57 招かれざる客
いやあ、失敗失敗。
他人の肉体をジャックする魔法と言っても、こんな身体機能を全部出し切るような魔法じゃないはずなんだ。
抵抗しやすい部類の魔法なので、普通はすぐに解けるし、特に戦闘中など、余程無防備な相手か格下にしか効かない。長時間無抵抗でボディジャックにかかり続けるという状況がまず普通じゃ有り得ない。
さっきの場合、自分で自分に魔法をかけているんだから抵抗なんかしなかったし、私の魔力制御能力が高いというのも問題だったのだろう。
従って、身体への負担をあまり考えてなかった。習得してすぐ使ったからアレンジもしなかった。痛覚がカットされて関節、骨格、筋肉への負担に気付かなかったと言うか。
結果、感覚が戻った途端大ダメージである。慌てて駆け寄って来たクローベルに体を抱えられる。
「なんて無茶な事をするんですか……!」
と、涙目になったクローベルに怒られてしまった。むう。他のみんなも種明かししたら心無しか見る目が厳しい。
ごめん。確かに迂闊だった。
ここは素直に頭を下げておこう。
ヒールを何回かかけていると、痛みも引いてきた。
……何となくインスタントなトレーニングが出来るんじゃないかという気もするが……。後でベルナデッタに相談してみよう。こっちの世界に超回復の概念があるとも思えないし。
時間的な余裕があれば筋肉を鍛えるのも有りだとは思うんだけどね。半端な鍛錬でどうにかなる問題でもないし、マッチョ姫とかコーデリアの評判にも関わるしな……。
改めて見ると問題山積みである。うーん。だけどなあ。着眼点は悪くなかったと思うんだ。あのフリーダムな動きは正直魅力的だ。
術式をちょっと弄って……痛覚は残して、安全マージンも充分取って……そうすれば実用に耐えると思うのだけれど、どうだろうか。
などと考えていたらクローベルにジト目で見られた。
「もうあんな無茶な魔法の使い方は……と止めても、お使いになるんでしょうね……」
「ごめん。必要になったら使う、かも」
「でしたら、まず日常生活の中でお使いになるのをお勧めします」
ああ。それはいいアイデアだな。
常時使っていれば魔力制御のいい練習にもなるし、微妙な匙加減も身に付く。関節の可動域も組織を傷めないギリギリのラインを見極める事が出来るようになるだろう。
早い所上手く運用出来るようになって、みんなに心配かけないようにしないといけない。
そんな訳で、ボディジャックの扱いに慣れる為、なるべく多くの時間、自分自身を操縦して過ごす事に決めた。
ちょっとした動作、表情などまで自分で操作しなきゃいけないので、中々に大変である。理想というか目標は、意識せずに普段通りの動作が出来る所まで操作精度を引き上げる事だ。
私の自室は後宮にある。お城の内部としては比較的地味な部類ではあるかな。
鏡台、椅子、机、花瓶、天蓋付の寝台に本棚等々……一々装飾の細かい高級そうな家具類も、それでもまだ落ち着いたデザインで統一されている事は解る。照明はシャンデリアだけど……。
壁の一面は窓になっていて、部屋の中はとても明るい。テラスからは中庭と崖側の景色が一望出来る。
隣には使用人の控室があって、何か用がある時は呼べば部屋の隅の扉から直通で入って来れる仕様になっている。
ただ、これだけ豪華でありながら落ち着けないかと言うとそんな事はなく、コーデリアが元々暮らしていた部屋なので私もすぐに馴染んだ。
私は机に向かい、ベリウス老の所から借りて来た魔道書などを読んだり、その中で気になった部分をメモしたりなどしている。それらの作業にしろ、食事に着替えに入浴にしろ、全部修行だ。
現在進行形でボディジャックの練習中なのである。
あれから一週間。様々な動作をボディジャックのままで行ったり、術式の方を弄って色んな動作をプログラムによる自動操縦で行ってみたりと、実験している毎日である。
そのおかげで王族でありながら「身の回りの事は自分でやる」という大義名分を得ている私としては、着替えや入浴時に心苦しい気持ちにならなくて済むというメリットもある。
しかし体面上、侍女はいなくてはならないそうなので、クローベルとメリッサが、私付きの侍女扱いである。
これは私が望んだものであるが……いや、別にクローベルのメイド姿が見たかったとかではない。ないよ?
身の回りの世話にしろ何にしろ、事情を分かっている相手がいてくれると気が休まるからだ。
いや……メリッサは逆効果な時が偶にあるけれど……。
とにかくフェリクスやシャーロットにしても、私の身を守れる人材であった方が安心するらしいので、彼女達を側に置く事に異を唱えられたりはしなかった。
別にクローベルのメイド姿が見れて喜んだりは……してます。さーせん。
フリルのヘッドセットにパフスリーブのエプロンドレスが良く似合っている。露出の少ない実用性重視な本職メイド服ではあるが、だからこそクローベルには似合うのだろう。
まあ何着ても似合うけどね! あまり観察しているとクローベルに怒られてしまうので程々にして置かなければならないのだが。
分身退治の方はどうなったのかと言えば……フェリクスがあちこちに使者を飛ばして情報提供を呼びかけてくれると言う事らしい。魔竜絡みの事だけに、各国もある程度協力をしてくれるだろう。
私があっちこっちと旅をして回る必要は薄くなったので、こうして城に留まっていられるという事情もあるのだ。
ネフテレカから旅立ったはずのジョナスとグラントは時々連絡を取り合っているが、まだ珍しい竜を見つけたという報告は来ていない。
トーランドからも使者を出したから、各国が対応してくれたらディアスにも話を通して帰還して貰ってもいいかも知れないな。あまりあの二人にばかり迷惑をかけても悪いし。
そんな事を考えていたら、ジョナス君の方から通信が入った。
噂をすれば影、という奴だろうか。
「消えた……のですか?」
「ええ。蒼氷竜イシュレナという竜なのですがね」
ジョナス君が言うには、ここ数年に渡ってティアンナ湖という大きな湖を領地にしていた竜が、突然消えたらしい。蒼氷竜が湖にやって来た時期は赤晶竜が現れた時期と一致する。
「突然凍結していた湖一帯の冷気が引いたらしいのです。調査隊を派遣し……竜がいなくなった事を確認した、と」
「その後は?」
「目撃情報はありません。本当に忽然と姿を消した、と」
飛んでいった所を見た者は誰もいない。だから、消えた、と。
そうジョナスは言った。
時期的には、私達がリグバトスの所に向けて航海している最中。
真っ先に思い浮かぶのは、レリオスがまた意識体を作るのに分身を潰した可能性だ。
しかし、何の為に? 首を捻っていたらまた通信が入った。
「あれ?」
「どうなさいました?」
「キャッチホン?」
「キャッチ……何です?」
とりあえずグループ通話に切り替えよう。ジョナスの隣にグラントの姿が浮かんだ。ジョナス君が細い目を更に細くして水晶球を覗き込んでいるのが解った。
「お久しぶりですコーデリア殿下。愚妹はどうしていますか?」
「ええ。元気ですよ。呼びましょうか?」
「いえ、それには及びません」
それでも真っ先に妹さんの事を聞く辺り良いお兄さんだと思う。彼自身は認めない気がするが。
グラントは澄ました顔で単刀直入に用件を切り出した。
「魔竜の分身と思しき竜の話を聞く事が出来ました。ですが……」
「もしかして消えた、とか?」
「おや。よくお分かりで」
「ちょうど今、そんな話をしていたところですので」
私がそう言うと、グラントの視線が多分私の隣に映し出されているであろうジョナスの方に動いた。
「消えた竜についても情報をまとめてあります。幻楼竜モルギアナ。一夜にして迷宮を作り上げた黒い竜……と言う話……なんですがね。突然、その迷宮ごと消えたそうですよ。もっとも俺としては……幻を操る竜なら本当に消えたかどうか解ったもんじゃないって思ってますが」
消えた時期は私が海煌竜を倒した後、か。
……何をする気だ? レリオスが直接攻めてくる、とか?
いや、まさかな。そんな事が出来るなら、とっくに封印を解いているだろうし。
分身達では封印を解くのが無理だから地脈を弄らせて、なんて迂遠な方法を取ってるのだし。
「ありがとう、お二人とも。消えた竜の特徴を調べておいていただけると助かります。ですが、十分お気をつけて」
「かしこまりました、コーデリア殿下」
「ではこちらもまた詳しい事が解りましたらご連絡致します」
「よしなに」
二人との通信はそれで終わった。
……最初の一匹は多分、レリオスの意識体を作る為に潰された。
その次はレリオスの策。そこから先は不明。
各国への使いは、今からじゃ間に合わないな。現時点で後手に回っている気がしなくもない。こっちとしては受け身にならざるを得ないのが面倒な所だが。
しかしほんと。次から次へと分身を使い潰すな、あいつは。まともな情が無いのは解ってた事だけどさ……。
それを差し引いても、自分の手駒がどんどん少なくなるだろうに何を考えているんだか。
あまり合理的な思考では動いていないように思えるから、こっちとしても予想がしにくく、対策を立てにくい部分がある。
それでも思考放棄するわけにはいかないだろう。予想されうる行動としては……トーランドに攻めて来る、とか?
……あいつの破滅を嗜好する部分からして、勝ちとか負けとかどうでもいいから嫌がらせの為だけにトーランドに分身を突っ込ませてくるとか……。如何にもやりそうではあるが……。
私としては竜という解りやすい目標が存在しているよりも、やりにくくて仕方がない。
結局ボディジャックの修練を積みながら待つしかないわけか。
ああ、何だか行き詰っているな。
ふと窓の外に視線を移す。
青い海が私を呼んでいる……ような気がした。
どうせなら、コーデリアもやった事のない事をしようじゃないか。……よーし。
「ねえ、二人とも」
「何でしょうか?」
私が隣室に呼びかけると、クローベルとメリッサが顔を見せた。
「ちょっとお城の外まで遊びに行かない?」
カモフラージュをしてティリアになる。
クローベルはいつものフード姿。メリッサは例によって魔女スタイルに着替え、馬車に乗って。
何食わぬ顔で外出をする事にした。
お城にはコーデリア人形を残して来てあるのでアリバイ工作も完璧である。コーデリア人形はベッドでお昼寝中だ。疲れて眠っているから起こさないで、と他の使用人に言伝を頼み、外出である。
メリッサが近くにいないと細やかなアドリブが利かないので、本当に熟睡してる演技しかしないのだが……。それを差し引いてもオートマトンはほんとに便利だ。
バレた時はバレた時だ。今まで旅の空にあった私が、いきなりお城に篭りきりになって、ストレスが溜まったと言う事で押し通らせてもらおう。
いや、別にただ遊びに行くだけじゃないんだ。ボディジャックの練習ですって。ほんとほんと。
予想通りにというか、あんまり自由がなくてストレスが溜まってたのは事実だけど。
というか、ティリアの格好をしていても貴族や騎士から次々求婚されたのは正直うんざりした。まあ……心に決めた人がいるのでと、さりげなく本音を言いながら躱すだけなんだが。
どうも有能な魔法使いや召喚術士は、結婚相手としてはかなりの優良物件らしい。子供にも魔法の才能があると、魔法教育の環境にも士官にも困らないし出世もするので、家にとってプラスと言う事らしく。
要するにティリアが練兵場でやり過ぎたって事だ。あーあ。
……打算ありありで求婚してきた割には、断った時にガチ凹みしていたのが気になるけれど、余り深く考えないのが吉だと私の予感は告げている。
城から町に向かう途中で馬車を断章に戻して、私達は町へと繰り出した。
目的地は――旧市街である。
水没していないエリアも存在しているのだけれど、そっちは普通の遺跡と言う感じなので、あんまり用はない。コーデリアも見に行った事がある。当然私の用があるのは、水没している方だ。
センテメロス完全制覇をするべく、私達は旧市街中心部までボートで漕ぎだし、エリールとスミスを呼び出して海中散歩と洒落込む事にした。
旧市街の大通りに降り立ち、海の底に広がる光景に私達は言葉を失った。
マリンブルーに染まった石作りの街並み。街の中を泳ぐ、魚の群れ。
ずっと昔の建物だから……今のセンテメロスの建物と随分趣が違うな。
「昔の街並みが……そのまま残ってるんですね」
「そうだね。でも脆くなってる可能性もあるから、建物の中は入らない方がいいかも」
クローベルも感慨深そうに呟き、忙しなく視線を巡らしている。
「私、色々な所を旅してきましたけど、海の中にある遺跡を歩くとか、流石に想像もしていなかったですよ」
「面白いな。陸上の建物がそのまま海の中、というのは」
海底遺跡はメリッサとエリールにも珍しいものだったらしい。
うん。企画して良かった。海底遺跡とかロマン擽られる光景である。地球でも観光スポットになっちゃうぐらいには珍しい光景だろう。私はボディジャックの練習がてらなので、散歩だけではなく、時々泳いだりもした。
「陸上の生き物としては理に適った泳ぎ方をするものだな。流石は我らが主だ」
と、エリールに言われたが……ごめん。クロールもバタフライも私が考えたわけじゃないので……。あと魔法掛かってるからまともに息継ぎとかしてないしさ。
そんな感じで海底遺跡を堪能してから、お城に戻った。
「ぬっがああああああああああああっ!」
私の部屋に戻ってきて、その光景を目にした途端、メリッサが頭を抱えて奇声を上げた。私もクローベルも絶句した。
オートマトンは言いつけ通りお昼寝モードだったのだが……その胸にナイフが突き立てられていたのだった。傍から見ると私が惨殺されているような有様だ。
うっわあ……。ブラックメタルのナイフだよ。これ完全に対魔術師用の武器だな。
それでも呪いによるダメージ反射はきっちり仕事をしたらしく、ベッドに血痕が残されていた。かなりの出血だったようだが、下手人の姿はない。血痕は点々とテラスの方へと続いている。
人払いを頼んでいたので、まだ誰にも見つかっていないようだが……。
「何て罰当たりなことをおおおおおおおおっ! 折角! 折角直したのに! きいいいいいいあああああああああ!」
……どうしようね。これ。色んな意味で。




