74 固有魔法
「――駄目。駄目よ」
女王はかぶりを振る。
「だとしても、私の憎悪は紛れも無く本当の気持ちよ。私は――私の役割は、抱えきれない感情を受け持つこと。それから、その子がしたいと思っても出来ない事を行うというものよ。それが――私の行動原理だから」
「……誰も傷つけたくないから外に出たくないって、切り離されても思っているのに」
そこだけは。どんな彼女になろうとも譲れない一部分なのだろう。
あの電車の街並みにしろ、この滅びた都にしろ……欠けている物がある。
電車の乗客に通行人。それから廃都に転がっていたはずの、人の死体はどこに行ったんだ?
この空間で暴れてストレスを解消すると女王は言っていた。それもまた彼女の担う役割なのだろう。
人が嫌いで憎いというのなら……出せば良いじゃないか、そういう物を。
それをしないのは憎悪の感情よりも、殺してしまう事への恐怖が勝っているからだ。
だったら、ベルナデッタは立ち止まれる。
「ほ、本当の私なんて……知りもしないくせに……」
「ベルナデッタなら知ってるさ」
ずっと一緒に旅をしてきたんだ。それに女王自身が回答を口にしている。
「さっき、自分の考えている事はベルナデッタの心の内の裏返しって言ってたけど。それが全てなんだ」
ベルナデッタの考えもまた、女王の心の裏返しで。
精一杯悪を演じて見せて、それが夢を見せておく事だなんて――余りに――。
「――人間が、好き」
ベルナデッタから、そんな呟きが聞こえた。
まるで祈るように。
ベルナデッタは自身の心の内を晒す。
「ふとした時に見せる強さや……不安や恐怖に立ち向かえる勇気が、好き。互いを思いやれる……優しい人達が好き。そんなのは全部まやかしだって、泣いた事もある。まだ、私を騙した人達は憎い。でも。それでも――」
ベルナデッタの言葉と共に、世界に亀裂が走っていく。
それを――女王は頭を押さえて首を横に振って拒む。
「うるさい……うるさいッ! もう、あなた達は黙りなさいッ!」
極彩の翼が目まぐるしく色を変えると、全天を埋め尽くすように白光が辺りを包んだ。
……あれが――全部フローティングマインか。何重にも重なって――まるで光の川だ。
「これなら避けるも避けないも無いでしょう! 煌剣でも受けられないわよ!」
それは確かに無理だが。
でももう、俺も大分解って来たんだ。自分の特性っていうか何て言うかが。
ライトブリンガーとマジックミサイルを避けながら。女王の極彩の翼を見せて貰って……形に出来そうなんだ。
クローベルから預かっているサンプルもあったしな。しかし、またしても大事な局面でぶっつけ本番か。
女王の腕が振り下ろされると、一斉に光球が降下してきた。
隙間なんてない。逃げる場所もない。魔力障壁だろうがなんだろうが、女王のフローティングマインの威力を殺すのは無理だろう。
視界の限りを全て光が飲み込んで――凄まじい爆発が隔離空間に広がった。
女王は安堵の笑みを浮かべて、その爆発を見下ろす。
そして、目を見開いて――取り乱した。
きっと彼女はどこにも、俺の存在を感じられなくなったからだろう。
「な、何で!? 嘘よ! この場のルールなら、死なないはずでしょう? そんな、そんな――!」
「いや。ここにいるよ」
だからそんな誤解をして、悲しんだりしないで欲しい。
「え――」
呆然とした面持ちで、振り返る。
女王の背後を取って、俺は障壁で空中に留まっている。
俺の――手の中には球体状に展開、形成した魔力で形作った魔法陣が蟠っていた。
女王は一瞬だけ泣き出しそうな表情を見せたが、すぐに険しい顔になった。
「ど、どうして? こんな事有り得ない。私の探知の網を掻い潜って移動したなんて。テレポート……。いや、そんな術式、私が見逃すはずがない。だとしたら、その魔法は……一体?」
「いや、ね。前にベルナデッタから話を聞いた時、ちょっと不公平だなって思ってたんだよ」
「不公平ですって?」
コーデリアとベルナデッタはこっちに帰ってくる時に、同じ糸束に戻る為に七年分の「代償」を払った。それは解る。じゃあそれに巻き込まれた、俺は?
そこは返してもらわないと「帳尻が合わない」んじゃないの?
だって、俺だけ払い損じゃないか。
「まさか――」
女王の頬が引き攣った。
……すごいな。今の会話だけで気付いたりするのか。或いは気にしててくれたとか?
「時間……停止。いいえ、違うわ。間違いなくあなたは数秒間、どこにも存在していなかった。時間の流れを奪う儀式魔法は存在しているけれど、抵抗が可能な以上、私に通用するはずがない。だからと言って、世界の全てに干渉する力なんて、個人が賄える道理はない。つまり――あなたは自分に流れる時間だけ、違う方向に伸ばして――そちらへ退避した後でまた合流してきたのね? そんな……反則を――」
まだ女王と勝負の途中なので、口元で笑みを返すだけに留めておく。
しかし……そこまで詳しく解っちゃうのか。
結局俺は、反応速度が良いとか悪いとかじゃなくて、自分の時間の流れを早めたりしていただけだ。
中身を確認して欲しいとクローベルから預かったラーナの魔素結晶。あれは呪法の数々や、既存の魔法を刻印化して他人に施す為のデータが収められていた。ラーナの編み出した糸の魔術だって、その中にあった。どんな魔法をどう刻印化したらいいのかが記されていて。
それに加えて女王の翼の魔法陣である。どんな種類の魔法を発動させる為に、どんな風に魔力を動かせばいいのか。たっぷりと学習させてもらった。
クローベルやラーナの体術を再現して時間感覚を早めても、まだ手に余る女王の猛攻を凌ぐ為の――極度の集中があったからこそ、見えてきたものもある。
これらが揃って……ようやくその究極を形にする事が出来た。
掌の上に浮かぶ球体状に展開した魔法陣がそれだ。
弾けて、新しい断章カードになった。
どうやら――新しい固有魔法になってしまったらしい。名前を付けるのは俺か。
エクストラ ランク?? クロックワーク
『時は誰にも等しく平等である』
……原理は女王が言った通りだ。時間の貯金があるから作れる。固有魔法である以上は……俺にこういう特性が定着してしまったと言うべきか。
別の時間の流れを作って、その中で行動が可能というわけだ。
通常の時間を川の流れに例えるなら……一人だけ川岸に上がって行動出来るようなもの。
数秒先の未来まで迂回してから川の流れへ合流したり、川岸に待機してから好きな時に同じ地点に合流したりだとか。さっきの使い方は前者の「迂回」の方だ。
周囲から見れば、俺が一時的に世界から消失したり、時間停止を行っているのと変わらないだろう。
実際は他からは認識も干渉も出来ない時間の中にいるだけで、その場からいなくなっているわけじゃない。但し、こっちからは川岸から川の中を認識し、干渉する事が出来る。確かに、女王の言うとおり、反則だな。
身体だけでなく衣服やらも引き込んでいる。つまり触れている物を「こっちの時間」に引っ張り込む事も出来るという事だ。その分貯金は多く使ってしまうが。
しかし大体七年分の貯金、か。「引き落とす」だけでなく、「預ける」事も出来れば良いんだけどな。何か手があれば良いんだが、無くてもどうにでもなる。言うまでも無く、戦闘で使うには十分過ぎるほどに膨大な資産だからだ。
「これでも、まだ足りないか? ベルナデッタを止めるには」
「……たった七年でしょう。普通に生きていたら、私やあなたが死ぬまでにきっと使い切るわ」
使い切るまで今のままだなんて思っているのか?
だとしたら、甘い。甘すぎる。
「それまで放っておくなんて、思ってるの? ベルナデッタは人間の嫌な部分は嫌っても、関係のない個人にまで責任を求めてないだろ。一度親しくなった人や、その人の肉親や友達を……ベルナデッタが傷付けられるなんて、俺にはどうしても思えないんだ」
さっきの、狼狽ぶりからしてもな。
沢山の人との繋がりや関わりが出来てしまえば、それはベルナデッタにとっても大切なものになっていくのだから。そこに混ざってくる悪意のある者からは、感情の見える俺がきっちりガードしてやるさ。
女王の頬に、涙が伝う。
「それでも……安心、したいの」
彼女は首を横に振り、言う。
「私が憎しみに囚われて暴れても、簡単に止めてくれる人がいるんだって。私なんか簡単に倒せるんだって、その力で証明して見せて。煌剣を、使っても良いから……」
「翼と枷を――切り落としてあげて。それで終わるから」
「……解った。断章解放。『煌剣オクシディウス』」
俺の手の中に現れた王族殺しの剣を見て――女王が怯えたように身を竦めた。
……だよな。この剣は彼女にとって自分の死の象徴みたいなもの。覚悟してたって、死ぬのが怖くないはずがないんだ。
だから何度だって。はっきりと言ってやる。
「……俺はベルナデッタを、この剣で傷付けない」
銀の女王だって、間違いなくベルナデッタなんだから。
俺が確固たる意志を持ってオクシディウスを統率する限り、この剣は決してベルナデッタを傷付けない。
「ありがとう、黒衛――」
女王は目を閉じると微笑んで、その翼に魔力を通す。
どんな魔法を発動させるのか知らないが……今まで以上の魔力が集中している。全力全開を真っ向からブチ破るぐらいじゃなきゃダメって事か。要求するハードルが高過ぎる。
ま、ベルナデッタが望むのならやってみせるけどな。
こちらも手の中に魔法陣を作った。処理速度自体だって加速している。球体魔法陣が回転して、女王の魔法成立よりも先にクロックワークを発動させた。
自分以外の何もかもが停止した中を、空中を蹴って飛ぶ。
すれ違いざま、凍り付いて動かなくなった彼女の、魔力翼に刃を通す。続けて彼女を縛る黒い靄――枷も切り裂いた。
発動から終了まで、僅か数秒。
通常の時間の中では瞬き一つの暇もありはしない。元の時間に合流した瞬間、剣を振り切った俺の背後で彼女の翼が断ち切られて四散した。
斬ったのは、魔力の翼。それから彼女の意志を縛る枷。それだけだ。それ以外の物には一切手を付けていない。
突然翼を斬られたからか、枷から解放されたからかは解らないが……女王が意識を失って、落下していく。慌てて追いかけて彼女を抱きとめた。
見れば、共鳴によるものかベルナデッタも意識を失っているようだ。彼女の所まで女王を連れて行く。
大丈夫なのかと心配にもなったが……二人とも、とても穏やかな寝顔だった。
……良かった。ほんと良かった。オクシディウスもちゃんと制御出来たようだし。
景色が砕け、剥がれ落ちていく。
それは彼女の。深淵部からの、心の解放に他ならない。
これで。これでベルナデッタは――。
「――っ!」
いや、まだだ。異常な魔力の反応を感知した。
「なん、だ?」
黒い――靄のような物が集まっていく。あれは――。
切り離した枷が核になって……四散した翼の魔力を集めて、る?
……了解。大体把握した。
あれは後付けの脅迫観念みたいなものだ。自意識と呼べるほどのものではないだろうが、魔力を制御する核のようになってもおかしくはない。
更にベルナデッタから切り離された事で、自身の存在意義を何とか全うしようと足掻いているのだろう。切り離すという繊細な作業であった為に女王に影響を与えないよう、情報毒を流し込まなかったから破壊に至らなかった。
ベルナデッタの心を囚えてグリモワールに留めおく……アルベリアの貴族どもの意志を代弁するもの。正直、存在しているだけで不愉快だ。
黒い靄はとうとう獣の姿を取ると地面に降り立った。真っ黒な身体に、胴体部まで裂けた口。巨大だが全体的には狼のようなフォルムだ。
だが、目がない。代わりに、本来目があるべき場所に口が付いていて、何やらぶつぶつと唱えている。
それは……守れ守れ、とひたすら壊れたレコーダーのように繰り返しているだけのようだ。聞くに堪えない。
鼻の辺りをひくつかせて、ベルナデッタの方へ向き直る。
感じる魔力は――女王の翼を集めたにしては、それほどでもない。体を形成する為に、かなりの力を消費してしまったようだ。
つまり――それほど大した敵じゃない。赤晶竜にもまだ全然及ばない程度だろう。
だが……女王との連戦は流石に厳しい。
立ち上がろうとするも、眩暈を感じた。
――クロックワークの燃費が、滅茶苦茶に悪いのだ。
周囲から魔力を集めようにも、既に枷の方にかき集められてしまっている。
……これは、拙いな。
恐らく奴は自分の存在意義からしてベルナデッタを狙ってくるだろう。
どうするか手立てを考えないと。
煌剣で切りつける程度は出来そうだから……カウンターで一撃必殺を狙うのが正解、か?
回避に余計な魔力を使えないし煌剣を発動させて外したら後が無いから、厳しい状況ではあるが。
――とも思ったが。
どうやら、その必要も無さそうだ。
この胸に感じる共鳴が、彼女がすぐ近くまで降りて来ている事を教えてくれている。
そうさ。ベルナデッタも。俺も、一人じゃない。
枷の獣は突進の構えを見せているが……こちらは一回凌げれば事足りるって事だ。
煌剣でハイリスクハイリターンを狙う必要は、全くない。枷の獣が迫ってくる。まだ煌剣の間合いの外だから、全くの無警戒。そこに――。
「下がれ。もうお呼びじゃないんだ」
掌底で吹っ飛ばすように。魔力の塊で作った弾丸を叩き込んでやった。
きっちりと地面を蹴って身体が浮いた瞬間を狙っている。
身体ごと飛ばされて、枷の獣が転がる。
……まあまあの威力だ。気軽に使える牽制としては十分な性能と言える。
すぐ立ち上がってくるが、そこで時間切れである。
彼女達が、水底に辿り着いたからだ。




