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10 裏切りの牙

「ソフィー、ここからどっちに行ったらいいか解る?」


 竜のいる方に進んでしまうような事態は避けたい。

 参考に出来る程度の意見が聞ければいいなと思っていたが、ソフィーは迷わず西に見える低い山を指差した。


「あの形。よくおぼえてるよ。連れてかれる時、ずっと見てたもん。陰になって見えないけど、山の脇を通って向こうに行けば、もっと知ってる所も見えてくると思う」


 山の形、か。確かに言われてみれば特徴的な稜線に見える。


「よし。それじゃ出発しましょう」


 皆が頷いて支度を始めた。

 ソフィーが洞窟の外に出られるのはどれほどぶりの事なのだろう。

 連れてこられた時の事を、いつか帰れる日の事を。ずっと思い描いていたに違いない。何度も何度も、それこそ数え切れない程に。

 この子を家に帰してやりたいと、そう思う。きっちり守らないとな。




 さて問題です。

 ゴブリンの足で遠征に来れる距離とはどれぐらいのものだろうか?

 解らなければその道のプロに聞いて見ればいいのだ。


「一日二日ってとこだと思いやすが」

「そうさね。シャーマンまで出てきたって事ならそう遠くまで行くはずがないよ」

「理由は?」

「長い留守、駄目。守り、弱くなる」


 ゴブリンは一にも二にも頭数だからな。予め村に目を付けておいて大規模な作戦を実行に移したってわけだ。

 となると森の脱出もそこまで長丁場にならずに済むだろう。ソフィーには辛いかもしれないが、いざという時にはユーグレもいる。リュイスの特性にも合致するから騎乗可能なモンスターを召喚しても良い。


 ……寧ろ私の体力が心配だ。元より非力で貧弱ってのはどういう事か。




「マスター」


 クローベルが片手を挙げて全体の動きを止める。リュイス達に緊張が走った。


「敵ね?」

「――はい。それも、かなりの」


 その冷たい声色が警鐘を鳴らしていた。敵の姿は見えない。どこだ? どこにいる? 

 目を凝らしたその瞬間、茂みが揺れて狼が飛び出してきた。


「こちらは陽動――」


 クローベルの体が揺れて、ズレ(・・)る。狼の目測が大きく狂って、歯と歯を打ち合わせる音だけが虚しく響いた。


「で、こちらが本命ですかッ!」


 あらぬ方向から突然に。

 どこに潜んでいたのかと思うほど巨大な影が現れた。

 人の頭がすっぽりと入りそうな大きな顎に、杭のように太く鋭い犬歯を露にして、クローベルの斜め後方から踊りかかる。


 僅かな時間差で行われた恐るべき奇襲であったが、クローベルはこれを察知していたらしい。最初の狼の攻撃を避けると同時に、完璧なまでの迎撃態勢を整え終えていた。


 上体を落としてのすれ違いざま――逆手に握られたショートソードが顎下を断ち切るような軌道で上から下へと振るわれた。

 が、敵もさるもの。寸前で見切ったのだろう。クローベルを噛み砕こうとしていた顎を閉じ、上体を逸らす事でカウンターの一撃を回避していた。

 だがこちらは完全にとは行かない。腹部の辺りにクローベルの一閃を浅く貰ったようであった。


 地面に降り立ったそれは、むしろ緩慢にさえ思える所作でクローベルへと振り返る。そこで初めて、私はそのモンスターが何であるかを認識した。


 ――オールドウルフ!


 体高だけでも大人の背丈ほどもある、銀色の毛並みを持った巨躯の狼である。

 クローベルと同格のレアカード。ランクは12。間違いなく強敵だ。

 そんな強敵とサシで向かい合うクローベルの反応はと言えば。


「いいですね。気に入りました。死んでマスターの力になりなさい」


 ……笑っていた。


「マスターの護りは任せましたよ」

「おう、姐御!」


 異世界語とゴブリン語のはずなのだが以心伝心、示し合わせたかのようであった。

 リュイス達は私とソフィーを囲むように円陣を展開し、背中合わせに向かい合う。

 私はソフィーの肩を抱いて彼女を守りつつ、皆の足を引っ張らないように、そしていざと言う時はアシストが出来るように深呼吸をして機を窺う事にした。


 リュイスは何時の間にか手斧とナイフの二刀流という装備になっていた。腰には弓と矢筒まである。ユーグレも棍棒を手にしていた。洞窟入り口の戦いでの戦利品か。何時の間に、誰が回収していたのやら。抜け目がない事だ。

 マーチェの装備は身の丈ほどの杖。サブウェポンとしてナイフを腰に差しているが抜いてはいない。


 オールドウルフのファーストアタックが済んでしまえば最早息を殺している意味はない、とばかりに前方のあちこちで茂みが揺れ始めた。

 包囲する気のようだ。不利になると解ってはいるがは迂闊には動けない。向こうの足の方が遥かに速いからだ。走って逃げるのは不可能である。


 金属と牙のぶつかる音が断続的に聞こえて来る。

 隙を見せない程度に横目を引っ掛けると、クローベルとオールドウルフは木の幹を足場に飛び回り、立体的な戦闘を繰り広げていた。さっきから地面に一度も足をつけていない。狼が空を飛ぶなよ!


 他の狼達はと言えば、茂みの揺れ方から判断するにこちらを二重に包囲しているようだ。絶対に逃がさない為なのだろう。入念な事だ。ゴブリン三人と子供二人程度なら内側の囲みだけで十分だって? その詰めの甘さを後悔するがいい。


 咆哮を上げて迫ってきた最初の狼の牙を、リュイスは手斧の柄で受けた。同時にナイフが跳ね上がり、喉を真下から貫く。


 シャーマン戦では私とどっこいの力しかなかったリュイスだが、明らかに強くなっている。しかも劇的に。

 ゴブリンという連中には昇格があるのだ。元々が弱いだけに伸び代も大きい。

 まして、ウルフのランクは3。既にリュイスより格下なのだから、この結果は当然であった。


 強くなっているのはリュイスだけではない。ユーグレの棍棒の一撃は凄まじい破壊力だ。掬い上げるように打ち返された狼が木に激突して、落下する前に光となって四散、断章と化した。


 三人の中で最も強いはずのマーチェに関しては言わずもがなだ。

 マーチェは魔法だけじゃなく杖術も使う。右へ左へと的を振るように動き回る狼だが、マーチェは無闇に魔法を撃たない。打ちかかってきた狼のみを杖の回転に巻き込み、地面に叩き付けたところで密着からの接射を行うのだ。確実に殺しに行っているな。


 昨日のシャーマンが力も強かったのは魔力操作による身体能力の強化があったからだ。

 ゲーム中ではあまり活用の場面が無かったが、低級バフの魔法をシャーマンは持っている。

 たかが低級。されど低級。現実化するとこうなるという事だ。


 こちらを難敵であると認めたのか、ここで狼の動きが少し変わった。

 鈍重なユーグレを最も(くみ)し易いとでも思ったのか、二匹まとめて、異なる高さとタイミングで飛び出してくる。狙いは腕と足首。


「――甘い」


 後ろに私が控えているのを忘れてもらっては困る。ユーグレの足首の脇から、カードを持ったまま私の手が突き出された。

 ユーグレからは私の動きは見えていないが、連携に支障はない。念じるだけで命令が伝わるからだ。「下は私が対応するから、上から来る狼だけに集中しろ」と言うわけである。


「断章解放」


 ユーグレの足首に齧りつこうとしていた狼は、人の頭ほどの岩に対して思い切り牙を突き立てる羽目になった。

 言うまでもなく川原で拾ってきたものである。投擲の精度に不安があるのなら盾として使えばいいのだ。


 岩を再び断章に戻して手を引っ込めると、上からユーグレの棍棒の先端が降ってきて、悶絶している狼の頭を叩き潰した。浮き足立った他の狼を尻目に、私はカードを茂みの中に投げる。


 さて。クローベルとオールドウルフはどうなったのか。

 クローベルの速度は先程よりも更にエスカレートしているように思えた。天井知らずかあの子は。

 一方で、オールドウルフの動きは明らかに最初の時より精彩を欠いている。


 それもそのはずだ。未だにクローベルが無傷であるのに対して、オールドウルフはその美しい毛並みの至る所を自らの血で汚していた。軽傷とは言えない手傷もいくつかある。


「なかなかどうして。やるじゃないですか」


 涼やかにさえ聞こえるクローベルの声。二度、三度と交差した後、初めて両者の動きが止まった。

 笑う彼女を見上げるオールドウルフの構図。


 信じがたいのはクローベルが立っている場所である。

 私が乗ってさえ折れそうな細い枝の上。そんな頼りない場所に平然と爪先で立っていた。まるで体重をどこかに置き忘れてきたかのようだ。


 その異常性はオールドウルフにも十分理解できるのだろう。

 周囲に視線を巡らすと、悔しげに呻り声を上げた。あちらこちらに狼の死体が横たわっている。

 こちらには損害らしい損害を与える事も出来ないのに、群れの被害は大きくなる一方。

 クローベルに追い詰められて戦況を見る余裕さえなかったのかも知れない。オールドウルフはここに来て初めて自分達の劣勢を悟ったようだ。


 さりとて、簡単には逃げの手を打つ事も出来ない。

 動こうとするとクローベルが合わせるように枝の上で揺れ、オールドウルフは踏みとどまるしかなくなる。


 最早完全に動きを見切られている。例えばここで背を向けて逃げ出したとしても、容易く追いつかれて否応なく戦闘の続きとなるだろう。傷と出血はますますオールドウルフの動きを鈍らせる。傾いた天秤が戻る事は、無い。


 だけれど、戦況は既に動いている。オールドウルフの逡巡を他所にして。

 全身血に塗れた狼が鼻を鳴らしながら、よろよろとオールドウルフに近付く。

 それを見たオールドウルフは、自分が逃げられないのならせめて群れを逃がすべきとでも判断したのだろう。

 撤退の合図となる咆哮を上げようとして――しかしそれは叶わなかった。

 がら空きになった喉笛に、寄り添ってきた血塗れの狼が牙を食い込ませていたから。


 コモン ランク3 ウルフ

『犬に似てるから可愛いって? 中身は別物なんだぜロギンス。咬み殺した羊の腹に頭を突っ込んでるのは、皮を被ろうとしてるからさ。 ――牧童アシュトン』

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