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43 笑う狂王

「まっ、挨拶の仕方なんてどうでもいいか」


 さっきから、紋章が明滅を止めない。

 こいつ。つまりこいつは。

 芝居がかった調子で男は両腕を横に広げて、言う。


「僕の名はレリオス。レリオス・ルゾム・アルベリア」


 ああ――やはり。

 誰に似ているって。ベルナデッタに少しだけ似ているんだ。

 あの、銀色の髪。赤い瞳。

 ベルナデッタと同じ銀の髪と赤の瞳。けれど顔は笑っているというのに受ける印象は、まるで違う。

 彼の浮かべるそれが、どこか異質な笑顔だからだ。

 何がどう普通と違うのか良く解らないが、相容れないと強く感じる。


 けれどそれでも半分だ。似ているのはベルナデッタにだけではない。

 私はそれをきっと知っている。私が知らなくても私の内側にある物が教えてくれている。だって、こいつは。

 レリオスは笑顔のままで口にした。


「君達には――魔竜と言った方が通りが良いんだろうね」


 決定的な言葉を。

 口にし終わる前にクローベルの一閃がレリオスの首を薙いでいた。


「ク、クローベル様? 一体何を……!?」


 メリッサはそこで初めて目を丸くしていた。

 この状況に対しての反応としては違和感があるな。通行人に対して突然凶刃を振るったというような受け取り方をしたようには見えない。

 ……もしかして、メリッサにはレリオスが見えていない、のか?

 じゃあこのレリオスは。


「ははっ――」


 レリオスが笑う。今しがた斬られたばかりの首に手をやって。

 クローベルは平然と立っているレリオスを睨みつけている。


「いや、残念。素晴らしい一撃だったけれど意味がないんだ。この意識体(からだ)じゃあね。お互い話しか出来ない。もっとも……僕の本体はちゃんと封印されてるから安心していい。僕が望まない限り君達以外には見えないし聞こえもしないから、あんまり切った張ったしてると変に思われるぜ? ほら。そっちの赤毛のお嬢さんは戸惑っているじゃないか」


 なるほど、な。メリッサにどうやって説明しようかと思っていたら、ベルナデッタからメールが届いた。


『その子の回線(・・)は許可さえ貰えれば私が繋いであげるけれど? 後、私が外に出る許可も頼んでもいい?』


 勿論両方とも「許可」だ。

 レリオスは携帯電話を持つ私を、興味津々と言った様子で見ている。


「――相変わらず、嫌な顔ねレリオス」


 音もなく、ベルナデッタが私の横に立っていた。こっちも意識体って奴だろうか。回線を繋がれたメリッサには突然二人が現れたように見えるのだろう。ベルナデッタとレリオスを驚いたような表情で交互に見ている。


「あっちが魔竜の……正体かな。こっちの子がグリモワールを作った子」

「は……」


 解説してやるとメリッサの顎が落ちた。


「正体と言うのは少し違うよ。戯れに昔の姿を取っただけ、と言ってほしいね」


 レリオスからの訂正が入った。どうでもいい。聞いてない。


「どうやって封印を抜けて来たの? 意識体の維持って結構エネルギー使うでしょう? 封印越し、しかも遠隔でだなんて」

「ちょっと勿体ないけど欠片を一つ潰して、ね。見透かしたように二重に封印されてるんだから困ったもんだよね」

「へえ。で、何しに?」

「いやあ、イグニッド負けちゃったし。計画を台無しにされたら誰がやったのか気になるだろ? 聞いてみれば行方不明になっていたはずのコーデリア姫だと言うじゃないか。だから……ネフテレカからはまずトーランドに向かうんじゃないかって、リグバトスを配置した上で、この町で待ってたのさ」


 顔を見る為に待っていたとでも言うつもりだろうか。

 そんな事あるはずがない。

 海煌竜をこっちに呼んだのもこいつか。本当にロクな事をしないな。


「お前、元は人間なんだよな」

「そうだよ。それが何か?」

「何の為にこんな事をしてるんだ? アルベリアを滅しただけじゃ、足りなかったのか?」


 レリオスは笑みを一層深くした。


「足りないんじゃないかな、多分。魔竜になってからは……僕の封印解いた奴、あいつ何て言ったっけ? あいつにそう望まれたからさ。僕としても今の僕に相応しい願いだし、期待に応えなきゃ嘘だよねえ」

「……アウグストか」

「そうそう、そいつ」


 魔術師アウグスト・ブラントス。学連を追われた異端の魔術師。

 だがそいつも死んでいると言うのに。多分だとか望まれたとか。


「お前の意志はどこにあるんだ?」

「……コーデリア姫は口が悪いなぁ。トーランドってどんな教育してるの?」


 ほっとけ。さっきから気分の悪いのが抜けないからカモフラージュのせいかどうかを確かめているだけだし、レリオスがこっちの状態を解っていてとぼけてるのか、探りを入れてるだけだ。

 睨みつけてやるとレリオスは頭を掻いた。


「負けて閉じ込められてる僕の事なんて、今更どうでも良くない? 君のやり口聞いたけど、飛べなくしてからボコボコにしたとか? 分身達じゃ勝ち目ないでしょ? どんな術式使ったの?」


 答えるつもりはない、か。今の言葉だってどこまで本気なんだか。


「……聞いたとか術式が解らないとか、案外何も把握してないんだな」

「そりゃ仕方ない。イグニッドが滅ぼされなければ眠っているだけで僕も外に出られたはずだし。ねえ、コーデリア。僕は君に、一つだけ聞きたい事があるんだ」


 レリオスの表情から、笑みが消えた。これが……本命か?


「何で封印されてる僕を殺しに来ないんだ?」


 何……?


「そんな不思議な事言ってるかな? 何もおかしくないだろ。封印だとか、まどろっこしくない? 七年前のあの日なら余裕が無かったのは解るよ? でも今は違うじゃないか。僕を殺してしまえば分身も全部死ぬんだから、それで全て円満に解決だろう?」


 この話の流れは拙い、な。

 今の私の状態を探りに入れに来たって事か?


「悔しがってるところを見たいって言ったら?」

「良いんじゃないかな? それが本当ならね。気が合うなって思う。王族なんかに生まれるとさあ。ふとした時に考えちゃうんだよ。どいつもこいつも死ねばいいのにって」


 レリオスはまた表情に笑みを貼り付けた。

 そうして三日月のように引き裂けた口で。ガラス玉のような瞳で。

 語る。黒い夢を。


「悪い王はただの汚物で、良い王なんて愚民の家畜さ。あっちを立てればこっちが立たず。誰かの為にやったはずがしわ寄せは誰かにいって、一人が喜べば一人が泣く。不幸である事も気付かない馬鹿と、幸せなのに不幸だと勘違いしている馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ばっかり。どいつもこいつも臓物撒き散らしながら焔の中で踊り狂って死ねって、ずっとずーっと思ってたんだ。そうしたらそこにグリモワールだろ? いやあ喜んだね。喜んで皆踊らせてやった。だってあいつらも戦争したがってたんだもん。グリモワールがあれば不老不死になって永久に権力の座にいられるとか本気で思ってんだもん。だから腹一杯食わせてやったよ、不老不死と戦争。いっぺんにプレゼントさ。あいつらだって最初は喜んでたくせに、後になってもう嫌だとか泣き言を言うからさ。貴族も市民も奴隷も男も女も子供も老人も、皆雁首揃えて槍を持たせて好きなだけやらせてやった。泣き叫んでも腕が折れても足が吹き飛んでも首が千切れても。何度も何度も何度も起き上がらせて。それはそれで結構愉しかったんだけどさ。そしたら結局壊れちゃうんだもん、つまらないし、ズルいよねえ」


 レリオスは、子供のように目を輝かせていた。


「……お前……」


 言葉もない。

 グリモワールの縁起では世界を呪う王だとか言っていたけれど。そんな事をするのに許される理由なんか見当たらない。

 野心や権力欲だというなら解る。けれど、こいつはたくさんの人の破滅しか望んでいない。

 良い王は家畜? 社会の奉仕者って意味か? そういう分析をしておきながら、良い王であろうとする事なんか最初から考えてもいないじゃないか。


 ああ、今わかった。こいつの笑顔がどうして異質なのか。

 笑顔を向ける対象が違っているんだ。

 価値観が違う。相容れるわけがない。


「ほら。だから言っただろ。僕の話なんかしても仕方がないのさ。それより君の話をしよう。君、やっぱり力を失ってるんだよね? さっき苦しんでいたのは後遺症なんだろう? そうでなきゃ、僕を殺しに来ない理由がない」

「……解ってないな」


 こいつは……今言葉を交わしている相手が、コーデリアなのか平坂黒衛なのかも解ってない。見透かしたような事を言っているけれど、底だって見せているんだ。

 魔竜を名乗るただの人間。神でも竜でも、なんでもない。こいつ自身が言ってたじゃないか。悪い王なんて汚物だと。

 であるなら理解出来ないはずがない。読めないはずがない。こいつは、一度話を逸らしたよな? そこにこそこいつの意図というか、本心が隠されているんじゃないのか?


「案外欠片共にも勝ちの目があったりするのかな? ま、僕としては正直どっちでもいいんだけどね。僕の欠片が勝って封印を破っても、そうでなくても」

「……ねえ、コーデリア」


 ベルナデッタが目配せしてきた。

 面白い悪戯を思いついたというような表情だった。


「こいつは調子に乗ってるけど。空間的な繋がりまで意識体は無視してないのよ」


 へえ。そいつは良い事を聞いた。危害を加えられないのを良い事に、こんな風に余裕面でまた会いに来られても困るからな。

 相手に触れられないというのも、この場合好都合だ。


 カードを横から突っ込ませてから切断するような、差し込み型の空間切断というものは、今の所実現出来ていない。

 元々断章化カードはグリモワールと繋がる扉に見立てて解放するというような処理をしている。どう頑張って制御してもカードの(ふち)がぶつかってしまうのだ。縁の実体化が解けるラインを越えると、今度はカードが完全に解放状態になってしまう。

 断章化と解放状態の、微妙なボーダーラインでの制御を行いながらトンネルに突っ込ませなければいけない。


 そう、普通なら。だけど、今こいつに実体はない。例えて言うなら空間カードを水に突っ込んでそのまま掻き出すような作業だ。


 空間カードを手に、レリオスの前に立つ。奴は余裕の表情だ。

 ほんと、気に入らない。


「おや? 気分を悪くさせてしまったかな?」


 答えず、腕を振り上げる。レリオスは避ける素振りさえ見せなかった。

 舐めてるようだが……コーデリア姫のビンタは一味違うぞ?

 私は敢えて女の子がビンタをするようなモーションで顔面を狙って振り抜いた。だけれど、結果はビンタなんて生優しいものじゃない。


 抉り、削る。


「な、にっ!?」


 左頬から入って、右目の方へ抜ける。レリオスの顔面がごっそり抉られた。断面は黒っぽい靄のようなものだ。抉り取られた方もすぐさま消滅していっている。お陰であまりスプラッタな事にはならないが、どうやら意識体でも痛みを感じているらしい。残った部分から読み取れる表情は、驚愕と痛みに歪んでいる。


「ぐっ!」


 大変結構な事だ。後じさりする所に間合いを詰め、腹からカードを刺して、下から上へと振り抜く。今度は顎から丸ごと削り取った。もう苦悶の声さえ出せないだろう。

 振り抜いた所で、切り返してもう一発。今度は後ろに飛び退られて直撃は避けられたが、左腕を途中から切り離していた。

 断章化を解除。抉り取られた箇所が塵のように消える。

 顔面を十字に抉り取られるという滑稽な姿になって、レリオスの意識体は右手で顔を抑えながら、壁に張り付いた。


 抉り取った部分を抑えていた手が退けられると、元通りのレリオスの顔があった。いや、驚愕の表情が張り付いているか。


「――いや、驚いた。意識体を抉るなんて」


 興奮したように捲し立てる。


「単なる断章なんかでどういう風にやってるんだろう? 空間ごと切り取ったような……そうか、連続した空間を分割して断章化してるのか。情報を取捨選択して、必要な要素だけを制御して動かしてるって事? 器用な事をする」


 それでも痛みは消えていないのか、時折表情を歪ませている。あれだけごっそり持って行ったのだ。痛くない、はずがない。

 見たり聞いたり話したり出来るのだから、意識体にも感覚はある。空間にも存在している。

 だけれど実体がないから触れられない。触れられないものに、触覚……痛覚はない。

 だけど、普通は切れないはずのそれを「切り取る」事が出来たなら。痛みも感覚としてフィードバックされてもおかしくはないだろう。


 実体が無いと言う事は感覚だけで、実際の肉体や臓器を傷付けられる訳じゃないから死にもしないようだが「ベルナデッタやコーデリアや……みんなの代わりに、一発ぶん殴ってやった」程度の意趣返しにはなっただろうか?

 だがまだまだ殴り足りないな。全く足りてない。こんなもので済ませられるものか。


「しかしやってくれるよね。意識体を維持できなくなっちゃったじゃないか。君の曲芸は面白いけど、僕としては面白くないね。かなり痛いし、外で活動できるようにって折角欠片を潰して作ったのに。こんな風に壊されるなんて本当に面白くない。君は力を失ってるようだから、欠片共をみんな呼んで楽しいパーティーをしてあげようと思ってたのに。それも出来なくなっちゃったか。いや、残念」


 おい……。そんなロクでもない事考えてたのか。

 段々とレリオスの身体が透けていく。


「だけどまあ、解ったよ。君はまだまだ健在なんだね。次会う時は、ちゃんとした姿と、ちゃんとした力で殺し合えると良いね」


 そんな言葉を残して。

 レリオスは水に溶けるように消えていった。

 それを見届けたベルナデッタが、硬質な声で言った。


「黒衛。後でお話があるから。庭園で会いましょう」

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