DLC1-2 鳴り響くは心の音
「自宅の隣に銭湯っていうのは中々悪くないなぁ」
自宅、というか別邸だが。
マルグレッタは別邸の改築を止めたが、今度は別邸の隣に大浴場を作ったのだ。あちらの二階から渡り廊下を通って脱衣所まで直通している。
別邸にも内風呂はあるけれど広い風呂というのは、また開放感が違うというか別の風情がある。
しかし大浴場まで移動してお風呂に入りに行くとかゲームセンターがあるとか、温泉旅館みたいな風情になってきた気がするな。
大浴場にしても内装はこちらの世界に合わせてあるけれど、何となく作りそのものは銭湯っぽい感じだ。
浮遊島の水源だが、ダムというほど大規模ではないが、貯水池になっている区画がある。そこから水を引いて、タンクに溜めて使っているという形だ。後は魔法的手段と物理的手段で水を浄化、循環させて無駄なく利用しているわけである。
水源地はウンディーネやルサールカと言った、水精や水妖の住み処になった。精霊に近いので、普通の水棲系モンスターと違って生物ではないから、水源地に住み着いても大丈夫なのだ。
大丈夫というか、彼女達が居る事で水質が清浄に保たれるので、寧ろ有り難い話ではある。水源の警備も彼女達に任せておけば安心だろう。
ああ。しかしいい湯加減だ。
ボイラーがあるわけではないが魔道具に魔力を供給すれば、溜めた水を沸かすぐらいは出来てしまうのだ。この辺の魔道具作成は俺が担当させて貰った。中々に出来が良くて満足している。
出来栄えに満足しながら湯船に体を浮かせてゆっくりと考えを巡らせる。こういう時間は結構好きだ。
今までの事。これからの事。
旅の途中でクローベルと恋人になって魔竜とその分身達を倒し。
――これでのんびり出来る、などと思っていた時期が俺にもありました。
……束の間の事だったな、本当。
貴族になってしまって領地を手に入れ、ある意味前より忙しくなった。そして、旅で知り合った仲間達と結婚する事になった。
改めて整理してみると実に不可解だ。
クローベルと話し合った結果を受けて、まずコーデリアと話をしたのだ。
共鳴について。俺に対して、どう思っているのか。
まだそれ程経っていないので、彼女達とのやり取りは、一言一句正確に思い出せる。
そう。あれは――。
「わ、私はお兄様とクローベルを応援してるの。さっきはお父様の考えが解ってしまって、ちょっと動揺しただけだから。クローベルの事もお父様にちゃんと伝えないといけないでしょ? そうすればお父様だって」
慌てて手を振りながら、コーデリアはそう言った。その言葉は嘘ではない。が、コーデリアには他にも思っている事があるようだ。
俺が気付いた事に、向こうも気付いた。共鳴がある為に一度バレてしまえば、隠すのは難しい。
申し訳無さそうにしているコーデリアの手を、クローベルは取って言う。
「コーデリア様には共鳴があるから、黒衛に触れてはいけないと考えていらっしゃるのではありませんか?」
コーデリアの動揺は一瞬、強くなった。共鳴で感じたのは罪悪感と不安だろうか。
すぐにコーデリアは落ち着くが項垂れて小さくなってしまった。
謝るクローベルにコーデリアは「クローベルは悪くない」と首を振る。そして色々観念したように、こう言った。
「私にとって黒衛お兄様を……兄のように思っているのは本当の事なの。でもそれは、初恋の人である事とも矛盾しないって言えば、伝わるのかな。ううん。初恋じゃないか。今でも、好きだから」
気が付いた時には身近に感じていたけれど触れる事も話す事も出来なかった俺が、まるで他人の事だとは思えなかったとコーデリアは言う。
コーデリアには不思議だった。俺の存在を感じると安心するのだと言う。その安心感や距離感は何か。コーデリアが知る中では、父や母に感じる感情に最も近い。
――なら。ちょっと年上のその男の子は、きっと私にとってお兄様のような人だろう。
コーデリアがそう思ったのは何時の事だったか。
それはもう忘れてしまったそうだけれど、他に兄弟姉妹がいなかった彼女は、その考えが随分気に入ったそうだ。
以来、平坂黒衛はコーデリアにとっての兄。だけれど、同時に初恋の人でもある事と矛盾しない。
ベルナデッタと一緒に地球に渡り、俺を見て。
心の形はまだ元に戻っていないのに。この人を、知っていると思ったそうだ。
コーデリアの心にいつでも一緒にいたと。
トーランドが凍り付いた時も。戦い続ける事が怖くて泣いた夜も。
魔竜と戦っている最中でさえ。俺は彼女の心にいたという。だから。ずっと知っていたのだ。
「きっと、お兄様がいなかったら、私は折れていたかもしれない」
こちらの世界に戻ってきた後に、存在規模の関係で俺と会話が出来なくなるのも解っていたが、それは受け入れたそうだ。今までと何も変わらないのだから、と。
それよりコーデリアにとって気がかりだったのは、俺の身の安全だ。日本はとても平和だから、グリモワールの力があってもちょっとした事で命に危険が及ばないとも限らない。
だからコーデリアはクローベルに俺の話をしたんだ。
コーデリアがグリモワールの契約者の中で一番信頼しているのはクローベルだったし、俺も……コーデリアの影響なのかそうでないのかは解らないが、ゲームのプリンセスグリモワールではクローベルのイベントに思い入れが強かったしな。
クローベルなら何も言わずとも俺の心の支えにもなってくれるんじゃないかとコーデリアは思い、俺もクローベルを頼ってくれるんじゃないかと思ったそうだ。
事実そうなって、その姿を見てとても安心出来たし、その結果俺達がお互いを思い合う事になったとしても、コーデリアはそれを祝福出来る。自分にとっては優しいお兄様でいいと。
そう……気持ちを決めていたらしい。
クローベルはコーデリアやベルナデッタが庭園で動けない時に、俺と恋人になった事に、申し訳なく思っている部分があったみたいだが……それは違うとコーデリアは首を横に振った。
「私は生まれてからずっとお兄様と一緒だったし、こっちに来てからだって庭園で何度か顔を合わせていたから。お兄様が私に対して妹のように見ていたとしても、そこには何の不思議もないわ。それは仕方ない事だもの」
コーデリアは困ったような笑みを浮かべて言う。共鳴は……彼女自身の力で抑えているようだ。色々な強い感情は伝わってくるが、決定的な所だけは上手く他の感情で覆い被せて、抑えて解らないようにしている。
けれど。そうやって努力をしてみても、感情を見せなくする為の方法が俺にも解った以上、何かを伏せようとしている所までは簡単にわかるようになってしまったという事で。
……俺と彼女の違う所は、俺は彼女の心をそのまま預かっている所、か。
彼女にとって外部にある物で、俺にとっては内部にある物。
自分と他人のその違いは好意の形にも僅かな差が生まれていた、と言う事だろうか。
異界に他ならない彼女にとっての日本と、ファンタジーの類型として見えてしまう俺にとってのこの世界と。その印象の差というものもあるのだろう。
「だって私がお兄様の心に触れるのは……反則だよね。こんな思いを言葉にも態度にも出さずに、伝えられてしまうなんて。そんなのは、ずるいわ」
なるほど……。そんな風に思っていたのなら、踏み込んでくるという事を彼女はしないだろう。
「けれど。これから先は、その考え方ではもっと辛くなってしまいます」
「そうだね。これは二人だけの話とか、失恋じゃ済まない事なんだから。コーデリアが俺に影響を与えたくないって言っているのと同じように、俺の共鳴がコーデリアの人生に悪い影響を与えて欲しくないんだ」
「……私は、二人の邪魔をしたくないよ」
「邪魔だなんて、そんな事があるはずがない。コーデリア様に忍耐を強いて……幸せになるなんて、私には言えません」
そんな風に、クローベルは言って。コーデリアの肩を抱いた。
二人は暫くそうして抱き合っていた。
やがて恐る恐る見上げてくるコーデリアに、俺は言う。
「コーデリアはずるいなんて思っているのかも知れないけど。共鳴が起きたって、それが自分の感情かどうかぐらいは区別が付くようになってるんだ。だからそんな風に不安に思わないで欲しい。今までだって一緒だったんだ。これからだって、そうしよう。コーデリアが思ってくれるのと同じように、コーデリアの事を思えるよう、努力させてくれないかな」
好意を受けて……すぐに好きだなんて返せるほど器用じゃない。コーデリアの事は好きだ。ただコーデリアが俺に向ける好きという言葉と、俺がコーデリアに感じる好きだという気持ちは、今はまだ、少し種類が違って。そこにはズレがあるのかも知れない。だけど、近付けて行く事は出来るだろう。
共鳴があるからなんて理由じゃない。コーデリアが大切だからそうしたいと思う。
言葉が足りずに誤解させてしまうような事でも。俺達なら共鳴でちゃんと伝えられる。うん。確かに……コーデリアが恋愛事にはずるいっていう気持ちも解るかな。
「……ごめんなさい、クローベル。私も、お兄様の隣に一緒にいたい」
「はい、コーデリア様。一緒に、いましょう」
「この共鳴を、煩わしく思った事なんて、一度もないよ。コーデリアとの絆で、かけがえの無い物だと思ってる」
そしてこうなった以上は、俺の選択でもあるんだから。俺もあれこれ迷うのは止めて、もっと建設的に考えよう。もうこれ以上、彼女達を思い悩ませるような事はしたくない。
「うん、黒衛お兄様。私も、もう悩むのは止めるから」
コーデリアは吹っ切れたような笑みを浮かべて立ち上がった。
「私だって王家の娘だしね。二人がそう言ってくれるなら、ちゃんとしなきゃ」
クローベルとコーデリアはベルナデッタ達の事についても相談しているようだった。
「……クローベルは、それでいいのね?」
「はい。どうなるにしても話は通さなければいけませんし」
「話をしないのもフェアじゃないもんね」
そうしてコーデリアは真剣な表情で、俺に言ってくる。
「ベルナデッタとマルグレッタには、お兄様から伝えてもらえるかな」
「……やっぱりそう、なのか?」
庭園でマルグレッタが俺を夢に捕らえようとしたのは、つまり……。
「解らない、けど。ベルナデッタにも私の本心は話してないもの。ベルナデッタだって私に伏せている事ぐらいあると思う」
……本気で墓まで持っていくつもりだったんだな、コーデリアは。
だけどコーデリアとしてはベルナデッタもそうなんじゃないかと……見ているわけか。
まあ、ベルナデッタの事もちゃんとしなきゃいけない。結婚とかそう言う話じゃなくて。あの子は俺に迷惑をかけてるなんて思っているし。
「元の姿に、変身したのね」
ベルナデッタとマルグレッタの部屋へ向かうと、彼女達は微笑んで迎え入れてくれた。黒衛の姿に戻っている事に、彼女はあまり驚きはしなかった。コーデリアとベルナデッタは、俺の元の姿も知っているからだろう。
促されるままテーブルにつくと、彼女はお茶を淹れてくれた。
「それで、どうしたのかしら?」
「いや、実は――」
尋ねてくるベルナデッタに、クローベルとコーデリアとの事を一通り話して聞かせる。
「共鳴、か。……あの子に何回かあなたのお話を聞いたんだけどね。黒衛はお兄様だから応援してるって譲らなかったのよ」
ベルナデッタは眉根を寄せて、首を横に振った。
「でも、貴族だから、か。……クローベルも苦労人よね」
「本当に、そう思うよ」
幸運って言われて、まず他の人の幸せから考えるんだし。
「でも、共鳴の対策としては丁度いいかも知れないわ」
「そうなの?」
「ええ。リンクはデリケートだから……魔法で共鳴をどうにかしようとするのは諦めた方がいい。だから寧ろ積極的にコーデリアと触れ合って、その中で共鳴の制御の仕方に上達していった方が良いと思う。クローベルが認めてくれるというのなら……それはそれで良いんじゃないかしら?」
「なるほどね……」
これはこれで興味深い話だ。だが本題から少し外れて来ているな。
「コーデリアの事を話に来たのもあるんだけどさ。ベルナデッタはどう思っているか聞きたいな、と」
ベルナデッタは小首を傾げて言う。
「良いと思うわ。貴族なら普通の事でしょう」
いや、そういう事じゃなく。
「……またそういう受け答えをする」
そこでマルグレッタが口を開いた。
「ベルナデッタがそうやってはぐらかそうとするなら、わたしが言うわ。わたしは、黒衛が好きよ。大好き」
「っ!?」
直球で放たれたその言葉に、ベルナデッタは血相を変えて立ち上がった。
正直俺もかなり動揺した。見ている前でマルグレッタが女王の姿になる。
「あの時の真意を聞きたくて、ここに来たんでしょう? なら、こっちの姿になるべきよね」
「あ、ああ」
「うん。私の存在理由や行動原理としては、ここで黙っているのはかなりのストレスになるからね。とぼけていないでちゃんと話をしてもらわないと、困るのよ」
「……そう。そうよね」
ベルナデッタは顔を赤くしながら机の上に突っ伏して、かぶりを振る。それから顔を上げて、俺を見て来た。
「私は、冷静に考えると……いえ、どう考えても、かしらね。あなたに嫌われても仕方がない気がするのよ」
まあ……ベルナデッタは、俺に対してそう思ってるんだろうな。例えば戦いの運命に巻き込んだとか、重責を押し付けてしまっている、とか。
俺の方は、そう思っていないけれど。
「それにあなたの事はずっと気に入ってはいたけれど、はっきり好きになったと言えるのは大分後だもの。あなたの隣に置いてもらう理由としては、クローベルやコーデリアより弱いと思うのだけれど。それに、ここまで助けて貰って……それ以上は欲張り過ぎじゃない?」
ベルナデッタは困ったような表情になった。でもさ。ベルナデッタ。それは違うんだよ。
「助けてもらったのは俺の方で……今となっては皆の為に戦えたことが誇りだって思ってる。だから俺に遠慮なんかしなくていいんだ。望みがあるなら言って欲しいし、それでベルナデッタが欲張りだって感じるのなら、尚更隣にベルナデッタにもいて欲しいって、はっきり言うよ」
ベルナデッタはずっと本の中で一人だったんだし……こんな事が欲張りだなんて言うなら、いくらでも叶えてあげたいと思う。もう、みんなを思い悩ませないって決めたしな。
「そ、そんな風にして私を助けたいとか、一緒に生きようとか言うから……マルグレッタも歯止めが効かなくなってしまったのに……。解っているのかしら……?」
顔を赤らめながらベルナデッタはそんな事を小声で呟くが、俺に向かって言ってはいなかったようなので、その事について受け答えするのは止めておくことにした。
なんだかな。自分がとんでもない女誑しみたいに思えてくるが……。
いや、こうして実際口説いてるわけだし言い訳しようもないが。
「クローベル達が迷惑でなくて、あなたが望んでくれるのなら。私に断れるはずがないわ。それぐらい、私はあなたの事が好きだもの。一緒に、いさせてくれる?」
ベルナデッタに頷くと彼女は、不束者ですが、と日本語で言って頭を下げ、それから悪戯っぽく笑って見せた。
話は、まだ終わっていない。
マルグレッタとベルナデッタもまた繋がっているわけで。彼女にもちゃんと話をせずには終われない。
「マルグレッタ」
名を呼ぶと、彼女は相好を崩した。
「ん。私にもちゃんと確認を取ってくれるのね。嬉しいわ」
「当たり前だよ。マルグレッタも、一緒にいてくれたら嬉しい」
「私の気持ちはさっき言ってしまったものね。だからもう一度、はっきり言っておくけど。あなたが望んでくれるのなら、私はこの身も、この心も、全てあなたに捧げるわ」
と、マルグレッタは胸に手を当てて、穏やかな笑みを向けてくる。
……女王モードはベルナデッタより積極的というかアグレッシブというか。ベルナデッタが抑制している部分を受け持つ役割だから、かな。
……普段は仲間の感情を魔力反応で見ると言う事はしていないのだけれど。相手の持つ魔力が大きくて、感情を抑えていない場合、自然に感知してしまいやすい。当然、この場合二人の魔力は折り紙つきな訳で。
話が付いた以上は二人とも感情を抑えるのを止めたらしく、濃密な魔力を以って全力で好意を向けてきている。この感じは……。この場にいるだけで頬が赤くなってくるのが解る。
「そんなわけで、メリッサとソフィーとファルナにもちゃんとお話、しておいてね」
「そのつもりだけど。こう、中々複雑なものがあるな」
浮気……ではないのだけれどねえ。
それにソフィーとファルナはちょっと幼すぎるので。多分に話を通すだけという形になってしまう部分があるだろう。
メリッサは……ちょっと反応に予想が付かないんだが……。
「まあ、機会が平等だから自分に許せる所があるのよ」
「うん。それは解ってる」
なので、話をしないという選択肢がそもそも存在しないのだ。
意外にもと言うか、彼女ならではと言うか。
俺が平坂黒衛に戻った姿でメリッサを探してうろついていたら、何の予備知識も無いはずなのに彼女の方から普通に俺をクロエ様と呼んできた。
メリッサだ。あんまりにも自然に話しかけてくるものだから、まず人形の作り方の新しい機構について雑談してから本題に入る事になってしまった。
彼女に用があったのは確かだが……平坂黒衛を元々知っていた二人と違って、メリッサは黒衛の姿を見るのは初めてのはずなのに反応が平常通りだった。
「いや、それは解りますよ。クロエ様と表情の作り方とか、同じですから」
「それで解る物なのか……」
その辺は人形作りで培った観察眼という奴なのだろうか。
つまりメタモルフォーゼを使っていても、メリッサはある程度見慣れた相手なら正体を見破れるという事を意味している。
「んー。それで、メタモルフォーゼを使って元の姿に戻ってみたんだけど――」
メリッサにも、話をしておかなきゃならない。
彼女にみんなとの事を切り出すのは……割と緊張するな。真実の愛を掲げていたメリッサだけに、割と失望されるかも知れない。
失望、か。ここまで一緒に旅をしてきた相手にそんな風に思われるっていうのは……結構ダメージがでかいな。
「私は別にクロエ様が男の子に戻ろうと、思う事は変わりませんよ? 応援すると、前に言った通りです」
しかし、メリッサは諸々の話を聞いても笑みを浮かべた。
「そう言ってくれるのは嬉しいけどさ。でも真実の愛って、前に……」
「いえ、上級貴族でしたらそれは普通じゃないですか? 私も一応曽祖父の代から騎士爵位を叙勲されている家庭に生まれましたし、貴族の風習についても理解があるつもりなんですが」
……騎士の家系、か。グラントがあれで折り目正しく礼儀正しく振る舞っていたり、メリッサも案外卒が無かったりで、しっかりした教養を感じさせたりしていたのはそんな理由があったわけか。
しかし、自分の常識が揺らいでるのを感じるな。みんな「上級貴族なら当たり前」という前提に立っている気がする。
メリッサはこれで俺達の中で一番の常識人……というと語弊があるが。実地で常識に詳しい部分がある。自分のぶっ飛んでいる部分の自覚があるからこそ、常識に則った振る舞いが出来るのだろう。
そのメリッサから見ても普通の事だと言うのなら、そうなのだろうけど。
「それに、皆さんの関係は後継者目当てや権力争いとはまた違いますからね。そういう点ではクロエ様に対する好意が向けられていて純粋で素敵ですし、愛の正しい在り方に迷っておられるクロエ様の姿もまた素晴らしい、と言いますか……」
と、メリッサは頬に手を当てて俺の目を覗き込んだまま、恍惚とした笑みを浮かべた。
いやいやいや。俺が元の姿に戻っていてもそれは変わらんのか。
「いや、そこでトリップするのはもうちょっと控えてね?」
「……失礼しました。ええと。まあ、クロエ様とは色々出会いでやらかしてしまった部分があるので、誤解なさらないように言っておきたいのですが。私は確かに美しい容姿の少女というのは好きですが、それは人形師としてと言いますか、芸術と言いますか。造形美に限ったお話でして。ですからクロエ様が男の方であったのは旅の最初に教えていただきましたし、様々な事含めて、クロエ様が危惧なさっているような失望など、感じるはずがないのです」
……要するに。メリッサは芸術家肌なんだよなぁ。楽器も歌も好きだし。
んん……? メリッサって人種も性別も関係ないというのなら、恋人に求める物はなんなんだろう。一周回って精神性の重視みたいな所に戻ってきているわけか?
その上で応援する、というのは。
「もしかして最初にやらかしたから、俺に嫌われたとか思ってる?」
「いえいえ。そこまでは思っていませんよ? 私は、自分が他の人から理解されないのは仕方ないとは思っていますし開き直ってはいますが、その点クロエ様には普段から人形作りや、新しい機構のアイデアを出して頂いたりと、手伝ってもらっていますし、嫌われていると感じた事はありません。私としては嬉しいし、毎日楽しいです」
……んー。じゃあ質問を変えようか。最初の出会いがああだったから遠慮させてしまっていたと仮定して、はっきりさせておかないと。
「なら。俺の事をどう思っているかって聞いておこうかな」
「……クロエ様。もしかして……私の気持ちも確かめておくおつもりなんですか?」
「うん。そういう意味で聞いてる」
そのつもりだ。旅の仲間に気持ちを確かめて。それからの事はみんなで決めて行くという。みんなとはそういう事で通してある話なんだ。メリッサにも、ちゃんと聞かずに前に進むつもりはない。
メリッサはここで俺がこういう質問をする意図もわかっているだろうし。
みんなもそのつもりで待っているんだから。
先程俺はここまで知り合ったメリッサに失望されたら辛いとは思ったけどさ。
メリッサから見てもそれは当然同じで。
出会った当初と違って、今となってはメリッサの事も結構理解出来たつもりだし、そこの所も含めて好意も持っているんだ。
そんな気持ちを彼女に伝えると、メリッサは少し頬を染めて何度も頷いていた。
「一応、俺はこの姿に戻るんだっていう事を伝えておくよ?」
それで良かったら、の話なんだけれど。だがまあ愚問というか、ここの所で確認を取るまでも無い気がした。
さっきからメリッサの敬愛だとかを魔力反応からひしひしと感じてしまう。メリッサもまた召喚術士というか魔法使いだから魔力が強い。
しかしやっぱりという感じだ。メリッサは恋愛絡みでは精神性重視の人だったか。
「クロエ様は……出会いがあんな感じだったのに、旅の間、私が怪我しないようずっと気遣いしてくださいました。人形作りにもかなり理解を示してくださいますし……好きですよ。でも、私みたいな変なのでも本当に良いんですか?」
その返答は実質的に承諾に他ならないが。
「変なのとかさ。卑下しないで良いよ。何度も助けられてるから」
「……ありがとうございますクロエ様。わ、私はこんななので。理解して下さる方との結婚とか、かなり諦めていた部分があるのですが。え、えっと。どうしよう……そ、それがクロエ様だなんて……。わ、私は……これから先、クロエ様にだけ愛を奉げますので! 末永くよろしくお願いします!」
深々と頭を下げられた。
……そうなんだよな。メリッサはこれで、コーデリアが復帰した後も、彼女に尊敬は向けつつ「仕える相手は俺だけ」と定めて線引きだけはきちんとしていたからな。
何でも有りなように見えて実は一途だったり、愛があれば色んな障害は関係ないと言いつつ、巡り巡って内面重視に繋がったりで……色々面白い子だよ、本当。
「というわけで、早速ですが人形を弄っても良いでしょうか? 形に残しておきたい物が色々湧いてきて……ちょっと止まれません」
「んー。まあ……体を壊さない程度にね」
苦笑して答える。新しい関係上からも彼女の趣味も応援するし、なるべく好きなようにさせてあげたい。
「まずクロエ様のそのお姿を採寸したいのですが……それは色々拙そうなので結婚してからにしておきます」
メリッサは名残惜しそうに両手をわきわきとさせたが、はにかんだような笑みを浮かべると自分の部屋に飛んで帰って行った。
――と、まあ。そんな風にして彼女達との新しい関係が始まったわけだ。
ソフィーとファルナにはやっぱり正確な所が伝わらなかったが。
ソフィーは「クロエおにいちゃんのおよめさん、いいなあ」と言っていたので……憧れはあるようだ。ファルナは人間のそういう部分の機微が今一つまだよく解らないらしい。ちゃんと解るようになったら答えを出す、とは言っていた。
そんなわけであの二人に関しては「保留」というのが何ともはや。
もうね……俺はどこの光源氏なんだか。みんなの共通認識としての線引きとしては、一応この辺りまでらしい。
因みに……「この辺り」と言う部分にイシュラグアとディアストラが入っていたのが恐ろしい所だ。中々に彼女達も無茶を言う。
……あの二人は俺に対して好意的ではあるが、イシュラグアは別に人間が恋愛対象ではないようだし、ディアスは色々立場があって無理だろう。普通に考えて。
大体あの二人が俺をそこまで好きになる理由があるとも思えないしな。
物思いに耽りながら湯船でまったりしていると、隣から女の子達の話し声や物音が聞こえてきた。
男湯と女湯の間には壁があるのだが、上の方は開いてるので物音は聞こえたりする。こういう所も含めて銭湯再現である。
うむ。みんなでお風呂、か。彼女達の仲は実の姉妹みたいに良好である。寧ろ腹を割って話せる分、前より仲良くなった感じがあり大変結構な事だ。
そして向こうの話題は俺の黒い瞳が可愛いとか……そう言う内容だった。聞いていると俺の方の顔が熱くなって来るというか。一体どこの色男の事だ、それは。
……彼女達が俺の事を好きすぎる件。
むう。この話を湯船で聞き続けるのは厳しいものがあるな。
勝手にのぼせるなんて馬鹿な事をする前に風呂をあがる事にしよう。風呂場で倒れて彼女達に看病されるという失態は避けたい場面だ。
壁に男湯と女湯を繋ぐ通用口の扉もあるけれど、身内だけだから鍵も掛けられていないから。もし俺に異常があったらコーデリアが感知してすぐ助けに来るだろう。
しかしこれを家族風呂というには……内装にしろ何にしろ、やや豪華過ぎる気がする。これだけやって廃材のリサイクルで元手がかかっていないのだから。いやはや。




