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25 雨

 竜の上体が地面に崩れ落ちるのと、ダークネスの効果が切れるのがほとんど同時だった。

 偽りの夜闇が明けてみれば、そこは流れ出た血によって、まるで池のような有様。


 だが、まだ断章化していない。絶命には至っていないという事だ。

 血を流していないところは無いと言うほど全身傷だらけだというのに。

 とは言え、高い再生能力を有するタイプの竜でもないらしい。傷口が塞がっていく様子も無い。


 ダークネスはまだ暫く使用が出来ない。このまま攻めるのは、リスクがある。

 一旦仲間をこちらに戻してダークネス再使用まで様子見をするか、或いはチャージ魔法を何か習得して――。


 奴が再び、ゆっくりと上体を起こした。

 慎重を期すため、仲間には何があっても対応出来る距離を取らせる。

 が、結論から言うなら、私はこの魔竜の分身と言う奴を、舐めていたのだと思う。

 竜語の魔法を使えず、再生能力も低く。ただ吐息が強力なだけの竜だと、そう高を括っていた。


 次に赤晶竜が見せた行動に、私は言葉を失った。翳した掌の上に、緑色をした光の粒子が集まっていくのを見たのだ。


 あれは――SEを使って何かやろうとしてるのか……!? 集中が必要だから攻撃を受けながらダークネスの効果が切れるまで待っていたって事か!


 赤晶竜の存在規模そのものとでも言えば良いのか。内包していた力のような物がごっそり無くなるのを感じた。

 それはつまり、あの一撃にそれだけの力を込めていると言う事で――!


 嫌な予感を覚えて、全員に退避を命じる。

 赤晶竜がそれを地面に向かって叩きつけると、奴の周囲から巨大な水晶の柱のような物が飛び出していく。


 突如生まれたのは水晶の森。それがそのまま放射状に、広範囲へと波のように広がっていく。

 その殺意の波は、私とアッシュの所まで届いた。基本的には赤晶竜から離れれば離れるほど水晶は小さな物になっていくが、それでも槍衾が地面から迫ってくるようなものだ。

 鋭く尖ったそれは危険極まりない殺傷能力を有している。

 

 アッシュは野生動物の勘で次々乱立する水晶の槍を、ある程度避けてはくれた。

 が、到底かわし切れるものではない。彼は太腿、私は脇腹を抉られてしまった。もんどり打って水晶の上を転げる。


「~~っ!」

「マスターッ!」


 クローベルの悲鳴が聞こえた。まさかと思って彼女の方を見れば、生えてきた水晶を足場に中空に飛んでいた。さすがに彼女はああいう大雑把な攻撃は食らわないらしい。私が手傷を負ったからこその悲鳴であったか。


 だが、その他の仲間はと言えば……チャリオットは横倒しになっていた。リュイス達は投げ出されて私と同じように水晶の上に転がり、ナイトメアも腹の部分を貫通されて磔にされてしまっている。シルヴィアも手傷を負ったらしく血塗れで横たわっていたが、胸が上下に動いてはいるのが見て取れた。


 断章化して戻ってこないと言う事は、誰も死んではいない。

 だけれど無傷だったのはクローベルぐらいのもの。ただの一発で壊滅、か。


 ……かなりギリギリのタイミングで水晶の生成が終わったらしい。私も血塗れになってしまったが、全身串刺しになるよりは遥かにマシだ。

 竜の向こう――西門の方にも波が届いたのが見える。被害が出ていないと良いのだが。


「断章、収集……」


 傷を負った仲間をそのままにしておくわけにはいかない。ヒールをかけて回ろうにもその時間を赤晶竜が待ってくれるとも思えない。だから断章化してグリモワール内部に戻す事で出血死を回避しなければならない。

 傷が癒えるまでは再召喚しても満足に動けないだろう。彼らは実質、この戦闘では脱落と考えて良い。


「マスター! マスター! しっかりして下さい!  あああっ、こんなに血がッ!」

 

 駆け寄ってきたクローベルに体を抱えられた。


 どうする。どうする。

 残りのSEは一二七三。

 このSEで今から召喚してあれと戦えるモンスターは?

 それより攻撃魔法を叩き込めば? どちらも無理。チャージが間に合わない。吐息が飛んできたら終わりだ。

 魔法を使うにしてもトリックミラーの発動準備だけは外せない。


 例えば、クローベルに抱えて貰って逃げるという選択肢はどうだろう?

 あいつもあれだけの満身創痍ならクローベルには追いつけない。今の規模の攻撃はそう何度も出来ないだろうし、トリックミラーの発動準備をしたまま、なるべく遠くまで逃げて街から引き離した後で上手く撒けば、立て直しの為の時間を――。


 考えを巡らしていると、破砕音が響き渡った。

 赤晶竜が自分の周りに生えた水晶の柱を叩き壊している音だった。

 ……なんだ。何をして――あ。


「冗談……」


 頬が引きつった。奴が何をしようとしているのか、理解出来てしまったからだ。

 細かく砕いた水晶の前で、いつか見たように奴はにぃと口の端を満足そうに吊り上げて笑う。

 ああ。それは。確かに元人間の成れの果てと思わせる悪辣さと残酷さだった。


 呆れるほど単純な攻撃だ。

 魔法でもなければ、技でもなんでもない。子供が砂を浴びせるような行動。

 けれど竜の規模でそれをやればどうなるのか。

 水晶の散弾。或いは水晶の雨。十分過ぎるほどの殺傷能力を持つだろう。


 トリックミラーは相手の姿を映した上で受け止めなければならない。反射出来るのは一度だけ。

 放物線を描く攻撃、数を頼みにした攻撃に、全くの無意味。

 では、何でそれを防げば良い?


 ゴーレムのような硬いモンスターを召喚する? それでは吐息に対処出来ない。無駄死にになる。大体、今からの召喚ではミラーのチャージを切らなくてはいけない。


 では、防御魔法は?

 前方をカバーするプロテクションウォール。これでは放物線を描く『雨』に対処できない。

 全方位をカバーするマジックシールド。雨は防げるが水平に放たれる『散弾』を受け止め切れるほどの強度があるとは思えない。


 いや、例え散弾と雨のどちらを防げたとしても、シールドでは吐息を防ぎ切れない。

 つまり選択肢はウォールしかないが、ウォールを以ってしても吐息を受け止め切れるのか定かじゃない。

 大体その選択は雨を浴びるのを許容すると言う事。自由落下の雨でさえ、人間が受け止めるには荷が勝ち過ぎるだろう。


 どうすれば――?


「ミラーのチャージを切ってはいけません! 向こうの弾も無限じゃない! 堪えてください! その間にあれを倒す手立てを――!」

「馬鹿な……ッ! 何を考えて……!」


 竜が投擲を始める寸前、クローベルに体を抱えられて、比較的大きな水晶の影に退避させられた。確かにこれなら屋根にも、盾にもなる。なるが――これでは――。


 クローベルに頭を抱えられる。その直後、頭上から雨が降り注いだ。 

 轟音。砕け散って跳ね返った細かな破片が、容赦なくクローベルの体に突き刺さる。


「やめ――!」


 私の声は破砕音にかき消された。

 投擲の間隙を縫うように、クローベルは皹が入って盾の用を成さなくなった水晶の柱から、新しい水晶の柱へと駆ける。更に襲い掛かる横殴りの散弾。


 なんでこんな無茶な事。

 決まってる。

 クローベルは私があいつを倒す手立てを思い付くと、信じているからだ。

 命令、いや、支配で止めさせる? 意味が無い。二人して死ぬだけだ。クローベルを死なせるぐらいなら、断章に戻して私だけでも――。


 いや、違う! クローベルの信頼に応えろ!

 考えろ! 早くあいつを倒す手を。早く。早く早く早く――!


「あっ、ぐっ……!」


 クローベルが途中で足をもつれさせて、跪く。

 赤晶竜はそれを嘲笑って、水晶の欠片を中空にぶちまけた。


「ッ!!!」


 クローベルが、私の体を包み込むように抱きしめ――私達の頭上に雨が降り注いだ。

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