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「ようやく君の大切さに気付いたんだ」と言われましても、もうあなたと私は他人なのですが  作者: 水嶋陸


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結実1



 光と緑に溢れるガラス屋根の温室。一条家の屋敷の中でもお気に入りの場所で休息を取っていると、静かな足音がした。視線を向けると、怜司が颯爽とこちらに歩み寄ってくる。


 「お休みのところ失礼します。急ぎお耳に入れたい話があるので、少々お時間いただけますか?」


 「ええ、大丈夫よ。話というのは何かしら?」



 「先日の襲撃事件について動きがありましたのでご報告です。あの男は逃亡の恐れがあるとして留置所に勾留されていましたが、検察官により起訴され、近く刑事裁判にかけられることになりました。四ノ宮家は示談で事を収めたかったようですが、旦那様が応じず。結果として、彼は四ノ宮家当主から勘当されました」



 「!? それで、彼はこれからどうなるの?」


 「判決の内容によりますが、相応の報いを受けることになります。もはや四ノ宮家に戻ることは叶いませんし、自力で就職を目指すにせよ前科がつけばかなり厳しい状況になるかと。少なくともこれまでの贅沢な暮らしとは生涯無縁になるでしょう」


 「そう……」


 あれほど嫌悪感を抱いていた男だったが、哀れな末路を辿ったと聞いても心は晴れなかった。


 元はといえば、一条家からの縁談がなければ誰も傷つかずに済んだのではないかと考えてしまう。父は何も悪くないが、やりきれない想いが胸に立ち込めた。


 椿の胸中を察した怜司が、平淡な声で言う。


 「お嬢様がお心を痛める必要はございませんよ。全てはあの男の身から出た錆。私から見れば生ぬるい代償です。あのような男のことはお忘れください」


 「……ええ、分かったわ」


 (今更過去を憂いたところで何も変えられない。それぞれ前を向いて、今の自分にできることを懸命に果たしていくしかないわ)


 神妙に頷き、怜司を見上げる。


 いつもなら優しい微笑みを浮かべてくれるのに、あの事件以降、彼の表情が堅い。眼差しに悪戯な光がなくなり、冗談も言わなくなった。


 細かな変化の数々に不安を感じながら、思い切って口を開く。


 「あのね。話は変わるけど、もうすぐあなたの誕生日でしょう? 実はプレゼントを用意してあるの。ささやかな贈り物だけど、受け取ってくれる?」


  (お願い。どうか、気のせいでありますように)


 心の中で強く願いながら、明るい笑顔を浮かべた。けれど怜司は笑みを返さなかった。真剣な面持ちで冷静に告げる。


 「申し訳ございません。私には、お嬢様の贈り物を受け取る資格がございません」


 「……え?」


 「今回の失態を鑑み、心を入れ替えました。今後は一層、職務に忠実に励む所存です。もう、私のような立場の者にお心を砕くのはおやめください」


 はっきりと拒絶され、椿は瞠目した。怜司に突き放されるのは初めてで、ひどく動揺する。 

 

 「っどうしてそんなことを言うの? 先日の件はあなたに責任があるとは思ってないわ。もちろん父も――」


 「たとえ旦那様とお嬢様がお許しになっても、私が納得できないのです。お嬢様のご厚意を受け取れず心苦しい限りですが、何卒お聞き届けください」


 話し合いの余地すら与えられなかった。怜司は既に意思を固めてしまっている。これ以上踏み込むなと、線引きされたショックで頭の中が真っ白になった。


 「……どうしても、受け取ってはくれないの?」


 「申し訳ございません」


 謝罪の言葉に胸を抉られる。突然の態度の変化に戸惑いながら思考を滾らせ、ひとつの可能性に思い至った。心臓が嫌な音を立て、急速に鼓動が逸る。


 「……鷹野。正直に答えてほしいのだけど」


 「何でしょう」


 この先を口にしてしまえば、もう二度とこれまでの関係には戻れない。それでも勘違いとはどうしても思えず、椿は勇気を振り絞った。


 「あなたは……私の気持ちに気付いているの? だから急に態度を変えたの? 私の気持ちを受け取れないから」


 怜司は沈黙した。彼の表情は揺らがなかったが、痛ましい眼差しを注がれて確信する。


 予想外のタイミングでの、二度目の失恋だった。


 けれど、不思議と落ち着きを取り戻した。腑に落ちた椿は穏やかな笑みを浮かべる。


 「なんだ。ふふっ、そうだったの。いつから気付いていたの?」


 「……お嬢様」


 弱った声を絞り出す彼に、心が芯まで冷えていく。



 「まあ。その様子だと、ずっと前から気付いていたのね? それなのに、長い間見逃してくれてありがとう。でもね、そんな風に壁を作らなくても大丈夫よ。私があなたの恋愛対象になりえないことは、はじめからちゃんと分かってるから」



 怜司の眉根が寄る。沈黙を貫く彼が、苦しそうに顔を歪めた。自分がどれほど彼に負担を強いていたのか、ようやく自覚する。


 長年の片思いに気付かないふりをさせ、挙句の果てにわざと突き放してまで線引きさせた。自分の至らなさが恥ずかしくて堪らなかった。



 「七年間も――ひと回り近く年下の警護対象に恋情を抱かれるなんて、厄介だったわよね。あなたの立場上邪険にできないし、これまではっきりと気持ちを伝えたことはなかったから、断ることもできずに歯痒かったでしょう? 余計な心労をかけてしまって、本当にごめんなさい」


 「お嬢様! それは違います。私は――」


 「警護対象として大切に思ってくれているのよね。十分理解しているわ。あなたに求められていないことも、この想いが報われないことも、全部分かった上であなたに恋をしていたの。何もいらないから、ただ好きでいさせてほしいと願ってた。……でも、それは私のわがままね。いつまでもあなたに甘えていられないわ」



 椿は怜司を見上げ、決意を込めて宣言した。


 「鷹野。今日限りで私の専属ボディーガードを解任します」


 彼がひゅっと乾いた息を呑む。少しでも俯けば涙が溢れそうで、椿はきつく拳を握り締めた。


 (最後に見せるのが泣き顔なんて、絶対に嫌)


 意地でも涙を堪え、精一杯、笑顔を浮かべて長年の想いを告げる。


 「大好きよ鷹野。今まで守ってくれてありがとう。短い間でも再会できて、夢のようだった。父には私からうまく話をしておくから安心してね」

 

 「……っ!」


 怜司は衝撃を受け、ひどく焦った表情で椿の手を掴む。


 「お待ちください。今後もお嬢様をお守りする意思に変わりはありません。どうかお考え直しを」


 「もう決めたことだから。――さようなら」 


 愛しい人の手を振り解き、顔を背けた。


 これ以上、怜司の顔をまともに見ていられなかった。俯き、足早に彼の隣を通り過ぎる。温室の出口に向かおうとした、次の瞬間――


 背後から抱き締められていた。


 

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