邂逅3
理人と百貨店内のカフェに入った椿は着席を促され、飲み物を注文した。周りに人がいるとはいえ、理人と二人きりという状況はかなりの緊張を強いられた。
ほどなくして店員が二人分のコーヒーを運んでくる。少しも隙を見せまいと注意深く理人の様子を窺っていると、彼は重い口を開いた。
「単刀直入に言おう。君と離婚してから、四ノ宮家を取り巻く状況がかなり悪くなっている」
「!」
「その顔は心あたりがあるようだな。君のお父上の影響で、これまで交流の深かった家さえも今後は付き合いを控えたいと言ってきた。今や四ノ宮家は社交界で孤立し、腫れ物扱いだ」
「……状況はお察しします。ですが、本件について対応を改めるように父を説得しろとおっしゃるのであれば、私の立場ではお力になれません」
「そう言わないでくれ。君はもはや唯一の希望なんだ。僕は今、とてつもない窮地に立たされている。一条家当主の怒りを買ったことで父の機嫌を損ね、後継者の地位をはく奪されそうになっている」
これまで椿の前では自信に満ちた態度を崩さなかった理人が、はじめて余裕のない表情でため息を吐く。
「知っているだろうが、僕には弟がいる。そしてつい最近、母から弟に後継者の座を譲ることを匂わされた。だが、そんな話を受け入れられるはずないだろう?」
理人は苛立ちを堪えきれず、ダンっと拳をテーブルに叩きつけた。
「っ僕は長男として幼い頃から後継者として努力し続けてきた! それがたった一度のつまらないミスで台無しにされていいはずがない。――そこで君に提案がある。僕とよりを戻さないか?」
「!!」
「遅くなったが、ようやく君の大切さに気付いたんだ。君こそ四ノ宮家の女主人に相応しい。だからすぐにでも僕の元に戻ってきてくれ。そしたら全てが丸く収まる」
まるで素晴らしいアイデアだと言わんばかりの態度に言葉を失う。理人のあまりに自己中心的で身勝手な物言いに呆れ果て、椿は冷ややかに答えた。
「四ノ宮さんのお考えは分かりました。ですが、今更そのように言われましても困ります。私たちは離婚していますし、もうあなたと私は他人です。四ノ宮家に戻るつもりはございません」
きっぱり拒絶すると、理人は狼狽した。
「……なぜだ? 一条家の肩書があろうと、君は嫁ぎ先で問題を起こして出戻った身だ。この先まともな縁談は望めないだろう? どこぞの成金の後妻に収まるよりも、僕と共に四ノ宮家に帰る方がよほど幸福な選択じゃないか! もちろん、君がこれまで通り自由気ままな暮らしを続けられるよう、最大限配慮しよう」
認識に齟齬があり過ぎて、話し合う気力すら湧いてこない。ただ理人への嫌悪感が募る一方で、こうして顔を合わせているだけでも相当な苦痛だった。
「四ノ宮さん。何と言われましてもあなたの要望にはお応えできません。再婚はお断りします。これ以上お話することもありませんので、失礼いたします」
椿は躊躇なく席を立つ。テーブルの上に飲み物の代金を置き、足早に店を出た。理人は自尊心の塊なので、彼の提案を断った時点でもう二度と会うことはないと思った。しかし、予想は外れた。
「椿、待ってくれ!」
慌てて会計を済ませた理人が、未練がましく後を追ってきた。
「雅と浮気したことを怒ってるんだろう? それとも初夜の件を根に持っているのか? 君のプライドを傷付けたことについては謝罪する。だからいい加減、意地を張るのはやめてくれ。本当は僕に好意があるんだろう? あの晩だって積極的に抱かれたがっていたじゃないか」
ゾッとするような勘違いに鳥肌が立つ。いっそ無視してもかまわなかったが、己の名誉のために弁明することにした。
「雅さんの件は驚いただけで、怒ってなどいませんよ。あの夜も、責任感から妻としての役目を果たそうとしただけで、あなたに好意を抱いたことは一度もありません。自惚れないでください」
足を止めて理人を睨み上げると、彼は明らかに機嫌を損ねた。
「……人が下手に出ていれば、調子に乗って生意気な口を利くじゃないか。意趣返しのつもりか?」
「いいえ。ただ事実を申し上げただけです。もう私に関わらないでください。今日あなたから接触があったことは念のため父に報告します。さようなら」
別れを告げて背中を向ける。一刻も早く立ち去りたかったが、後ろから強く腕を引かれた。乱暴な振る舞いに驚き、抗議しようと振り向いた椿は、ひゅっと息を呑んだ。
手負いの獣が力尽きる直前、形振り構わず反撃するように――窮地に追い込まれた理人は、自棄の表情を浮かべてこちらを見下ろしていた。
椿の怯えを感じ取った理人は、愉悦に浸った笑い声を上げる。
「君こそ自惚れるなよ。君の意思が尊重されると思うのか? 強引にでも四ノ宮家に連れ帰る手段はいくらでもある。たとえば、既成事実を作ってしまえばいい。簡単だろう?」
「――――!」
想定外の展開に驚愕し、全身に恐怖が駆け巡る。力ずくで彼の手を振り解こうとしたが、叶わなかった。逆にギリッと腕の拘束を強められて痛みに顔を歪めると、空いた手で椿の肩を掴んだ理人が楽しげに言う。
「君の細い体を無理やり組み敷いて好きに弄ぶのは、さぞ気分がいいだろうな。これまでの礼を兼ねて存分に可愛がってやる」
嗜虐心に塗れた眼差しに震えが走り、心臓が痛いほど早鐘を打った。




