213.紙装甲
「んんっ…………」
目が覚める。遠くから雀の会話が聞こえるいつもの朝。
ピピピ……と枕元から聞こえるいつもの電子音を止め、夢の世界にしがみつくことなくベッドからゆっくりと立ち上がる。
隣を見れば空のベッドが一つ。まだ僅かに温もりが残っていることから少し前までここに居たのだと予測しつつ、特別気にすることなく窓に向かう。
シャッとカーテンを開けば快晴であることを示す陽の光を浴び、うんと身体を伸ばすいつもの朝。
顔を洗い、着替える。そうこうしているうちに再びスマホが鳴っていることに気がついて持ち上げれば、いつも設定している天気が通知欄に表れる。軽くスライドしてみれば寝てる間に来たメッセージに軽く目を通すいつもの朝。
「…………」
いつもの朝。そう、いつもの朝。
意気揚々と扉を開けて一日の始まりを告げるいつもの朝。
けれど少女の顔は暗いまま。アイドルとして光あれと教えられたあの頃とは違う顔。
それはさっき見た通知に目的のものがなかったから。目的のアレは"まだ"なのだと理解して息を吐く。
「はぁ……」
一人きりの部屋で不意に出た音は誰にも届くことなく静かに消えていく。
それは悲しみのため息。
明るさに包まれた普段とは違う、いつもとは違う朝だった――――
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「あら、おはようアスル。今日は随分と遅かったわね。寝坊?」
カチャリと扉を開けた先に待っていたのは、そんな仲間からの挨拶だった。
暖かな部屋。何か焼いているのかパチパチとした音といい匂いが漂う空間。そんな五感を刺激する一室の、視線の先から随分と聞き慣れた声が聞こえてきた。
那由多。少女の中ではセツナと呼んでいる女の子。
ゲーム攻略面でもその洞察力から敵の攻略法を推測してくれる、頼りになる存在。あまりにも火力にこだわり過ぎて被弾し、いつも回復担当から小言を言われるところが羨ま……玉に瑕な女の子。
そんな彼女がふわぁ……とあくびをしながら頬杖ついてスマホを触っているのを眺めつつ、向かいの椅子に腰を下ろす。
「ちょっと、ね。眠れなくって……」
チラリと横を見ると金髪の女の子が机に突っ伏して眠っている。
ファルケこと灯火。朝起きた時居なかった空のベッドの主。一足先に起きてこっちに来ていたらしい。
二人を視界に収めつつ奥に目を向ければ那由多の後方にキッチンに向かっている麻由加が見える。きっと今日も朝ごはんを作ってくれているのだろう。
これが少女たちの日課。
同じマンションに住む同士、一つの部屋に集まってご飯を囲むこと。
朝ごはんは持ち回りだが麻由加のは絶品だ。今日は何を作ってくれているのだろうと少女、若葉は頬を緩ませると、視線の手前にいる那由多が「ふ~ん」と何やら笑みを浮かべてこちらを見ていることに気づく。
「セツナ?私の顔になにかついてる?」
「ううん。アスルは表情に出てわかりやすいなって思ってね。眠れなかった理由もセリアが居なくって寂しかったんでしょ?」
「…………むぅ」
その言い当てるような仕草に若葉は否定することなくただただ口を尖らせる。
まさに大正解だから。いつもの朝に、いつもの存在が居ない。それが若葉の眠れなかった理由だった。
自分が顔に出やすいことも自覚している。だからこそ否定せずに頬を膨らませつつ正面の那由多を見た後、テーブルに倒れ込む。
「そうだよ~!陽紀君ってば帰るの遅れちゃったんだもんっ!寂しくなるに決まってるよ~!」
そうして吐露するのはわだかまっていた感情。
1日だけならまだ我慢できた。
でも2日となるとどうしても積もる寂しさが上回ってしまった。
直前で1日伸びる旨の連絡が届くというサプライズが大きかったかもしれない。なんにせよ2日も愛しの人に会えないことが若葉にとってこの上ない寂しさを味あわせた。
「元トップアイドルの姿が型なしねぇ」
「むぅ……。セツナこそ寂しくないのぉ?」
「全然?むしろ家も正反対で学年も違ったら会えない日のほうが多いのよ。このアパートで毎日会えるようになったけど、さすがにまだ数日会えない程度で眠れないなんてことにはならないわ」
「ぶ~」
自分と違って余裕綽々な様子を見せる那由多に唸り声のみで抵抗する。
すると恨めしい視線が届いたのか那由多がチラリとスマホから視線を外し、「そういえば……」と声をかける。
「そういえばアスル、もしもセリアが向こうで知らない女作ってたらどうする?」
「えっ!?陽紀君に知らない女の子!?」
「もしも!もしもの話よ!そんなに乗り出さないで!」
知らない女の子!!
その衝撃的な言葉に無意識のまま乗り出して那由多に詰め寄っていた若葉。制されて「ごめん」と誤りつつ安心して再び腰を下ろすものの、少し不安が重なっていく。
「もしも……か……。とりあえず相手に向かって開幕"ホーリーチャージ"かな?」
「それ相手がゲームやってること前提じゃない。ゲームじゃなくってリアルの………えっ、まさかリアルで"ホーリーチャージ"しないわよね?アスル?」
ホーリーチャージ。
盾職である若葉が愛用するスキルの一つ。突進攻撃・防御アップと取り回しのいい技。
那由多の問いに答えない若葉は知らない女の子について思案する。
たとえば……そう。昔から知っているお姉さん。
昔遊んでもらった思い出をなぞるように一緒に遊んで、夜も近い頃に彼女は言う。
「私、夏が来る前に許嫁と結婚するの」
それは昔ながらの古い風習。あんなに近かった姉同然の存在がまるで遠くに行ってしまった事実に耐えられなくなった陽紀君は、その夜にお姉さんと最後の思い出を――――
「いっ、いやっ……!」
「……アスル?」
想像が行き着くところまでいっておもむろに立ち上がった若葉。そして当然何も知らず疑問符が浮かぶ那由多。
若葉の目はキッと釣り上がり真剣そのものだった。その目が那由多に向けられると小さな手をまっすぐ伸ばす。
「セツナ!一緒に陽紀君のところにいくよ! 田舎のお姉さんなんかに私の陽紀君を渡してなんてあげないんだから!」
「突然どうしたのよ。田舎のお姉さんって何のこ――――。なるほどね。一体どこまで妄想を繰り広げたっていうのよアンタは」
唐突のわけわからない誘いに、即座に理解をする那由多。流石の洞察力といったところだろうか。
はぁ……と大きくため息をついた那由多はそのまま伸ばされた手を取り、若葉の肩をもってひとまず椅子に座らせる。
「大丈夫よアスル。アイツに知らない女なんて付いてないから」
「……ホント?」
「ええ。雪ちゃんからお義母さん経由で聞いたから間違いないわ。それにアイツ、今日午前中に帰ってくるって……アスルのとこにも届いてたでしょ?」
「!!」
それは初めて知る情報。正確には通知欄に届いていたものの、あまりの失意で脳が理解していなかった。
情報元はお義母さんという確かな出処。妄想に取りつかれていた若葉も安堵からか力が抜けていく。
「よかったぁ。陽紀君、そろそろなんだ」
「そうみたいね。……それにしてもアスル、アンタって案外重いのね」
「重い!?体重は結構気にしてるよ!?」
「そっちの意味じゃないわよ!感情がってことよ!」
そうかなぁ……。と、若葉は1人首を傾げる。
好きならばこれくらい普通じゃないだろうか。むしろどうして那由多は余裕でいられるのだろうかと疑問さえ思う。
「とりあえず、そういうことだからゆっくり待っていましょ。そろそろ朝ごはんできる頃だし、余裕ある女はモテるわよ」
「う、うん………」
「――――そういう那由多だって、さっきからずっとスマホが上下逆さまになってますよ」
「………っ!?」
若葉を落ち着かせるよう宥めた那由多。しかしそんな彼女に突然後方から声が降り注いだ。
出処はさっきまで朝ごはんを作っていた麻由加。彼女はお皿をテーブルに置きつつ優しげな口調でたった一つの指摘をする。
スマホが上下逆さま。
確かによくよく那由多の手元を見ればあるべきところにカメラが無い。少し目線を動かせば下の部分にあることが確認できた。
ずっと彼女と話していたが、スマホをひっくり返したところなんて若葉は見ていない。つまり彼女は最初から…………。
「お、お姉ちゃん!そういうのは後でコッソリ教えてよ!!」
「ふふっ、ごめんなさい。那由多も可愛いところあるんだなって思うとつい……」
顔を真っ赤にして怒る那由多と軽く受け流す麻由加。
さっきまでの余裕ぶりなんて型なしだ。攻守逆転した彼女は焦りを露わにしながら照れ隠しのように若葉を睨む。
攻める時はイケイケだったのに一度指摘されると焦りまくる姿。その様子はまさに――――
「やっぱり……セツナって紙装甲なんだね!」
「……うっさい」
まるでゲームのキャスターのように装甲が薄い那由多。
指摘された彼女はプイッと顔を背けてせめてもの抵抗をする。
なんだかんだみんな寂しさを抱えつつも、それぞれ支えあってうまくやる女性陣の朝だった――――。




