67 コーデリアの帰還
ベルナデッタの協力により庭園からは意識体で出てこれるわけだが。
よく考えるとコーデリアが二人でも片方が意識体であるなら余人から見えない状態になっているので変身しなくても問題なかったりする。
けれど現在、私はわざわざカモフラージュを使ってティリアになった状態で外に出ている。というか私が意識体で外に出るなら、カモフラージュを使うのは必須だ。
これを使わないと私の意識体の容姿は庭園の中と同じようにコーデリアと黒衛の間でふらふらしてしまって安定しない。自分の心の形や揺れ方が見えてしまうようで、余り多くの人目に晒したいとは思わない。特にクローベルには、黒衛なら黒衛の姿をちゃんと見せたいと思う。
そこでカモフラージュを使うわけだ。認識をティリアに固定する事でコーデリアからの共鳴を若干抑える働きも期待できるようだし。
因みに意識体は認識に作用するカモフラージュの効果はちゃんとあるが、肉体がないのでメタモルフォーゼでは意味がない。
ベルナデッタは庭園に戻っていき、コーデリア、クローベル、メリッサ、ファルナに、私のティリア風意識体というメンバーでの移動になった。
流石にモンスターは大っぴらに連れて歩けないし、意識体は他の人から見えていないが……人目を惹く一団であるのは言うまでもない。
ファルナを連れているのは見た目がどうこうと言うより、実際に人々の営みを見てもらいたいと思ったわけである。街中を歩きながら、興味深そうにあちこちに忙しなく視線を動かしていた。
「クロエ。あれは何?」
ファルナは鼻をひくつかせると、屋台の方を指差して私に聞いてきた。
「あれは屋台。物を売ってお金を得る」
「お金はモノのカチがカシカ出来る所が素晴らしいんだってラーナが言ってた」
「まあ……解りやすくはなるね」
私にはラーナの価値観がよく解らない。ファルナはラーナの言葉がよく解っていないだろうけれど。
「屋台。良いにおいがする」
串焼きの屋台だ。確かに食欲をそそる匂いを漂わせてはいるが。ファルナはきらきらした目で屋台を眺めながら歩いている。歩みが進むにつれて首の角度も屋台に合わせて後ろに……こらこらこら! 人間の首の関節は普通それ以上曲がらないから!
クリティカルな光景が展開する前に、慌ててファルナの首の向きを変えさせた。
こんな調子で常識がないというか中身がまだまだ竜というか。これは目が離せない。
「買って来ましょうか?」
「ごめん。お願い」
クローベルの申し出に私は頷いた。
私は意識体なので買い物も出来ない。その代わり庭園でなら情報再現でやりたい放題なわけだが。
「はいどうぞ」
クローベルが買って来た串焼きを受け取ったファルナは――。
「あー。人間の口と歯で食べるように。それから、買ってきてもらったんだから、クローベルにお礼を言う事」
ファルナが半分ほど口を開きかけた時点で釘を刺しておく。
振り返ったファルナの口元に鋭い牙が覗いていたが……「解せぬ」という感じで首を傾げると尖った牙の先端が引っ込んでいった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
クローベルは苦笑した。言われた事は聞く辺り、素直ではあるんだよな。
「人間の舌で人間の食べ物を食べるから美味しく感じるんだよ」
「ん。なるほど」
納得したらしい。
小さな口で串焼きを齧っていたが頷いて、言う。
「ほんとだ」
まあ、ファルナの特性上そうだろうなとは思ったけれど。
当然、人間の姿を取らせたら心だって人間の物に準じてもおかしくはない。
赤晶竜や海煌竜は本能という形で行動原理を条件付けする事でレリオスの都合の良いように動かしていたようだし。モルギアナも元々はそうだったのだろうけれど。
口の周りに付いたソースをクローベルに拭ってもらう姿は普通に子供のものなんだが。
因みにラーナの剣はファルナが今も大事に抱えている。
抜身でぶら下げているのも何なので、意識体になる前に鞘を作ってファルナに渡した。しっかり握っているので、無くさないよう首から提げられる形にしたが、何分無表情だから気に入ってくれているかどうかはよく解らない。
ファルナは女の子なのでシルターの花を模した装飾が付いているのがポイントであるが……まあこういう地道なアピールが情操教育に繋がると信じよう。
コーデリアは――センテメロスをゆっくりと歩きながら懐かしそうに時折視線を巡らして、目を細めて懐かしそうに街角の空気を感じていた。
それからみんなと嬉しそうに言葉を交わしている。話題はやっぱり私の事や空白の七年の話になってしまうようだ。
「私は……お兄様の事を夢で見て、お兄様の住んでいる場所も……ぼんやりとは知っていたの。どこか海の向こうに、とても凄い魔法の国があるんだ、なんて思ってたのよ。小さな頃は、お城の中と城下町だけが、私の知っているものの全てだったから」
コーデリアは少し気恥ずかしそうに言った。
それは本当に曖昧なものだったはずだが……日本の光景は余りにもコーデリアにとっては異質だったから、私よりは強く彼女の意識と無意識の境界部分に焼き付いたのだろう。
私の方も幼い頃にセンテメロスの夢を見ているのかも知れないが――日本ではそういうファンタジーな世界もそれ程珍しくも無いので、説明が付けられてしまう分、コーデリア側ほど強烈な印象は残らなかった。
ただ、私のファンタジー好きはそこから来ている部分は多々あるだろうな。
で、コーデリアは夢で見る魔道具の数々がトーランドにもあったら便利だと、ベリウス老に魔法を習ったりしたわけだ。
その辺り……コーデリアと共鳴すると記憶も蘇って来るからな。ベリウス老に習った魔法の知識がもっと早い段階でフラッシュバックしていたら色々役立っただろうに。
まあ夢に見たとしてもはっきりと覚えていられるものでもなかったから、トーランドに地球産技術が流入すると言う事も、地球にいる私が魔法を使えるなんて事も起きなかったけれど、無意識的な発想はお互いに引き摺られている部分はあったようだ。
「そんなにその日本という国は、凄いのですか?」
メリッサに聞かれて私は腕を組んだ。
「えーと。馬車の何倍もの速度で走る乗り物とか、食べ物を冷やして保存しておける箱とかがどこの家庭にも割と普通にあったりする。魔法と違って使い方を知っていて燃料があれば誰でも使えるよ。その代わり、魔法がないからメリッサのオートマトンみたいな物は存在してないな。似たような物を作ろうとはしているけれどね」
オートマトンぐらい滑らかに動ける人型ロボットも、いずれ実現するのかも知れない。
「あっちに行った時は――驚いたわ」
ベルナデッタも相当驚いていたんだとコーデリアは言うが、二人の驚きの意味合いはやや違う。
ベルナデッタは見たまま。高層ビルが立ち並び、自動車が舗装された道を走るその光景に何の冗談かと思ったようだが、コーデリアにとって日本の光景は……彼女の心の奥底で既に存在していたものではある。
ベルナデッタが繋ぐ為に作った情報ではなく、彼女の生の感情を揺さぶってくる、記憶――。
「それではクロエ様と最初にお会いなさった時も、相当驚かれたのでは?」
「ううん。初めてお兄様を見た時は驚きじゃなくて――納得だったのよ」
コーデリアは魂を切られたその状態であっても、私の事が他人だとは思えなかったのだ。
昔から知っているように思えたし、事実知っていた。父親や母親に感じるような、安心感があったみたいだ。
だから……彼女にとって俺は兄のような存在、か。
そうこうしている内に街を抜けて、私達は城に続く山道に辿り着いた。
コーデリアの口数は少なくなっている。山の上から見える街の景色に目を奪われているようだ。
センテメロスの夕暮れ。オレンジ色に染まった街並みと海は溜息が出る程に――本当に綺麗だ。
「ただいま戻りました」
「おお、戻ったかコーデリア! んん?」
「あら。コーデリアが二人? 片方はメリッサちゃんのお人形さんかしら?」
王城に帰ってくるとフェリクスとシャーロットの所に来るように言伝を受けた。
ギルドとの捕獲作戦を敢行した後なので二人とも心配していたらしいが、コーデリアとティリアが一緒にいるので不思議そうな顔をしている。
クローベルはファルナにせがまれて練兵場に行ってしまった。ラーナの技がファルナは好きなのだそうな。出来れば自分も同じような動きをして見たいと言っていた。多分、クローベルにソフィー共々指導を受けている事だろう。
メリッサは人形の修繕が忙しいからと部屋に行き、ベルナデッタは私の意識体がフェリクス達から見えるように調整してくれると、庭園にいるからと言い残して戻って行った。
まあ、みんな要するに席を外してくれたわけだ。私が残ったのは……ちゃんとコーデリアが帰って来た事を二人に認識してもらう為だ。
つまり、コーデリア本人を二人にきちんと迎えてもらう為に、どうしても必要な事なのである。私が私自身の事を説明する事も含めなければコーデリアの帰郷にならないだろうと、そう思う。
「いえ、お父様、お母様。お二人にとても大事なお話があるのです」
コーデリアは、泣き出さないように口を横に引き結ぶようにして。
二人に語り始める。
私は――旅の話を二人にはあまり語って聞かせなかった。
コーデリアが二人に語って聞かせたい事だろうと思っていたから。その役割は、俺がする事じゃない。
それは世界をも跨いだ彼女の長い長い旅の話。
「数奇な……旅だな……」
話を聞き終えたフェリクスは眉を顰めて天を仰いだ。それから目を開くと、コーデリアの髪を優しく撫でる。
「……今は、大丈夫なのか? その魂の傷は……痛んだりはせぬのか?」
コーデリアは首を横に振って微笑んだ。その目には涙が浮かんでいる。
「大丈夫です。お父様。私の大切な思い出も、みんなとの絆も……全部、黒衛お兄様が守って下さいました」
コーデリアの――強い感情が、響く。
カモフラージュ程度で抑えられるはずもない。
彼女からの共鳴と、私達のトーランドまで至る旅と。
それらの感情や記憶がごちゃ混ぜになって視界が、滲む。
「とても、不思議だわ――」
シャーロットが私を見つめて、言う。
「この子はここにいるのに……あなたにもコーデリアを感じるの。そういう、事……コーデリアは、あなたの中にもいるのね?」
私に触れようとしてすり抜けてしまう事に、彼女は悲しそうな顔をした。
「はい。シャーロット様。コーデリアは、確かにここにいます」
いつぞやのように、私は私の胸に触れる。今度こそ。その意味は正確に二人に伝わったはずだ。
シャーロットは私を包むように……触れられなくても抱きしめようとしてくれる。
「ありがとう、クロエ。私達の娘を――護ってくれて」
「余も……国王として、父として。クロエ、そなたに礼を言わねばなるまいな」
コーデリアは、もう言葉も無く両親に抱きしめられたまま泣いていた。
こうして。
コーデリアは、ようやくトーランドに。生まれ育った家に帰って来れたのだった。




