不安
白い結婚を続け、三年――
理人にあてがわれた執務室で礼状をしたためていると、書き終えた礼状をまとめていた山崎がため息を吐いた。
「奥様。あまり根を詰められますと、お身体に障りますよ。何もすべての礼状を手書きでお返事しなくともよいのです」
山崎に気遣わしげな表情を向けられ、椿は微笑んだ。
「大丈夫。あまりに量が多い時や、定型文で事足りる場合には印刷で済ませているわ。でも、個別にお手紙をくださった方や、親交の深い方々にはできるだけ丁寧に対応したいと思っているの」
「まったく……。奥様には敵いませんね」
困ったように笑みを浮かべた山崎は、内容の確認を頼まれた礼状に視線を落とした。
「奥様は本当に字がお綺麗でいらっしゃいますね。文面からも、相手を慮る優しさが端々に滲み出ています。奥様が嫁いでこられてから、四ノ宮家の評判は右肩上がり。四ノ宮家の使用人として、奥様をお迎えできたことを喜ばしく思いますよ」
「ふふっ、ありがとう。その言葉に恥じない私でいられるように、今後も精進するわね」
コンコン、と扉がノックされる。入室を許可すると、平野がカートに紅茶セットを載せて運んできた。
「奥様、お茶の準備が整いました。朝からずっと仕事にかかりきりですし、少し休憩をしませんか? 奥様の好きなレモンケーキを取り寄せましたよ。よろしければぜひお召し上がりください」
「まあ……! わざわざ私のために用意してくれたの? 嬉しいわ。喜んでいただくわね」
椿は胸の前で両手を合わせて立ち上がり、部屋の中央にある来客用のテーブルに移動した。
「二度手間になって申し訳ないけれど、カップとケーキを二人分追加してくれる?」
「あらあら。また私たちにまで勧めるおつもりですか? 使用人にそのような気遣いは不要ですと何度も申し上げておりますのに」
「互いの立場は弁えているわ。でも、今ここに人目はないでしょう? 図々しいかもしれないけれど、毎日家で顔を合わせている平野と山崎のことは、家族のように思っているの。迷惑でなければ、仕事に差し支えない範囲で付き合ってもらえると嬉しいわ」
「困りましたね……。奥様は存外人誑しでいらっしゃる。普段は慎ましく控え目でありながら、こういう時だけ押しが強い」
「うふふ、本当ねぇ山崎さん! 名家のお嬢様といえばお高くとまってるイメージがあったけど、奥さまは謙虚だし、周りに目を配り思いやれる優しさをお持ちの聡明な方。こうしてお仕えできることを心から嬉しく思いますよ」
「ずいぶん楽しそうだね。僕も混ぜてくれないか?」
いつのまにか姿を現していた理人が、爽やかな笑みで告げる。先ほどまでの和やかな空気は霧散し、平野も山崎も畏まった態度で後ろに控えた。
「邪魔してすまない。家を出る前にどうしても椿の顔が見たくなってね。少し二人にしてもらえるかい?」
「ええ、もちろんですとも」
「ではこれで失礼いたします」
平野と山崎が出て行った後、二人の足音が完全に遠のいてから、理人が忌々しげにため息を吐いた。
「君には二つしか取り柄がないと言ったが、一つ追加しよう。どこで覚えたのかは知らないが、他人に媚びを売って懐に入る才能だけは一流だな」
「!」
「二人を懐柔して味方につける魂胆だろうが、無駄な足搔きだぞ。どれほど親交を深めようと、彼らは四ノ宮家の使用人だ。いざとなればどちら側につくかなど、考えるまでもないだろう?」
「邪推が過ぎます。私に下心はございません」
「どうだかな。まあいい。今夜は帰りが遅くなるが、寝ずに待っているように。君に折り入って話がある」
「……? 承知しました」
「確かに伝えたからな」
冷ややかな眼差しで椿を一瞥し、彼は部屋を出て行った。
(わざわざ改まって、話って何かしら? 何か嫌な予感がするわ……)
この時胸にわだかまった不安は、夜に的中することになった。




