諦念 Side鷹野怜司
国内最大規模を誇る、一流警備会社TAKANO。
その創業者の子孫であり、いわゆる令嬢のはしくれだった母は、使用人の男と駆け落ちし、怜司を産み落とした。
しかし、贅沢な暮らしに慣れていた世間知らずの母は、堅実な庶民生活にどうしても馴染めず父と仲違いし、三年で実家に出戻った。
母はその後、両親の決めた男の元へ嫁いだが、先方の強い希望により怜司は実家に取り残された。新たな家族を設けた母は次第に自分に興味を失っていき、翌年には会いに来るどころか、手紙すら届かなくなった。
鷹野家では厳格な祖母に育てられた。鷹野の人間として恥ずかしくないよう熱心に教育を施されたが、そこに愛情はなかった。
「いいかい? 間違っても歓迎されているなどと思い上がらないように。誰もお前を家族とは思っちゃいないよ。居場所があるだけありがたいと思うなら、少しでも役立てるよう励みなさい」
礼儀作法、一般教養、語学、格闘技。子どもの頃から、警備会社の職員として必要な知識技術を叩き込まれ、高校卒業と同時にTAKANOに入社した。
幸いボディーガードの資質を備えた怜司はすぐに頭角を現し、社内屈指のエリートと称されるまで時間はかからなかった。
ただ、怜司は人当たりがいいものの内面は非常にドライで、警護対象のみならず同僚に対しても徹底してビジネスライクに接していた。
他人に心を許さず、自らの怪我を顧みない怜司の生き方を危うく感じた上司から、しばしば苦言を呈される程だった。
「また危険な任務で無茶したんだって? いい加減、少しは自重しろよ。そのうちマジで死ぬぞ」
「別にかまいませんよ。私に何かあって悲しむ人間はいませんから」
「お前なあ……絶妙に絡みづらいコメント出すなよ! 返しに困るだろうがっ!」
「事実ですから気にしないでください。それに、仕事柄その方がいいでしょう? 大切な人間の存在は足枷になる。いない方が都合が良い」
気風のいい大柄な上司は目を丸くし、珍しく優しい笑みを浮かべた。そして慈しみに満ちた眼差しで言う。
「若いな、鷹野。優秀過ぎて可愛げがないお前にも、年相応に青い部分があってほっとしたぞ」
「からかってますか?」
「いーや、そうじゃない。お前の言うことも一理あるが、大切な人間の存在ってのは必ずしも足枷になるばかりじゃないぞ。むしろ強くなれることもある。せっかく色男に生まれたんだから、恋のひとつやふたつ経験してみろよ」
「生憎ですが、興味ありませんね」
「かーっ、もったいねえなあ! 唯一無二の女に出会ったら分かる。自分の全てを与えたい、何を犠牲にしても守りたいと思う存在を知れば、大袈裟でなく人生が変わるぞ?」
(自分にはそんな出会い、絶対に訪れないと思っていたのに――)
椿に出会い、人生を変えられた。
人を想う愛おしさと、ままならない苦しみ。そしてひたむきな想いを向けられる喜びを教えてくれた。
機械のように合理性を優先し、私情を排除してきた自分が、はじめて心を傾けた女性。椿のおかげで、ようやく血の通った人間になれた気がした。
彼女が欲しいと心が叫ぶ。彼女に触れたいと体が疼く。しかし、ボディーガードとしてすら役立たずの自分には、彼女の隣に並び立つ資格はない。
さらに、途方もなく恐怖を感じる。
たとえ気持ちを通じ合わせても、椿はいずれ後悔するだろう。母が甲斐性のない父に愛想を尽かし、別れを選んだように。いつか離れていくのではないかと不安を抱えながら生活するのは、到底耐えられなかった。
(一度でも手に入れてしまえば、彼女の意思はどうあれ手放せなくなる。それならはじめから、手に入れない方がいい)
彼女の気持ちに応えられない以上、はっきりと線引きをするべきだ。椿への想いに固く蓋をし、怜司は静かに瞼を閉じた。




