻の偽者と形は同様だがまるで違った。
こんな美しい男を冥華は見たことがなかった。
冥華も自然とその場に平伏した。
なるほど三太子の父親であり、湖皇后の夫だ。堂々として美しい。瞳が太陽のようだ。
「よい、立ちなさい、唱亀。皆息災であるか。湖皇后は」
言われて唱亀は立ち上がる。
「皆息災でおります。母上はただいま──安全なところへ」
「うむ。ならばよい」
言い切って、帝はほっと息を漏らした。
「朕は黄邑生という。そなたは?」
冥華に向かって帝はそう言い、冥華は身体の芯がぶるりと震えた。
「わ、わ、私は、仙冥華と申しまして、鳴鳳さまの萌宮の嬪準でございます。おっおっおめもじかないましてこっこっこっ光栄に」
「冥華、君、僕たちにはあれだけ不遜だったのに」
唱亀は嫌そうに言い、冥華は顔を赤くして唱亀に言った。
「全然違うもん!」
「もん……?」
「おお、萌宮の……して、なぜここに?」
帝は冥華と話をしようと、すっとその場に片膝をついた。
「なっなんて、なんてこと! お立ちください! お立ちください!」
「いや、話が聞きにくいから」
ならばと冥華は膝立ちになって視線を合わせた。
「でっでっではこれでっ」
「ふふ、可愛らしいのぅ仙冥華」
「ふぇえ」
「ちょっと冥華」
文江が伏せたまますり寄ってきて唱亀に言う。
「ああなりますよ。仕方ありませんよ。掟保守派だって、陛下のことを思ってやってるんですよ」
「文江さあーなんなのお前僕たちの敵なの味方なの」
文江は渋い顔をして言った。
「味方でございます。全員味方のつもりなんでございますよ。美杏も」
「なるほど。それは厄介だな」
こちらからは見えないが、向こうから美杏が見ているはずだ。会話も聞こえているのだろう。
「冥華」
と、見れば、冥華は膝立ちで帝の耳に顔を近づけ、両手を立てて耳打ちをしていた。
「なにやってんの!?」
つい言ってしまい、帝に唇の前に指を一本立てて窘められた。
さらに帝が、自ら立てた膝をポンポンと叩き座るよう促すと、冥華は硬直しつつもその膝の上に腰をおろし、ガチガチになりながら今度は逆に帝から耳打ちをされ、顔が真っ赤で小動物のように震えていた。
帝の言葉にこくこくと何度も頷いてから、小さく握り拳を作った。
帝は子供のように笑って、自分も拳を作ってみせた。
冥華は帝の膝から降りると、文江の横で平伏し、ボソボソと言った。
「うらやましいでしょううらやましいでしょううふふふ」
文江は血の涙でも出そうな視線で冥華を見つめた。
唱亀はあきれてその様子を見る。
「父上、そんなことやってるからこんなことになるんですよ」
「んん? 突然宮廷に火を放たれないだけ朕はうまくやってるだろ」
その返事に唱亀はため息を吐いた。
「訊いていいかな父上」
「なんだ」
「どうして掟の撤廃をしないんだ」
「宮廷が荒れるからだ。無視しようが何だろうが掟はありさえすればいいと考える者たちが多くて……だが、もうそれも終わりにしよう。この先は哄竜に任せて朕は退位してもよい。俗世を捨て山にでも入れば、全て朕のせいにしてどうとでもできるだろう」
「そううまくいくわけがあるかい。それに哥哥が受けるかな?」
「受けてもらわねば困る」
唱亀は考えて、冥華に言った。
「道士小姐。立ってこちらへ」
「はい」
「文江も楽にして」
言われて文江は顔を上げてその場に座った。冥華は言われたとおり立って近づき、唱亀に言う。
「なんでしょう」
「君、僕たちを占っただろ。結果を父上に伝えて」
冥華は全身の毛を逆立てて慌てて言う。
「あんなのはほんの遊びでございます!」
帝が言う。
「よい。申せ」
抵抗できない。
冥華は眉根を寄せて渋々言う。
「……全員が帝になります」
「──ひとりずつ死んでいくということか?」
帝の目が、日没の太陽のように輝く。冥華はその瞳に悠久を感じる。
「それはわかりません。ですが、私の卦にはそう出ました」
「おまえは?」
「え?」
「おまえの未来は?」
「……自分の先は易ませんし、私はもうすぐ死にます」
帝は冥華を見て微笑む。
「後悔はないのか」
冥華は唐突に、胸の中にわき上がるものを感じた。
「ないつもりでした」
なぜか声が震え、それを聞いて唱亀は驚いた。
帝は大きく笑って言う。
「左様! おまえは若く、まだなにも知らぬ! 広大な空だ広大な大地だ! 思いもかけない人々だ、驚くような音楽だ、沸き立つような踊りだ、輝くような世界だ、ただひとたびだけのおまえが見る、ただひとたびだけの生きるということだ! 叶わなくても贅沢でも無謀でも、した約束を覆すのでもなんでもいい、なにもかもを」
冥華は帝の言葉がなんだかわからない。何かふしぎな、強い音の太鼓のようだ。
「のぞめ」
心臓を射貫かれたようだった。
鼓動が全身を支配する。
文江は自然と平伏してほろほろと涙を流す。
「文江、朕のためを思っての行動ではあろうが、朕はそれを望まぬ、今ここからは、朕の望みのままに行動しろ」
「ははあっ!」
「泰一公主現前聴力」
誓いの言葉を唱える帝に、文江も叫ぶように唱え返した。
「泰一公主現前聴力!」
「良し! では立てい! 平伏したままでは朕の力にならぬ!」
「はい!」
文江は涙を流したまま立ち上がる。帝は広場の外に向かって声をかけた。
「美杏! お前も来ないか! 朕に誓え、朕の力になると!」
返事はなかった。文江が言う。
「帝、美杏は心から掟が必要であると思っているのです。御身と国のためであると」
「それはどうだろうかな? 朕が必要でないと言っているのだ、ええい、哄竜などあてにはせぬぞ、あいつ生意気だからな。今のこの時から、掟は不要であると宣言する! すべての殺された皇太子の母と、母に殺された皇太子のために、鵬国十三代の第一の掟は、十四代皇帝、黄邑生が撤廃する!」
突然、林が消えた。宮廷のどこかの広大な部屋だ。高い天井と、明かり取りの窓。
美杏と、その背後に幾重にも連なる兵士たち。帝を中心に円形に集まっている。
美杏は袖口から札を一枚出すとゆっくり、ゆっくりと縦に引き裂きながら言う。
「帝。とても、とても、とても残念です。あなたのような賢い帝を失うのは、とても、とても、とても残念です。ですが、鵬国第一の掟を尊重しないというのであれば致し方ない。掟は守られなくてはならない」
「なんのための掟だ」
「掟は守られなくてはならない。それだけが正しいこと。さようなら」
札は二つに裂かれた。
「兵士よ、帝と、唱亀さまと、そこな嬪準を殺せ。頭蓋をすりつぶし、脳味噌を踏みつけよ。鵬国十三代第一の掟の下に我らは違わず正義である」
兵士たちが鬨の声を上げる。目が赤く光って正気ではない。文江は怯えて小便を漏らしたが、かまわず帝は文江を抱き寄せる。
「恐れるな文江、朕がお前と共におるぞ」
文江は泣きながら言う。
「はい、帝」
唱亀は笑った。
「ま、いいか」
冥華は、それを聞いてはらわたが煮えくり返った。何も考えず金の鎖のついた翡翠の玉を懐から引きずり出して叫んだ。
「黒潭来々(らい)ッ!!」
冥華がいるところを中心に暴風が巻いて、床が盛り上がった。床は黒潭の毛並みで、帝と文江、唱亀は、慌てて冥華の近くに寄る。冥華は動じずに、柔らかい黒潭の背中に立ったまま、黒潭の毛並みを眺めて言う。
「湖皇后は送り届けたのね?」
黒潭は、猫の形の巨大な頭を縦に振った。
よし、と冥華は言う。
「みなさまお摑まりください! ここから離れます! 黒潭、飛びなさい!」
言われて黒潭は声を上げる。周りの空気がどうどうと唸る。建物の屋根が粉々に吹き飛ぶ。
空が明るい。舞い落ちる木っ端をものともせずに黒潭は飛び、文江はひいひいと泣きながら帝に摑まり、帝は笑った。
「ほほう飛んでおる! これは愉快! はははははは! はははは! 唱亀見よ、皇祖の柳の大木があんなに小さい!」
「あっほんとだすごい」
だが飛翔はそう長く続かず、黒潭は宮廷の中庭にふわりと降りた。
この中庭は、中程度の式典や、宮廷での催しものや、諸外国の王をもてなす広場で、枝が刈り込まれた槇や椎や楡の大木が周囲を囲む、赤石が敷かれた場所だった。
宮廷内からは騒ぎを聞きつけて人々が位の上下を問わず廊下に出てきていた。
空が青くて雲が流れている。風に木々が揺れていた。
「黒潭、どうしてここに降りたの」
冥華は訊いたが、黒潭の返答は猫なのでなかった。
冥華は黒潭が人の姿に戻りたがっているのを察知して黒潭から降りた。
帝は文江を抱えて降り、唱亀も倣った。
帝がいると知った人々は即座にその場に伏せて礼を取った。
黒潭は人の形に戻る。
黒潭は一瞬、帝の顔を見詰めたが、視線を断ち切るように瞬きをして冥華に言った。
「もうすぐ哄竜と鳴鳳の野郎がここに来るから」
「朱李陽」
帝が言い、黒潭はびりっと全身を震わせた。
「そなた、朱李陽の子ではないか」
黒潭は顔を上げずに言う。
「お、おれは鬼だ。死ぬところを冥華に命を分けてもらった。お前は関係ない」
文江が顔色を変え唾を飛ばして言う。
「帝に向かってお前とはなんだ不敬である、なんだ!」
帝が囁く。
「よい」
文江は頰を染めて一歩下がり、帝は黒潭に言う。
「黒潭と言ったか、……あとで話そう」
黒潭は背を向けたまま返事をしない。
唱亀が冥華に言う。
「君のそれ、半分、彼に分けたの? 目の色が一緒」
「唱亀さまに関係ないでしょ」
冥華は唱亀を思い切り睨んだが、唱亀は門の方角を見て言った。
「哥哥と鳴鳳だ」
皇太子二人が、馬に乗ってやってきた。馬丁が駆け出てきて二人が降りた馬の手綱を取り、曳いて素早く門の外に出る。
哄竜が表情を明るくして、
「父上、ご無事で!」
と言い、鳴鳳が袍礼を取ってから近づいて、唱亀に言った。
「小哥、どうなってる?」
問われた唱亀は二人に言う。
「母上は囚われていたが冬宮に向かった。父上も囚われていたが、ここにおられる。捕らえていたのは殿中監、林美杏だが、背後に誰がどれほどいるやもわからぬ。それと鳴鳳、お前、お兄ちゃんになるからな」
言われた鳴鳳は両手で顔を押さえて目を丸くし、それから喜びのあまり激しく瞬きをして、帝に言った。
「父上ありがとうございます!」
「よきかな!」
唱亀さまそれ今言うんだ、と冥華は呆れたが、今はそれどころではなかった。
馬がもう一頭駆け込んできて、皇太子たちより明らかに下手な体捌きで、男が馬から降りた。馬丁と門番が駆け寄って男に詰め寄ったが、哄竜が言った。
「ああ、よいのだ、よい、宮学、おいで」
「宮学!?」
冥華は驚いて言ったが、哄竜に制される。
「あとで説明するからな、道士小姐」
宮学は駆け寄ってくる。
「どうもどうも。帝ご無事でよかったです。どうでした、俺があっちがわの道士として作った檻」
「なかなかの居心地であった。そしてお前の言うとおり、おとなしくしておったぞ」
「ふへへ、ありがたい。おかげさまで、あっちがわのメンバー、面子、名前全員把握できましたよ。おっ、冥娘じゃん! 黒潭もでかくなったな! なんて、挨拶してる場合じゃねぇな」
「あんたは変わらないわね宮学。ああ、そういうことなの……裏切ったのかと思った」
冥華が言って、宮学は笑う。
「牡丹と翡翠は怖いからな。俺だって命は惜しいもん! んで、冥華いるなら話早いや。美杏ちゃんは、札使った?」
言いながら宮学は、札を縦に裂く動作をした。
「うん」
「あっそう」
宮廷の奥が騒がしい。荒々しい足音と、大声がする。
宮学が言う。
「あっねぇ、そこの褲が濡れてるおっさん。このあたりの人たち中に入れて。無駄な人死に出しても意味ない」
「おっさん!?」
文江が青筋を立てて怒鳴り、唱亀が言う。
「僕がする」
言うより早く大股で歩き、触れまわる。
「皆の者、中に入り、奥に下がってなにか得物を握っていろ! 腕に覚えにあるものは、戦いに向かない者を守れ! よいな! 扉を閉めて鍵をかけい、出てこずともよい、様子を窺わずともよい、中に入り備えていろ!」
わあわあと声が近くなる。
人々は唱亀の言葉を聞いて慌ててその通りにした。言葉が届くなり、扉が閉ざされ、鍵がかかる音がした。遠くて声が届かない一角もあったが、一人の男が出てきて、
「唱亀さま、あちらには私が伝えます」
と言ったので、唱亀は、
「頼む。お前はそのままそこに籠もれ」
と伝えた。
唱亀は駆けて冥華たちのもとに戻り、息を吐いた。
「ご苦労、唱亀」
「ありがと、小哥」
兄弟たちに言われ、唱亀は苦笑する。
「なんだか僕ばっかり走ってる」
「荒事は俺の担当だからあとはいいよ」
と鳴鳳が一歩前に出る。
「ではとどめを刺すのは私の役目だ」
と哄竜が刀を抜く。
「治めるのは朕の役目である。お前たちは見ておくのだ」
帝が威厳を以て言い放ち、哄竜が言う。
「父上を守らねばなりませんので」
「黙れ、従うのだ」
そのやりとりをよそに、冥華は宮学の後ろに回ると、背中に手を当ててグイグイ押した。
押されて宮学はたまらず転びそうになりながら前に出る。
「やめてやめてなにすんの冥!」
「うるさいお前がちゃんとするんだよ!! 戦いなさい!!」
「やだやだやだ」
「やだじゃないどうせやるんだから!!」
「もっと盛り上げたいようみんな死にそうになったところでオレが」
帝が黒潭に言う。
「アレは何をやっとるのだ」
黒潭が答える。
「宮学がバカなんだよ」
黒潭と帝のやりとりを見て哄竜が言う、
「おや、そこのふたり、似てないかい?」
唱亀が、それ今かと片手で顔を押さえる。鳴鳳が顔を輝かせる。
「ああああああ、すげぇ、何そういうこと? うわあ感激うわあ」
鳴鳳が黒潭を抱き締めようと両腕を広げて近づいたが、黒潭は近づかれたと同じ分だけ離れた。鳴鳳は一度止まったがまた近づいた。黒潭はまた離れた。
「どういうことだ? 唱亀」
哄竜が言う。
帝が唱亀に言う。
「お前大変だなあ」
「うう」
「哄竜と鳴鳳をよろしく頼むよ。お前たちは三人で一人みたいなところがあるからな」
「はい」
「だから、死んではいけないぞ、息子よ」
唱亀は苦笑する。
「はい、父上。素晴らしい詩と美しいものがある限り生きましょう」
「お前はそんなこと言って、兄弟のためにすぐ死にそうだから、父は気にしている」
「買いかぶりです」
「褒めてない」
唱亀はグッと息を詰める。
おーおーという大声と、乱れた大勢の足音が近づいて、やがて中庭に赤い目をした兵士たちが雪崩れ込んできた。
冥華が宮学に言う。
「解術してよ、見たことあるわよあの符術。ほんと性の悪い術使うわね」
「へいへい」
宮学が一歩足を踏み出す。細長い紙挟みを取ると、一枚の札を取り出して、横に裂いた。
だが兵士たちの足は止まらず、ざっざっと足音を立てて進んでくる。
「ちょっと」
宮学は何も言わずに兵士たちに背を向けて走り出したので、冥華は手を伸ばして宮学の帯を摑んだ。逃げようとする宮学に引きずられながら怒鳴る。
「失敗したの!? 失敗したのね!? 何やってんの!?」
「誰にでも間違いってあるでしょ? 人を責めると自分が失敗した時に許してもらえないよ?」
「今すぐ死にそうなのに知るかそんなの!!」
兵士たちは棍棒を握りしめ近づいてくる。
その棍棒に血と肉片、髪の毛がへばりついていた。その髪に絡みついている櫛は林美杏のものだ。
冥華はひっと息を呑んで怯えた。
宮学は冥華を抱えると、帝と皇太子、黒潭の背後まで駆けた。
「だっらしねぇなあ!」
黒潭が前に出て二人を背にすると言って、宮学が、
「ホントだよしっかりしろよ冥華」
と言ったが、黒潭は歯をむき出して宮学に言った。
「しっかりするのはお前だよ!」
黒潭は懐から出した紅縮緬の包みを取り出す。手の平の上に乗るくらいの大きさだ。
時刻は夕刻にさしかかり、西の空に太陽が、金色を帯びて傾いている。
雲の切れ間から、陽光が差し込んで、強い陰影を中庭に作っていた。風が吹いて大木が揺れている。
黒潭は紅縮緬の包みを開いて言う。
「来々!」
包みから色とりどりの花びらがあふれる。
風に舞い上がり、午後の光線の中に光り輝いて、とめどなくあふれる。
視界を埋め尽くす。
空を埋め尽くす。
中庭を埋め尽くす。
兵士たちを埋め尽くす。
大河の奔流のごとく花びらは雪崩れて、兵士たちを包み、兵士たちは花びらに抱かれるように眠りに落ちた。
花びらが舞う中、現れたのは、湖皇后だった。
金色の光の中、牡丹の精のようだった。
「よく呼んでくれたわね、黒潭。この、牡丹の術を以て、解術となります。夜にはみんな自分を取り戻すわ」
「母上!」
鳴鳳が笑って言い、哄竜は微笑んで礼を取った。
唱亀が、
「せっかく冬宮に行かれたのに!」
と言ったが、湖皇后は不敵に微笑んで言った。
「私がいないと、あなたたちはまだ頼りがないから」
帝が愛おしげに微笑み、両腕を開いたが、湖皇后は、
「子供たちの前です、お慎みください」
と諫めた。
冥華は宮学の腕の中から離れ、ほっと微笑んだ。
帝は掟の撤廃を宣言したし、帝も湖皇后も無事だ。
あとは正式な勅を出して天下に知らしめればそれで悲願は叶うのだ。
望みが叶うのだ。
皇帝の背後から身を低くして湖皇后に向かってくるものがいた。
文江だった。
正気をなくした目をしていて、短刀を構え、尋常ではない速さで突進してくる。
誰も動けない中、冥華は何も考えず湖皇后の前に立ちはだかった。
刃が深々と冥華の腹に沈んで、文江が猿のように叫んだ。
「邪魔だ小娘ェッ!」
冥華の腹から刃を抜くと血が噴き出て、文江はその刃で湖皇后に斬りかかったが、哄竜の刀が一閃し、文江の首を飛ばした。
中庭の花びらは血で赤く染まり、首は花びらに沈む。




